キャットテイル 1

 

 大河が「それ」の存在に気づいたのは残業を終えて疲れはて、ふらふらとようやくアパートに帰り着いた時。
小雨の降りしきる秋の日の夜だった。
部屋に戻り、雨にぬれた頭にタオルを乗せてシャワーに向かおうとした時、不意に心細げな声を聞いた気がした。
聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの所で、その声は窓辺から大河に呼びかけている。
大河は窓辺に寄って耳をすませた。
……何も聞こえない。
気のせいだったのだろうかと、再び歩きかけたその時。
「しんじろう!」
今度は明確に聞こえた。
大河は窓を開け身を乗り出す。
冷たい霧雨が顔の皮膚を湿らせていく。
「誰かいるの?」
こんな場合でも近所の迷惑を考えて、大河は小声で闇に向かって問いかけた。
返事がなかったので、もう一度。
「そこに、誰かいますか?」
すると、ためらいがちに、けれどもしっかりと、細く、高く、自分を呼ぶ声が大河の耳に届いた。

 

 

 「それで、その格好なのか?」
不機嫌そうな昴を前に、大河は曖昧な笑顔を浮かべた。
その腕の中には真っ白な猫が心地良さそうに眠っている。
長毛でも短毛でもなく、やわらかで細い被毛はとてもなめらかだ。
素晴らしく長い尻尾だけは長毛種のようにふさふさとしていて、今は抱かれている大河の腕をからめるようにしなっている。
その猫の頭を撫でてやり、大河は溜息をついた。

 「この猫、雨のせいで寒くて凍えて死にそうだったんです。アパートの庭で鳴いていたんですよ」
助けを求めるか細い声を聞いてしまった大河は必死で庭を探しまわり、灌木の下からついに猫を発見した。
名前を呼ばれたように思ったけれど、外に出てみればそれはまぎれもなく猫の鳴き声だった。
ようやく発見した猫は雨にぬれ、冷え切った体は絶え間なく震えており、目を開ける事もできない。
大河は服が泥だらけになる事もかまわずに猫を抱き上げると部屋にとってかえした。
温度を上げる為に備え付けのストーブをつけ、おろしたてだったタオルで必死に体をかわかしてやった。
けれども小さな命はどんどん声を小さくしていき、今にもその存在はかききえてしまいそうだった。
「大丈夫、ぼくが絶対助けてあげるから」
マッサージするようにタオルで猫の体をこすり、体温を上げてやる。
毛皮に水気が完全になくなってから、大河は服を脱ぐと猫をだきしめ、自分ごと大きなバスタオルでぐるぐる巻きにした。
「がんばれ、大丈夫、大丈夫だからね」

 大河はそのままの格好で夜をすごした。
部屋には朝日が差し込み、雨は完全にやんでいた。
抱きしめていた猫はふいに身じろぎすると、大河の腕をざらざらの舌で舐めた。
「わひゃあ!」
いつのまにか眠ってしまっていた大河はびっくりして目を覚ます。
猫は大河の腕をすり抜けると、感謝するようににゃあと一声鳴いて、大河の体に頭を押し付けた。
そしてたくさん水を飲み、与えられたツナ缶を残さず食べきったのだった。

 

 話を聞いた昴は溜息を落とす。
「君のアパートはペット禁止だったと記憶しているが?」
「それで昴さんにお願いが……」
「断る」
具体的な願いを大河が言う前に、昴はきっぱりと言い放った。
「そんなあ……」
腕の中の小さな動物に視線を落とし、大河は今にも泣きそうだ。
大河があんまり悲しそうな顔をしたので、昴はつい慌てて発言を訂正した。
「サジータにでも頼んではどうだ」
それは妥当な提案だった。
ダイアナもジェミニも借家住まいだし、リカにはノコがいる。
サジータは唯一自分の家に住み、なおかつ猫が大好きだった。
「そうですねお願いしてみます。ちゃんとした飼い主が見つかるまで……」
腕の中の白猫を愛しそうに撫でてやり、大河は少し寂しげに頷く。
すると猫は大河の言葉が聞こえたのか、目を覚ましその指をそっと舐めた。
白猫の瞳を見た昴は興味深げに覗きこむ。

 「めずらしいな、青と緑のオッドアイか」
「オッドアイ?」
白猫は昴に視線を移し、大河に向けるのとは違う挑むような表情を浮かべた。
その瞳は右が春の新芽のように透き通るグリーンで、左は深い湖の藍だ。
「左右の瞳の色が違う事をそう言うんだ。大抵は金と銀になるんだが、稀にそれ以外の組み合わせもある。青と緑の瞳の猫はとてもめずらしいから、きっとすぐに貰い手も見つかると思うよ」
「本当ですか? あぁよかった。――な、よかったなお前」
猫は昴をひと睨みしてから大河の腕に頭をすりよせると、気持ち良さそうに稀なる瞳を閉じた。

 

 

ちょっと長めのお話になると思います。20回ぐらい?
能天気かつ全体的に猫。

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白猫以外にもいるそうですが、私は見た事がありません。

 

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