わいるどらいふ 1

 

 「すばるたんまだかなー」
新次郎は朝一番で楽屋に入った昴に付き合って、早朝からシアターに来ていた。
初日を迎える公演の準備で、シアター内はあわただしい雰囲気に包まれている。
けれど当然ながら新次郎には手伝えることなどないので、せいぜい邪魔にならない場所へ預けられていた。

 すなわち、サニーサイドの部屋だ。
まだかなーむかえにこないかなーと、独り言にしてはやや大きめの声でつぶやきながら、らくがき帳をうめていく。
サニーは新次郎の向かい側のソファに腰掛け、彼につきあってかミルクを飲んでいた。
「大河君、悪いんだけど、今日昴は夜にならないと帰れないんだよ」
昼からの初回公演のあと、雑誌のインタビューが何件か入っていた。
その後はまた夜公演が始まるので、昴が自由になれるのは21時過ぎだ。
「よるって、おゆうはんぐらいのじかんでしょうか」
「うーん、君が寝る時間ぐらいかな」
そう教えてやると、新次郎はとても驚いた顔をした。
そんなに遅くまで昴と会えないとは思っていなかったのだろう。
「きょうはずっとあえないんですか?」
「どうかなー」
ミルクの甘い味に眉をしかめながら、サニーサイドは大して深く考えずに返事をした。
しかし聞かされた幼児の方は口をへの字に曲げてすでに何かをこらえる表情になっている。
「おおっと、冗談冗談。昼食の時間は一緒に食べに来ると思うよ」
「よかったあ……」
以前の昴だったなら、忙しい時間、初回公演直前にのんびり食事をしたりはしなかっただろうが、今は小さくなってしまった新次郎がいる。
今の昴は無理をしてでもこの小さな恋人のためにささやかなランチの時間をどうにかねじ込んでくるだろう。

 舞台の内容が明るく楽しいものであったなら、新次郎が舞台の昴を見学することを誰も止めない。
この小さな新次郎は、幼くてもとても行儀がよく、客席でじっと公演を最後まで見ることは難しくない。途中で眠ってしまうことはあっても騒いだりすることはなかったから。
実際、過去、リカが主演になった「オズの魔法使い」は最初から最後まで、真剣に舞台を見ていた。
さすがに一人きりで見せるわけには行かないから、保護者としてラチェットが隣についたが、何も問題はなかった。
しかしながら、今回は「マダム・バタフライ」の再演だったので、昴の意向もあって新次郎には見せないことになっていた。
内容が戦争と不倫、ましてや最終的に昴の役どころであるバタフライは自害してしまう。
演技であってもそんな場面は見せたくなかった。

 かくして、新次郎は公演のあいだ、サニーサイドに余裕があるときは支配人室で留守番をする事になった。
しかしサニーの予想に反して、昴は昼前どころか衣装とメイクが終わった時点で新次郎に会いに来た。
「すばるたん!」
顔中を笑顔にして新次郎は昴に抱きつく。
「待たせてごめんね」
子供の頭を愛情こめて撫で、昴は新次郎を抱き上げた。
「衣装が皺に……」
思わずサニーサイドが口を挟みかけたが、昴の一睨みで黙った。
和服を着ているせいか心なしか迫力が増している。
しかし新次郎はサニーの言葉を聞いていた。
「すばるたん、おきものしわになっちゃう?」
そんなことを心配してくれる新次郎が愛しくて、昴は頬にキスをしてあげたい衝動をこらえた。
化粧もばっちり完成していたので仕方がない。

 「大丈夫だよ。僕は着物に慣れているから、こんなことで皺をつけたりしない」
「すばるたん、きれいですね!」
えへへ、と笑って、新次郎は昴を見上げた。
思わぬことを言われて昴は頭の中で、彼の言葉を大きな新次郎の声で再生してみた。
「昴さん、きれいです」
そんな風に言って、照れたように笑う彼を思い出し、少し切ない気分になった。

 「少し早いけれど、昼食をと思って来たんだ」
「おひるごはん?」
まだ十一時半だったけれど、昼公演は一時からだったので、ゆっくり食べる新次郎のことを考えるとギリギリだ。

 楽屋に戻ると忙しい合間を縫ってプラムが用意した食事がテーブルの上に並んでいた。
部屋の中はファンが送ってくれた花であふれている。
花畑のような中での食事に新次郎はご機嫌だった。
さっそくホットケーキから手をつけようとして、それはデザートでね、と、昴がやさしく皿を戻す。
他の料理も好物ばかりだったので、新次郎も別段不満を訴えたりせず、差し出されたサンドイッチをニコニコ顔で頬張った。
その様子を自愛に満ちた表情で眺めるだけの昴を、サジータがからかう。
「あんた、幸せそうにしてるけど、メシ食べないの? いらないならあたしが貰っちゃうけど」
「ああ、この衣装だとあまり食べられないんだ。食べたいならどうぞ」
からかったつもりだったのにそんな風に返されて、サジータもつい奪いかけたサンドイッチを皿に戻してしまうのだった。

 

 

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新次郎の食べてるとこを見て幸せ。

 

 

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