キャットテイル 18

 

 昴は早朝、かすかな気配を感じて目を覚ました。
「すばる、すばる」
体を起こす前に声をかけられ、気配の正体を知る。
昴はベッドに起き上がり、同じベッドの上にきちんと座っている猫を見た。
「どうした、大河の傍を離れないんじゃなかったのか?」
「うん。ずっと、そばにいる」
「だったら……」
「いまもそばにいるんだ。でもきっとしんじろうにはもうわかんないから……」
あせりの滲んだ声でハルは訴えた。
「何を言っている?」
昴は髪をかき上げ、改めて猫を見る。
真っ白な猫は前よりも一層白く、ほんのりと輝いて見えた。
青白くさえ見える体の向こう、かすかに部屋の調度品が透けているのに気づき、昴は目をみはった。

 「しんじろうはきっと、ぼくがいなくなっちゃったってかなしむよ」
「君も、悲しそうだ」
「あたりまえじゃないか! だってこんなんじゃ、しんじろうになでてもらったり、だっこしてもらったりできないんだよ?」
昴は黙って頷いた。
同じ物を失う日が、いつか自分にも来るかもと思うのは、とても悲しい事だったから。

 ハルの青と碧の瞳は冴え渡り、冷え冷えと部屋の温度を下げていくようですらあった。
ただならぬ妖気に昴の体は勝手に警戒体制をとろうとするが、ハルに害意がない事はあきらかだ。
「ぼく、ものすごくとおくからきたんだ。さっきまでわすれてたけど、しんじろうにいわれておもいだした」
それは昴にもわかっていた。
大河が子供の頃に飼っていた猫なら、日本にいたはずなのだ。
日本から紐育へやってきたのも、猫の平均年齢を大幅に過ぎているのに若々しいのも、その妖力のせいだと昴は考えていた。

 ハルの声は前のように飄々としたものではなく、焦りが滲み、不安を隠そうとしていない。
「おおきいくるまがまえからせまってきて、ぶつかった!っておもったとき、からだがぐるぐるまわって、きがついたらしんじろうのけはいがすぐちかくにあったんだ」
「生命の危機に直面して、君の潜在能力が爆発したんだろうな。霊力の暴走と同じように」
「ふん、すばるはなにいってるのかぜんぜんわかんない。でも、ばくはつは、したとおもう。ぼくのなかで」
ハルは長い尾をせわしなくと揺らし、自分を落ち着かせているようだった。
「しんじろうにあえて、いっしょにあそんで、なでてもらったりだっこしてもらったり、……なまえをよんでもらったりしたら、ぼく……」
「満足したのか?」
「ぜんぜんまんぞくなんかじゃない! これからじゃないか。ぼくがつかっていいちからも、ぼくがつかっちゃいけなかったはずのちらかも、きっとみんなばくはつして、ちょっとだけのこってたのもぜんぶつかっちゃったんだ」
不満そうに鼻を鳴らし、ハルは立ち上がった。
「しばらくはいまのかたちでいられそうにない、ねこのかたちも、にんげんのかたちも。もとにもどるには、すごくすごくじかんがかかるかもしれない」
何年、もしかしたら何百年という月日を昴は思った。

 ハルは、青と碧の瞳を昴に向ける。
「しんじろうにつたえて、ぼくはずっとそばにいるって」
会話している間にも、ハルの姿はどんどん透き通っていくようだった。
昴は時間があまりない事を知り頷いた。
「わかった」
「みえなくてもいつでもしんじろうをまもってる。だいすきだよって……」

 猫だった体が淡く輝き、その白い光が雪のように舞い散って、キラキラと残光を漂わせた。
昴はその最後の光を手の平に受け再び頷く。
「必ず伝えると約束する」
白い光が消え去ると、部屋には静かな闇が戻った。
昴は時計を見る。
まだ午前3時だった。
しかし昴はすぐにスーツに着替えると外に出た。
深夜タクシーを呼び、それに乗り込んだとき、予想通りキャメラトロンが鳴る。
「昴さん、夜中なのに起こしてしまってごめんなさい、ハルがまたいなくなっちゃったんです」
機械の向こうで大河がどれだけあの猫の事を心配しているのかと思うと胸が痛かった。
すぐに行くとだけ返事を返し、タクシーのソファに体を埋めて溜息をつく。
どうやって話したら彼を悲しませずに事態を説明できるのか、まるで自信がなかったからだ。

 

 

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ネコは昴さんにも遠慮しないんだな。

 

 

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