キャットテイル 5

 

 大河は自分の身に起きた異変に対処しきれていなかった。
まず、まだ夢をみているのだと思った。
猫が喋っていて、そして自分も猫になっているなんてありえない。
「わー! うわー! わひゃあー!」
叫ぶのだが。
「うるさいよーしんじろうー」
拾ってきた白猫はパタパタと耳をふって、けれども楽しそうに、にゃーと鳴いた。
大河は四本の足で立ち上がると、相手の猫に詰め寄る。
「ぼくを人間に戻してよ!」
「え? なんで?」
心底不思議そうな表情。
大河はじれったくて涙が出てきた。
「だって、ぼくは人間だもの!」
「にんげんはいろいろめんどうだよ、しんじろうだっていってたじゃないか」
「でもっ、猫じゃ困るんだ!」
「こまらないよ、ためしてみればいい」
白猫は立ち上がり、ぴんと張ったひげを揺らす。
「もししんじろうがこまっても、ボクがたすけるから」
「今困ってるよ……」
「あははははっ!」
新次郎って、本当に面白いね、とそう言って、猫は転げまわって笑っている。

 大河は溜息をついた。
とりあえず、どうにかしてもとの体に戻らない事にはどうしようもない。
けれどおそらく自分を元に戻せるのは、目の前のこの猫だけだ。
「ねえ……」
「なあに?」
「君、人違いをしているんじゃない?」
「ひとちがいなんかしてないよ」
不満そうに、猫はしっぽを揺らした。
けれど大河も自信なさげに耳を反らし、上目遣いで告白する。
「だってぼく、君を助けた記憶がないんだ」
「えー、おぼえてないの? しんじろう」
驚いた顔をすると、猫の尖った歯がきらりと光って見えた。
「でもしょうがないか、ボクもしんじろうもちっさかったからなー」
「ぼくも?」
「そうだよ、しんじろーはちいさくて、まだおにわのこすもすとおなじぐらいのせたけしかなかったよ」
「それ、絶対ぼくじゃないよ!」
なにしろ自分が紐育に到着したのはほんの一年前なのだから。
子供の頃は、はるか遠い日本にいた。
この猫が日本からわざわざやってきたとは思えないのだけれど、
「しんじろうだよ。ふたばおかあさんもおぼえてるよ」
「!」
それは確かに母の名前。
「ねえしんじろう、そんなににんげんにもどりたいの?」
大河は猫に申し訳ないと思いつつも頷いた。
すると猫は少し残念そうにひげをしおらせて、提案してくる。
「じゃあ、しんじろうが、ぼくのなまえをおもいだしたら、にんげんにもどしてあげるよ。わすれちゃたんでしょ?」
「え?! 名前?!」
そんなの最初から知らない、そう言いたかったのだが。
「だって、しんじろうがつけてくれたなまえだもん」
「ぼ、ぼくが?!」
「そうだよ。いろんなにんげんにかわれたけど、ボクのなまえはさいしょにしんじろうがつけてくれたなまえだけ。ほかのにんげんがつけたなまえなんかじゃ、ぜったいにへんじしたりしないんだ」
「そんなあ……」
「すごく、すてきななまえだよ。でもそれまではボクのこと、シロってよぶといいよ」
「シロ……」
呼ぶと、猫は途端に嬉しそうに目を輝かせた。
「ああ、やっぱりしんじろうがよぶとすごくいい。いろんなにんげんが、みんなおなじようななまえをつけるんだ。しろとか、ゆきとか」
大河も、てっきり、過去の自分は目の前の猫に、シロと名づけたのだと思っていた。
けれども今そう呼べということは、実際には違う名前を付けたのだろう。
「しんじろうがつけてくれたなまえはボクのたからものだ。ほかのにんげんがつけたのとはぜんぜんちがってるし、なによりすてきだもの」
宝物だ、という猫の表情は本当に幸せそうだった。
けれども大河は自分のつけたという猫の名前がまったく思い出せず、心の底から困惑していた。

 

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私も記憶にある一番最初の飼い犬の名前が思い出せません…3歳ぐらいの時の。

 

 

 

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