わいるどらいふ 4

 

 サジータは目当ての売店で熱いコーヒーと、新次郎のためのオレンジジュースを入手して息をついた。
本当なら休憩所でのんびりとコーヒーを飲んで行きたい所だが、新次郎を放ってあるのでそうもいかない。
「姉さん、子供と来てるならドーナツもどうだい?」
売店の若い黒人青年が陽気に聞いてくる。
「甘やかすとろくなことにならないからいいよ」
片手を振って断ったのだが、青年はカウンターのバスケットに入ったドーナツをひとつ紙ナプキンに包んで差し出した。
「あんた弁護士のサジータさんだろ、俺、ハーレムに住んでるから知ってるよ。前に俺の叔父が弁護士を雇えなくて冤罪なのに懲役になりそうだったとこを助けてもらったって言ってた」
青年は穏やかに笑い、
「この仕事、叔父さんに紹介してもらったんだ。元を質せばあんたのおかげと言えなくもない。だからこれはサービスだよ」
「ナマイキだねえ」
そう言いつつも、サジータは嬉しそうに青年からドーナツを受け取った。
自分の仕事の成果で誰かが救われ、結果、青年の仕事にもつながったのだと思うと嬉しい。
ささやかではあったけれど、彼が渡してくれた報酬がなによりの幸せだった。
「サンキュ。叔父さんにもよろしくいっといとくれ」
そう言って立ち去ろうとした時だ。

 園内に低くサイレンの音が響いた。
狼の遠吠えのように長く、徐々に高くなり、繰り返す。
「なんだいこれ」
眉を寄せ売店の青年を振り返ったが、彼も怪訝な顔をしていた。
「……なんだろう、サイレンなんて訓練のときぐらいだ」
サイレンはまだ鳴り止まない。
「とりあえずツレのところに戻るよ。これ、預かってておくれ」
買ったばかりの飲み物と、もらったドーナツをカウンターに置き、サジータは走り出す。
サイレンはその間も鳴り続けていたが、サジータが鳥のエリアに足を入れたとき、
《緊急事態です》
うなるような音だけだったサイレンの途中にアナウンスが挟まった。
緊急事態です、と、やけに冷静に言ったきり、なかなか続きを伝えて来ない。
足を止めて情報を聞き逃すまいとサジータは耳をすませた。
周囲の人々も同じように不安げな様子で音の微粒子をさぐるように上空を見上げている。
《……危険な動物が檻を逃げ出しました。これは訓練ではありません。全員パークから避難してください》
周囲が一気にどよめく。
「なんだって!?」
サジータは怒りに任せて叫ぶと再び走り始めた。

 周囲の客達とは逆方向へ息を切らせ全速力で走り抜ける間、サイレンと避難を呼びかけるアナウンスは途切れることなく続いていた。
草食獣のエリアが見えてくると、サジータはすぐに新次郎を探した。
「新次郎!」
大声を出し、子供を呼び寄せる。
しかし周囲を走って逃げ惑う親子やカップルの中に、自分のツレである子供の姿はない。
「新次郎! どこだい!」
叫んであたりをむやみに駆け回ったが、やはりどこにもいない。
「あの馬鹿! 絶対にここにいろって言ったのに!」
悪態をつきながら地団太を踏み、サジータはさらに奥の肉食獣エリアに入ろうとした。
「お客様、この先には入れません!」
途端に客を誘導していた係員たちに行く手を阻まれる。
「ほっといておくれ! あたしのツレの子供が見つからないんだよ!」
無理やり通ろうとするのだが、係員達も必死だった。
「この先は危険です! それに、肉食獣のエリアにはもう誰もいません。俺達が確認しながらこっちに誘導しているので間違いありません」
「でも入り口からここまでの間にいなかったんだよ!」
口論している時間も惜しかったのだが、係員達も一歩も引かない。
「本当にいません。もし入り口からここまでの間にいなかったのなら、肉食獣エリアの向こう、小動物のエリアから、反対側の出口に向けて避難しているのかもしれませんよ」
肉食獣のエリアから、パークを二分するように客達を誘導しながら避難している、と、彼らは説明した。

 しかしサジータの探している子供はよっぽどの事がないかぎり、約束をやぶって勝手に遊ぶような奴ではなかった。
草食獣のエリアから出ないと約束したのだから、あの子は何か問題がない限りそれを守る。
万一避難誘導のアナウンスに従うなら、やってきた入り口の方へと向かうだろう。
サジータもいるし、なによりそちら側の道しか知らないのだから。

 

 

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危険な動物より昴さんのほうが怖い。

 

 

 

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