わいるどらいふ 7

 

 向かい側の茂みからゆっくり姿を現したのは、まだ若い虎だった。
新次郎は逃げることも隠れることも出来ずにその場に固まってしまった。
心臓がどきんどきんと大きく脈打って動けない。
幼い新次郎でも、今声を出してはだめだということはわかっていた。

 虎はまるで毎日歩いている散歩道を歩くような足取りで堂々と遊歩道を歩いていたが、空気の匂いを嗅ぐようなしぐさの後、新次郎に気づいた。
「ひゃっ!」
視線があった瞬間、思わず声が出る。
虎は大きくあくびをし、その場で足をつっぱって伸びをした。
そのままネコのように転がって腹を出し首をかしげて新次郎を覗き込むようなしぐさで見つめる。

 その様子がとてもかわいらしかったので、新次郎の動悸が少しだけ治まった。
虎はゴロゴロと転がり、時折止まっては、どう? というように新次郎を覗く。
しかしいくら普段からのんびりとした新次郎でもさすがに虎に近寄ったりはしなかった。
相手がどんなにかわいらしくても虎は虎だ。
巨大な前足はそれだけで新次郎のあたまほどもある。
けれども新次郎はさっきまでのように怯えてはいなかった。
少なくとも目の前の虎はいきなり襲い掛かってくる様子がなかったから。
前を向いたまま、そーっと後ろに下がってみた。
すると虎はサッと体を起こし、むっくりと立ち上がる。
「……!」
あわてて立ち止まったが遅かった。
虎はゆっくりとした歩調のまま、新次郎の目の前まで歩み寄り、硬直している子供に鼻を寄せて匂いを嗅ぐと、再びごろんと転がった。
重量があるせいで転がっただけでもドサリと結構な音が鳴った。
新次郎はその場に飛び上がってしまったが、やはり虎が何もしてこないようなので、まばたきしてじっと虎を見る。

 虎はさっきと同じように、転がっては新次郎をチラリと覗き、アピールするようにして腹を見せた。
そのしぐさに新次郎は覚えがあった。
「なでてほしいの?」
栃木の実家で飼っているネコが甘えているときそのもののしぐさだ。
声をかけると、虎はゴロゴロと上機嫌なネコの声を100倍にしたような恐ろしい喉の音を鳴らしながら前足を新次郎に伸ばす。
新次郎は背後の茂みに張り付くようにして立っていたが、ひっくりかえってご満悦の虎に一歩近づいてみた。
目の前に、虎の美しい金と黒のシマシマ。
おなかの毛は真っ白で、前足は巨大なホットケーキのような色だった。
新次郎がしゃがむと、虎のゴロゴロがますます大きくなる。
虎の目はあきらかに、「なでて」と言っているのだけれど、怖い以外にも、いけないことをしているようで、新次郎は周囲をきょろきょろとうかがった。
いつまでも触ってくれないことがじれったかったのか、虎がぐるる、と甘えた声を出す。
甘えているとはいえ、その声は重低音のうなり声。
聞くものが聞けば震え上がって泣き出しただろう。
しかし新次郎にはその虎の不釣合いな甘え声が面白かったらしく、あはは、と声に出して笑い、ためらっていた手を伸ばす。
どきどきしたけれど、手のひらが近づくと虎は転がるのをやめてじっと新次郎を待っていた。
おなかの毛は見た目よりも固かったけれど、とてもあたたかくてふかふかだ。
「わあー……」
一旦触ってしまうともう怖さは消えて、もふもふとおなかの毛を撫で回す。
虎の方も満足だ、というように目を細め、ぐるぐると喉を鳴らした。
「いいこだねえー」
ホットケーキみたいだと思った虎の前足が、ぶらぶらと揺れている。
「あ、でも、だっそうはわるいこですよ」
めっ、と叱ると、虎は気まずそうに目をそらした。

 虎をなでていたのは数分だったけれど、遠くにざわざわと人の声が聞こえ始めて新次郎は顔をあげた。
遠くの通路を低い姿勢で慎重に歩いている数人のグループが見えた。
手には大きな黒々とした銃を抱えている。
新次郎はハッとしてひっくりかえってご満悦の虎をみた。
「たいへん、おきて!」
おなかをゆすってみるが、虎はびくともしない。
「はやくおうちにかえらないところされちゃうよ!」
もう怖かった気持ちなど全部ふきとんで、新次郎は虎の背中側から、うーん、と力を入れておした。
さすがに虎もぐいぐいと押されて居心地が悪かったのか、起き上がり腹ばいになる。
「ねてちゃだめー! おうちにかえるの!」
大きな声を出した瞬間、向こうからやってくる大人たちと目が合ってしまった。

 

 

 

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虎、かわいいです、たいがと同じぐらい。

 

 

 

 

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