キャットテイル 16

 

 にらみ合ったまま微動だにしない昴とシロは、まさに一触即発の状態だった。
シロなどは人の姿のままで猫特有の唸り声をあげ、鼻に皺を寄せている。
大河は急いで二人の間に割って入った。
「ふたりとも喧嘩しないでください!」
「なんだと大河、そもそも君がこんな化け猫に……」
いきり立った昴は声を荒げようとしたのだが、
「わかったよしんじろう。きみがいうなら、もうけんかしない」
シロが素直に笑ったので、怒鳴りかけていた昴も不満げに言葉を飲み込んだ。

 不機嫌な様子で横を向く昴に、大河は裸にバスタオルを巻いたまま歩み寄った。
「昴さんが怒るのも無理ありません。でもほら、シロはぼくを元に戻してくれたし、悪気はないんです」
「悪気はないだと!?」
大河は何も気付いていないのだろうか。
自分達の間にあったなんらかの絆が奪われてしまった事に。
しかしシロは昴の怒鳴り声に対して大仰に怯えて見せると、大河の後ろにサッと隠れてしまった。
「あのひとおっかないねっ、しんじろう」
「なっ……」
再びまなじりを吊り上げる昴を見て、大河は慌ててシロをソファに座らせた。
「とにかくぼくは服を着てきますから、二人は絶対に近寄らないように!」
「はーい」
「……保障はできない」
「昴さん!」
「わかった。わかったから、早く服を着て来い」

 大河がダッシュで隣室に消え、昴は嫌味に笑う青年と視線を合わせた。
「ずいぶん猫をかぶっているんだな」
「そりゃねこだもん」
「大河の優しさに付け込んでも、彼は手に入らないぞ」
「なんでもいいんだ、いっしょにいられれば」
ソファの上、シロはこだわりなく横になった。
ううーんと伸びをして、猫のように手の平をなめる。
「ぼく、しんじろうがだいすきなんだ。だからいっしょにいたいだけ」
「だったら猫のままで彼のペットになればいい」
「そのつもりだったんだけど、しんじろうはぼくをひとにあげちゃったから」
言われて昴は思い出した。
確かに昴と大河は二人で猫をサジータに預けた。
「にんげんになったら、かんたんにあげちゃったりできないでしょ。ぼくしんじろうとふたりっきりでいっしょうくらしたいんだ」
その言葉に答えたのは他ならぬ大河自身だった。
「そりゃ人間は誰かにあげちゃったりできないけど、一緒に住むのも簡単じゃないんだよ!」
隣の部屋で会話を聞いていたらしい。
いそいそと戻ってきた大河はすっかりいつものもぎり服。

 シロは首をかしげ、少し悲しげな表情になった。
演技ではなく困惑しているのだろう。
大河はシロの隣に腰掛けて、本物の猫にするように頭を撫でてやった。
「あのね、シロ、ぼくも君が好きだけど、やっぱり一緒には住めないよ」
「ぼくがにんげんになっちゃったから?」
切なく問う青年の、青と緑の大きな瞳が涙にぬれてキラキラ光っていた。
「それもあるけど……」
大河はチラリ、と、黙ってなりゆきを見守っている昴をみやる。
「シロはぼくと二人きりがいいって言うけど、ぼくはシロと二人きりじゃ困るんだ」
「あいつがすきなんでしょ」
「う、うん……。そうなんだけど……」
「だったらもんだいないよ。あいつ、もうきみをいらないっていったんだから」
「ちっ違うよ! それはぼくが猫だったから!」
「ねこでもにんげんでもかんけいない。もうしんじろうはぼくのものだ! おまえにやるっていったじゃないか! いっかいいったことばはもうとりけせないんだから!」
シロは初めて興奮したように叫び、自分の言葉にすがりつくように拳を握った。

 「違うよシロ、昴さんがいらないっていっても、ぼくは……」
大河はシロに言い聞かせるようにゆっくり話した。
まっすぐに目を見て、真っ白な髪をなでる。
「たとえシロでも、これだけはゆずれない。ぼくはシロのものじゃない。昴さんのものなんだ」

 その瞬間、昴の中に熱い何かが飛び込んできた。
失ってしまったと思っていた大事なものが体の中央から溢れ、全身を満たしていく。
体の隅々まで温もりが行き渡ると、昴はゆっくり息を吐いた。
血液のように体を満たし、決して失ってはいけないもの。
取り戻した喜びよりも、一時でも失っていたという恐怖の方が大きかった。
何も気づいていない大河にわからないように、昴は額の汗を拭う。

 昴の方を呆然とみつめていたシロは自分の手の平を急いで確認し、続けて慌てた様子で手の甲も確認し、なんども手をひっくりかえして何かを探している風だった。
そしてそれが終わると、シロは大河に抱きつき盛大に泣いた。

 

 自分より背の高いシロの温かい体を受け止めてやり、その温もりに大河はハッとなる。

 やわらかいからだ。
滑らかな毛並み。
空のような青と新芽のような緑の瞳。

 

 軒先で出会った子猫はポカポカととても温かかった。
壊さないように抱きしめて、何度も名前を呼んだ。
うららかなその日に相応しい、
あたたかなからだに相応しい名前を。
幼い日に何度も呼んだ。

 「……ハル……」
「!」
シロは涙にぬれた目を見開いて大河を見つめた。
「ハル、思い出した。桜の木を見ようと縁側に下りて君を見つけて……」
「そうだよしんじろう! すごいややっぱりしんじろうはおぼえてた……」

 春の日の朝、大河は木に登ったまま降りられない子猫を見つけて自分もそこに登った。
すがり付いてくる子猫を慎重に肩に乗せ、大丈夫だからねと声をかける。
途中で落っこちてしまい擦り傷がたくさん出来たが、子猫が無傷だったので自分の怪我は全然気にならなかったし痛くなかった。
大河は日向の匂いのする子猫を抱きしめて、はる、と呼んだ。
ピンク色の鼻が桜の花びらにそっくりだったから。
桜は春にしか咲かないのだと母に教わっていた。
だから……。
自分の家の飼い猫でもないのに、思いついたままにつけた名前を勝手に呼ぶと、白い子猫は子猫特有の甘い声で鳴きながら嬉しそうに頭を押し付けてきた。

 「――ハル。今まで忘れててごめんね」
背中を撫でてやり、あの日と変わらない温度の体を抱きしめてやると、ハルの体は徐々に縮まり、やがて大河の膝の上で寝息を立てる、一匹の真っ白な猫に変わった。

 

 

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子じろーが思いつきで付けた名前なので。鼻の色……。

 

 

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