病院の怪談 11

 

 その日、昴は深夜の病院の廊下を一人歩いていた。
昼間は大河が、おろらく怪奇現象の原因と思われる少年の母親と話をしてくれて、解決も近いのではないかと思われた。
けれど原因がなんであれ、あらわれる女の子の正体がわからないのも事実だ。
自分たちの予想が外れ、少年の心が癒されても現象が続くような事態になってはまずい。
興味本位で調査しているだけならそれでもいいが、それが任務なのだから、間違っていました、最初から考え直します、では昴のプライドが許さなかった。

 あらゆる角度から現象を解明すべく、昴は少女が現れるのを待つ。
しばらく病院内を歩き回った後、廊下の角の向こうから、楽しげな幼い笑い声が響いてくるのを聞いた。
その声はただ無邪気に遊んでいるだけの子供の声であったけれど、昴は苦笑する。
なるほど、深夜の病院内で子供がキャッキャと笑う、あの声は不気味だ。
よほど肝の据わった人物であっても震え上がるかもしれない。
けれどもちろん昴は震え上がったりしなかった。
音を聞いたあとの変化は、すこし歩む速度を落とし、慎重に近づいたことだけ。

 

 角を曲がると、金髪巻き毛の少女ははっきりとそこに存在し、病院施設に遠慮なくらくがきをして遊んでいた。
白いチョークで廊下や壁に奔放な絵を描く。
昴は気をつけながら接近したが、やはり霊的なものは感じられなかった。
ほんの数歩の位置まで近づいても、彼女は振り返らない。
「やあ、何を描いているんだい」
静かに声をかける。
彼女は廊下に飛び石のような円を沢山描いていた。
「この丸のなかを、けんけんしてとぶの」
昴を警戒する様子を微塵もみせず、屈託なく少女は答える。
「それは楽しそうだ」
見守っていると、やがて円を廊下の隅から隅まで描いてしまった。
昴は円のふちにそっと触れてみる。
指先には白い粉が付着した。
少なくとも、彼女の描いた絵は、投影された幻覚などではなく、紛れも無く実体を持った物質だ。

 「さわったら丸がきえちゃうよ!」
怒った声で言われて昴はすぐに謝罪した。
「きれいな円だね。絵が上手だ」
しかし昴のほめ言葉に、彼女は感銘をうけてはいないようだった。
当然だといわんばかりに、ふん、と、鼻をならし、廊下の奥へ駆けていく。
「そっちまでけんけんしていくから、はみ出さないか見ていて」
スキップするように、彼女は円の中をはねた。
円の真ん中を、つま先だけで。
最後までバランスを崩すことなく、彼女は見事に廊下のラクガキを制した。
ふりかえった彼女に、昴は頷いて見せた。
「ちゃんと見てたけど一度もはみ出さなかった。とても見事だったよ」
今度の賛辞には、彼女も満足そうに笑う。
タタタ、とかろやかに昴に駆け寄り、その手を握った。
「あなた、ちっとも怖がらないんだね」
彼女の手は、運動した子供にふさわしく、とてもやわらかく、そしてあたたかかった。
昴は笑う。
「怖がる? 夜の病院を、かい?」
「ちがう。あたしのこと」
「ふうん、よくわからないな」
もちろん昴はわかっていて答えをごまかしたのだが、彼女は初めてとてもうれしそうに笑みをうかべた。
それからすぐに、視線を斜め下に落として下唇を尖らせる。
「みんなすごく怖がる。あたしを見た瞬間ににげてくよ」
「変わった人が多いんだな」
あきれたように言ってやると、そのとおりだというように、彼女は神妙に頷いた。

 

 少女は握っている昴の手を胸の前に持って行き、力をこめる。
瞳には子供が懇願するときの甘い光。
「ねえ、もっと一緒に遊ぼう」
「いいよ」
初めて謎の存在である子供と通じることが出来たので、昴はさらに新しい発見を求めた。
彼女のすべてを解明できれば、少年の方を解決しなくとも事件を収集する手段があるかもしれない。
今夜終われるのならそれが一番てっとりばやい。
そう考え頷くと、少女はパッと顔を輝かせた。

 

 

 次の瞬間、昴の目の前、少女以外の風景がすべて変わった。
一瞬前には何も予兆らしきものもなく、紙芝居のページをめくるように場面が変わっていた。
さっきまでいた廊下は視界から消え、今、昴は唐突に、少女と共に曇天の病院屋上に立っていた。

 

 

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 昴さん拉致される

 

 

 

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