キャットテイル 17

 

 膝の上で疲れたように眠ってしまった猫を、大河はやさしく撫でてやっていた。
昴は長く溜息をつき、大河の隣に腰掛ける。
「これからどうする?」
「大家さんを説得してみます」
それはつまり、この猫を飼うということだろう。
昴としてはあまり賛成ではないのだけれど、シロ、いやハルは、確かに大河に危害を加えたりはしないだろうし、気をつけてさえいれば飼育しても大丈夫だろう。
そもそも、この猫が大河以外の誰かに飼われる事をよしとしない。

 昴は、そうか、とだけ言って、今まで触れられなかったハルの頭をそっと撫でた。
予想していたよりずっとその毛皮はなめらかで柔らかい。
すると、眠っていたハルが片目をチラリと開き、昴を一瞥してからまた瞳を閉じた。
「ふふっ、大人しくしていればかわいい猫なのに」
ハルは、にゃおーと小さい声で不満を表明したが、今度は目も開けなかった。

 大河はハルが目を覚ますのを待ってから、大家に猫の事を説得にでかけた。
大河が留守の間、ハルと昴はお互いの存在をまったく無視して過ごす。
昴は黙したまま珈琲を飲み、ハルはソファの上で毛づくろいをしながら。
けれども昨日までの剣呑な空気はない。
必要がなければ会話も接触もなく、お互いにそれで充分だった。
一時間以上もしてから戻ってきた大河は満面の笑みを浮かべていた。
「うるさくしたりしないなら飼ってもいいって!」
すかさずハルが大河の腕に飛び込んで、ざらざらの舌で頬をなめると、大河が痛いよ、と苦情を言って笑う。
大河はあっさり言ったけれど、一時間もかかったのだから、説得は相当大変だったのだろう。
大家も最後にはあきらめて妥協したのではないかと昴は踏んでいた。
彼らの今後が無事安泰になるのを見届けてから、昴は自分のホテルに戻った。
正直言ってまだ心配だったが、これ以上ここに留まる理由がなかったから。

 

 昴が帰ってしまった後、大河は新たな家族が増えた喜びでずっとわくわくしていた。
ハルはちょっと変わっているけれどとても綺麗な猫だったし、こんなにも懐いていてくれてとてもかわいく思える。
しかしまだ不思議に思う事もあった。
ここは紐育で、ハルがいたのは遥か遠い日本だ。
「ねえ、ハル、どうやって紐育まで来たの?」
問いかけると、ハルは首をかしげてまばたきした。
どうも、自分でもよくわからないらしい。
「まあいいか。大家さんに許可をもらえたんだし、一緒にいられるよ」
ハルが嬉しそうに頭を押し付けてくる。
「明日、君用の寝床を買うから、今日はベッドで一緒に寝ようね」
大河は昨日昴にそうされたように、ハルを隣に抱いたまま眠った。
温かく、しっかりと鼓動しているやわらかな存在が傍らにいる事が嬉しかった。

 名前を思い出したせいか、ハルとの色々な思い出も蘇ってきた。
擦り傷だらけで、猫を助けたと言って母に苦笑された事。
父が猫を洗ってミルクを与えてくれた事。
ずっと一緒にいるつもりだったのに、父に猫アレルギーが出てしまい、前から白い猫がほしかったという遠くの親戚の人に、ハルが貰われてしまうことになった事。
確かあの時自分は大泣きした。
絶対にハルを他所にやらないと言い張って、道場の床下にハルと一緒に閉じこもり、しょっぱい涙の筋を、ハルがなめてくれた、あの時の温かい舌を思い出す。
結局見つかってハルは貰われていき、父は沢山謝ってくれたけれど、ほんの数日間のハルとの日々を、今日まですっかり忘れていた事が信じられなかった。
「ハル」
名前を呼ぶと、白い猫はいつでも頭を押し付けてくれる。

 

 ハルは心から満たされて大河に寄り添い眠っていた。
遠くまで大好きな人に会いに来て、本当によかったと、そう考える。
どうやってここまできたのか、自分でも確かに覚えていなかった。
つい最近まで、生まれた場所で彼を探し回っていたのに。
あの日もいつものように、昔、彼と出会った場所を探して夜道を歩いていた。
真っ暗な道。
突然の眩しい光。
ふと気づくと、彼の気配をすぐ傍に感じた、あの瞬間。

 ハルは目を見開いた。
あの時。
圧倒的巨大な力に激突され、世界がぐるぐる回転した。
「しんじろう……」
「なあに、ハル……」
眠ったまま大河はむにゃむにゃ返事をした。
ハルは猫のままだったから、言葉は通じなかったはずなのに。
それで、ハルは彼の手の平に額を押し付ける。
「ぼく、しんじろうにあいたかったんだ。すごく、……すごく……」
左右色の違う瞳から、同時に水滴が零れた。
「だいすきだよ、しんじろう。ずっといっしょだよね」
そうハルが問うと、彼はハルの体を優しく抱きしめてくれた。
「しんじろう、ぼくのことをおもいだしてくれてありがとう」
大河の手の平をそっと舐め、ハルは願いを込めて目を閉じた。

 

 

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かなりおかしいネコだと思います。

 

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