キャットテイル 10

 

 美しく整った青年の唇がさっと広がり耳まで達した。
室内を風がめぐり、すぐに収まる。
「昴さん!」
大河の叫び声を間近で聞き、昴は目を見開いたが誰もいない。
ただ青年が抱えた白い猫が、にゃおん、と大きく鳴いて、小さな白い牙が青年の腕につきたったのが見えた。

 「いたいじゃないか、しんじろう」
眉を寄せたが、美しい青年は白猫を殴ったり叱ったりせず、そっと頭をなで抱きしめた。
「でも、もうぼくのだ」
しんじろうと呼ばれた猫は、青年の腕の中で暴れている。
昴はその様子を息を詰めて、ただ呆然と見守っていた。
頭ではありえないとわかっていても、本能が昴に告げる。
「たい、が……?」
途端に、白猫が痛切な声で鳴いた。
「大河なのか?」
呼びかけると、猫は青年の腕から昴の方へ移ろうと必死にもがく。
猫の滑らかな体を青年はしっかり抱きしめると、さっと身を翻して部屋の奥へ走った。
「待て!」
昴が追いかけると、青年はベッドの枕カバーを片手で素早く外し、暴れる猫を放り込んだ。
「ごめんしんじろう、だってきみ、あばれるんだもん。ちょっとがまんしてね」
そして昴を睨む。
漆黒だった瞳は、いまやすっかり青と緑のオッドアイに変わっていた。
昴も負けない強い視線で青年を睨みつける。
「その猫をよこせ!」
「なんだよ。いらないっていっただろ。もうとりけせないぞ」
「無効だ。その猫は猫じゃない。人間だ!」
「いまはねこだよ。もうけいやくしちゃったし」
「契約……?」
枕カバーの中の猫も静かになって言葉を聞こうとしている様子が伝わってくる。

 青年。シロは大河の入った枕カバーの袋を昴の視界に入らないよう背後に隠した。
そうしてから、口を尖らせる。
「きみがいらないっていって、ぼくがもらうっていった。ぼくがかえすっていうまでは、しんじろうはぼくのもの」
「ふざけるな!」
昴は叫び、枕カバーに手を伸ばした。
シロは、するり、するり、と、昴の手をかわす。

 

 枕カバーの中の大河は振り回されて目が回ってきた。
昴もシロも、見事なまでに足音がないので、予測できない動きに対処しきれなかった。
薄い布から、人影が動く様子だけが見える。
世界がぐるぐると回転し、カバーの中でひっくりかえる。
大河は抗議の声をあげた。
思わず中で前足をふんばりふと気づく。
丸い前足の先端、力を入れると細く尖った爪が見えた。
もう一度振り回され、袋の中で一回転した瞬間、大河は思い切り布地をひきさいた。

 袋から飛び出した白猫を、シロは急いで捕まえようとした。
けれども大河はすばやく体をひねり、音も立てずに着地する。
「昴さん!」
名前を呼んだつもりだったが、実際には、猫がにゃーと叫んだだけだった。
昴はすかさず手を伸ばす。
「大河!」
飛び込んできた猫を小脇に抱え、昴はさっと身を翻した。

 駆け去っていく二人をシロは追わなかった。
アパートの窓から身を乗り出し、振り返らずに走る一人と一匹に向かって叫ぶ。
「すぐじぶんからかえってくる! まってるからねしんじろう!」
言うだけ言うと、すぐに頭を引っ込める。
そしてベッドの上に横になり、満足そうに喉を鳴らした。
「すぐもどってくる……」
そうなったら、このさきずっと新次郎と一緒にいられる。
なぜなら、新次郎はもう自分の物だし、彼は戻ってこない限り人間にも戻れない。
もしも帰ってこなくても、前とは違ってすぐに居場所がわかる。
今、大河とシロとは特殊なエネルギーの糸のような物で繋がっていた。

 かつては昴と大河とで繋がっていた、不可思議な絆の証し。
なんとなくお互いの場所や危機などを察する事のできる霊的な力。
昴がネコなどいらない。お前にやるといったあのとき、シロはその力をしっかり自分のものにしていた。
運命の糸と呼ばれる事もあるそのエネルギーの流れを、シロは体中で感じる。
大河と繋がっていると思うと幸せだった。
しっかり眠ったら、何か食べてしんじろうと迎えにいこう。
そう考えて、シロはベッドの上に丸くなった。

 

 

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ネコ、誘拐。

 

 

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