病院の怪談 78

 

 大河は少年の実家へ向かった。
何ヶ月も入院している少年が、きっと、ずっと帰りたいと願っている家だ。
彼が戻れないのに、自分は容易く訪れることができるという現状に、複雑な思いを抱く。

 彼の家はごく普通のアパートだった。
裕福層が住むような高級なアパートではなかったけれど、決して貧しい人々が住める建物ではない。
そもそも貧しい家庭の子供は何ヶ月も子供を入院させたりできないだろう。

 大河は少年の家族が住んでいるはずのドアをノックした。
しかし、しばらく待っても応答がない。
何度かノックをしてみたが、やはり中から人の気配はしなかった。
しばしその場で考え込んでいると、隣の部屋の扉が開いて、若い黒人女性が部屋着のまま顔を出した。
大河の様子を不審そうに上から下までじっくり観察したあと、
「あんたその家になんのよう?」
と、ぶっきらぼうに聞いた。
あきらかに怪しんでいる彼女の視線に大河は少々たじろいだが、嘘をつく必要もないので正直に事情を話すことにした。
すなわち、自分は病院からきた人間で、入院している男の子について少しお話を聞きたいのだと。
そう告げると、女性はいくらか表情をやわらかくした。
「あんた、あの子の友達かい?」
「は、はい」
友達というほど親しくはなかったけれど、大河は頷く。

 実を言うと、彼女には、大河の容貌が子供に見えた。
だから病院からきた、と言う大河を、一緒に入院していた友達なのだろうと勝手に理解していた。
「その家のママなら、いまは仕事にいってていないよ」
「え? でも、おかあさんは専業主婦だって……」
パパと離婚したママは、養育費を貰っているから仕事もしないでヒマなのに、と、少年は言っていたそうだ。
黒人女性は肩をすくめて悲しそうな顔をする。
「ぼうやにはわからないかもしれないけれど、入院するってお金がかかるんだよ」
「あ……」
少し考えればわかりそうなことなのに、大河は思い至らなかった自分に少しばかり腹が立った。
子供の病気を治すために働き始め、罪悪感をあたえまいとそのことを我が子には伝えていないのだろう。
女性も同じように感じたようだ。
「お前のために昼も夜も働いてる、なんて言えないだろうさ」
「そうですね……」
大河はうつむいて、目の前の扉をじっとみつめた。
きっとあの子はここに戻りたがっているのに。

 話は終わったと感じたのだろう、黒人女性が部屋に戻ろうと顔をひっこめた。
「あっ、待って!」
大河はあわてて女性をひきとめる。
「ちょ、なんだい」
大河に袖をひっぱられた女性は、近くで見ると少しサジータに似ていた。
隣の家を心配して顔をだし、状況を説明してくれるあたり、ぶっきらぼうに見えるけれど、きっとやさしい女性なのだろう。
「あのっ、旦那さん……、男の子のパパは、どうしているのでしょう!」
勢い込んでたずねると、彼女は少しの間、何を言っているんだこの子は、というように怪訝な顔をしていたが、大河が必死な顔で、
「お見舞いにはきていないみたいなんです。もしかして子供が病気だって知らないんじゃ」
と、訴えると、納得したように頷いた。
「知らないだろうね」
「なんで……」
「さあねえ、でもいろいろあるんだろうさ」
「ぼく、お父さんにも話をしてみたいんです」
しかし今までやさしく話を聞いてくれていた黒人女性は厳しい顔つきで首をふった。
「ひとんちの家庭の事情に首をつっこむもんじゃないよ坊や」
「でもっ、あの子は寂しがってます。お見舞いに来てくれない、愛されていないって」
小さな子供の切ない気持ちを想うと、大河は胸が苦しくなって涙があふれてきた。
ただでさえ病気で心細いのだ。どんなに不安だろう。

 大きな瞳でうるうると訴えてくる大河の瞳にひるんだ女性は、わかったわかった、と苦笑した。
「隣んちはさ、パパもママも悪い人じゃないんだよ。ただ相性が合わなかっただけでさ。ちゃんと事情が伝われば、ママからパパに相談するんじゃないか?」
「ぼくから直接お父さんに……」
勢い込む大河の鼻先に、人差し指が差し出される。
「それはおせっかい。ママにまかせな」
じれったくてもどかしい、とは言い出せず、大河は少しむくれて頷いた。
その様子がますます子供っぽかったのだろう、彼女はカラカラと笑って、ポケットから飴玉を取り出した。
「ほら、これやるから、あんたもかえんな。あんたのママが心配するよ。隣のママは、明日の朝いちならいるはずさ。なんなら私から話して……」
「ぼくが明日もういちど来ます!」
さすがにそこは譲れない。
大河はきっぱりというと、女性から飴玉を受け取るかしばし悩んだ末、ありがたく頂戴して丁寧に頭を下げた。

 

 

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 うっかり、あげる、とか言っちゃって後悔した子供のころ。

 

 

 

 

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