病院の怪談 15

 

 廊下の向こうから聞こえるのは、大河が昨日話し合いをした少年の母親の声だった。
大河は昴と顔を見合わせ、頷いてから二人で言い争いの現場に向かう。
こっそり覗くと、受付の看護婦と喧嘩をしているのは、やはり間違いなく少年の母である女性だ。
もう一人、見たことの無い男性を連れている。

 「面会時間は過ぎています。明日出直してください」
「この時間しかあいていないのよ! 明日もあさっても、その次もずっと」
大河は母親の言葉に胸が痛んだ。
ただの言い訳なんかではなく、彼女には本当に少年に会える時間がなかったのだ。
どんなに会いたくても、働かなければ手術もできず、息子は死んでしまう。
母親の必死の剣幕に、けれど看護婦も一歩も譲らなかった。
「規則ですから、守っていただかないと困ります」
すました顔の看護婦にますます怒りを募らせる母親は、柳眉を吊り上げこぶしを握り、今にも看護婦に殴りかかりそうな勢いだ。
彼女が身を乗り出したとき、それまで黙って後ろに控えていた男性がゆっくり前に出て、女性の手を握った。
いきり立っていた女性は手を握られていくぶん落ち着いたらしく、大きく息を吐く。
それを見届けた男性は、ひとつ頷くと、看護婦に真剣な表情を向けた。
「お願いします。五分でいいんです。息子に会わせてもらえませんか」

 大河と昴は顔を見合わせた。
そうではないかと思っていたけれど、あの母親は元夫に窮状を知られたくない様子だったから、
もしも父親が来てくれることがあったとしても、それはずっと先になるだろうと予想していた。
男性は穏やかに看護婦を説得するのだけれど、やはり看護婦はうんと言わない。
そこへ看護婦の控え室からダイアナが顔を出し、みんなの様子を見回して微笑む。
言い争いの現場に歩み寄ると、意固地になっている看護婦の耳になにやらコソコソと話しかけた。

 話が進むにつれて看護婦の顔色はクルクルと変わった。
ビックリした様子でダイアナを見つめたあと、続けて青くなり、最後にはホッとしたように頷いた。
ダイアナが微笑んだまま同僚から離れると、看護婦は黙って様子を伺っている元夫婦に向き直り、短くため息をついてから、
「わかりました。でも10分だけですよ。時間外ですから、決して大きな声を出したりしないように」

 

 小走りで病室に向かう男女の背を見送りながら、大河は隣に立ったダイアナに、看護婦をどうやって説得したのかと聞いてみた。
ダイアナはやさしい笑みを浮かべたまま、
「彼女は夜の病院をとても怖がっています。夜の見回りもわたしが代わってあげているんですよ」
首をかしげる大河に、コロコロと笑った。
「もし、夜の見回り交代をやっぱり無かったことにしたい、なんて言ったら、彼女はとても困ってしまいますよね」
大河はチラリと振り返り、離れた場所にいる看護婦を盗み見た。
ダイアナは続けて、
「もちろん、もしも、のお話ですよ? 夜の見回りを急にやりたくなくなってしまったのですけれど、このお二人がお子様に会えたら、わたしもがんばれそうです、って、お伝えしたんです」
つまりダイアナは、少年の両親を追い返したら、夜間の見回りを交代してやらないぞ、と脅したのだった。
昴は楽しげに笑い、大河はひきつった笑みを浮かべた。

 

 少年は、もう何十回、何百回と読んだ本の表紙に手を当てていた。
この中に出てくる金髪の少女。
彼女は病気の間ずっと、母親についていてもらっていた。
うらやましくなんかない。
ただ少し、自分の状況とくらべると、不公平だ、と思っただけだ。
そう自分に言い聞かせながら、少女を見舞う母親の挿絵のページを開く。
自分の母親の姿はすぐに挿絵に重ねられたけれど、母親に介抱される自分の姿は想像できなかった。
想像の中の挿絵は、優しいまなざしの自分の母と、金髪の少女。
自分の妄想ですら思い通りにならないことに唇を尖らせて、本を閉じる。

 少年は本を持ったままベッドから起き上がり部屋を出た。
親に見舞われ幸せを満喫した子供たちと一緒にいたくなかった。
こういうとき、少年はいつもきまって一人きりになるために部屋を出て行く。
看護婦や医師に見つかっても、夕方なら散歩だといえば大抵見逃してもらえた。
目的もなく廊下を歩きながら、今日も両親が来てくれなかったことをぐるぐると考える。
今日で22日目だ。
もしも自分が、挿絵の少女のように愛らしい子供だったなら、きっと、両親は毎日見舞いにきてくれるのに。
誰もいない待合室の椅子に腰掛けて、少年は本を胸に抱いたまま、じっとうつむいていた。

 

 

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 ダイアナさんの脅迫

 

 

 

 

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