病院の怪談 79

 

 大河は朝早く、前日に訪れた少年の家へもう一度向かっていた。
昨日あのあと、昴に事情を説明したら、君にすべてをまかせると言ってくれた。
なんだかすこし苦笑していたのは、大河が律儀にも、飴玉を貰った下りまで話したせいだ。
「僕よりも、君が行った方がきっと話を聞いてくれる」
昴はやさしく頷くと、いとしい男の前髪を指先ですくった。
「僕はつい理詰めで事をすすめたくなるけれど、こういう場合は情に訴えたほうがいいから」
昴さんだって十分、情に訴えられると思った大河だったけれど、その昴が大河の心を読んだように首を振った。
「正論をつきつけられては余計に動きにくい場合もあるんだよ。それに君のほうが見た目が穏やかだから」
「はあ……」

 そんなわけで、大河は今日も一人で少年の家へやってきた。
前日との違いは、家の前に真新しい大人用の自転車がとめられていることだ。
どうやら少年の母はこの自転車で毎日仕事へむかっているらしい。
呼び鈴を鳴らして応答を待つと、中からあわただしく室内を駆け回る音が響いてすぐに扉が開いた。
出てきたのはまだ若い女性だ。
あの少年の母なら妥当な年齢だろうけれど、二十代後半といったところだ。
女性は大河を見て不思議そうにまばたいた。
「郵便やさんだと思ったんだけど……」
少しだけ不快そうに眉を寄せる。
「何かごよう?」
「あ、あの、ぼく」
大河は急いで事情を説明し始めた。

 病院からきたこと。
少年が寂しがっていること。
「会いに行ってあげてください。かれ、すごく不安なんです」
「……」
女性は大河の言葉に息を呑み、頭痛をこらえるように片手でまぶたを押さえた。
大河にむかって辛抱強い教師のように、感情を抑えた声を出す。
「あのね、私だってそうできるならしているわ」
大きくため息をついて、口を引き結んだ。
「面会時間には仕事が入っているの。少なくとも、あと一週間は会えない」
「ちょっとだけでも……」
「あの子には言っていないけれど、入院していないと命にかかわる病気なの。入院費用を稼がないといけないのよ、わかる?」
いらだちを表にださないよう、気をつけて喋っていることが、大河にも伝わってきた。
きっと本当は優しい人なのだろう。
息子の命を守るために必死なのだ。
しかし大河の方も必死だった。
あの少年は、いま寂しさのあまり、頭の中にある理想の「娘」を夜中に投影している。
それほど少年の心の寂寥は深刻だった。
あのままではもし病気が治ってもきっとなにか悪影響がある。

 大河はキッとあごをあげ、女性の顔を見た。
疲れきって、そして彼女自身、寂しがっている。
「あの子のパパに助けてもらったらいいじゃないですか。入院してるって話したら……」
途端、落ち込んでいるようだった女性が柳眉を吊り上げる。
抑えていた怒りが一気に噴出したような顔だった。
「子供が口を出していい問題じゃないわ。私は私一人の力であの子を育てると誓ったの」
完全な拒絶に、大河は臆することなく続けた。
「それは自分のプライドのためですか?」
またしても子ども扱いされてしまったことに関してはとりあえず黙っている。
いまや目の前の女性は大河の言葉にまったく聞く耳を持っていない様子だった。
痛いところを突かれ、怒りで思考が停止している。
ただでさえ、子供の病気や、それにともなう金銭的問題で悩んでいたのだろう、そこへ見知らぬ子供が尋ねてきて、悩んでいたことをズバリズバリとえぐってくる。
昴の、「正論をつきつけられては余計に動きにくい場合もあるんだよ」という言葉がいまさら頭に響いた。

 「私は仕事に行く時間なの。もう帰りなさい」
これ以上議論の余地なしと判断したのか、女性はきっぱりというと不機嫌そうに扉を閉めてしまった。
「あっ……」
大河がとめる間もなかった。

 とぼとぼと道を歩く大河の後からクラクションが鳴り、すぐ横にリムジンタクシーが横付けされる。
「大河、これから病院だろう。乗っていかないか?」
「昴さん」
消沈しながら車に乗り込むと、昴はすべてを了解しているかのように頷いた。
「大丈夫、君の言葉は彼女の心に届いたよ」
「そうでしょうか……」
「今は意固地になっているけれど、時間を置けばきっとなにが大事なのか気づく」
「でも」
まだ不安そうな大河に、僕の言うことが信じられないのかい、と、笑って、昴は大河のくせっ毛を、子供にするようによしよしと撫でてくれた。

 

 

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 本当はいつでもよしよししたい昴さん

 

 

 

 

 

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