病院の怪談 14

 

 失いかけていた昴の意識が徐々に明瞭になってくる。
はっきりとした認識が出来る前に、自分の傍にいる人物に気づいた。
気づいた瞬間、安堵で目頭が熱くなる。
なぜここに、という、一瞬の困惑と共に、喜びと感謝があふれてきた。

 昴さん、昴さん、と、狂ったように叫び続ける大河に、すぐにも返事がしたかったが、声帯がうまく機能せず、声が出なかった。
ゆすられ、耳元で大声を出されて、ようやく昴が口にした言葉は
「うるさい」
だった。
しかりつける言葉だったのに、大河は満足したらしく、涙交じりの声で、えへへ、と笑って叫ぶのをやめた。
昴もあふれそうになっている涙が落ち着くまでじっとしていた。

 しばらくしてから昴がもぞもぞと動き始めると、大河も腕の力を緩めて昴を開放してくれた。
立ち上がる昴を上から下まで観察する。
「なんともないですか?」
「無論だ」
しかし大河は疑わしそうな顔。
「でも昴さん、さっき半透明になってましたよ」
半透明というのは控えめな表現で、実際はほとんど消えかけていたと言ってもいい。
しかし昴はそっぽを向いた。
「まあ人間たまにはそういうときもあるだろ」
からかうように言うと、大河はほっぺたを膨らませて、そんなの昴さんだけです、と不満げにつぶやいた。
昴は笑って大河の手を握る。
手をつないだまま院内へ戻ろうと思ったのだが、大河の手に触れた瞬間眉をひそめた。

 いつもの感触と違う。
昴が気づいた途端、大河はあわてて触れられた手を引っ込めようとしたが遅かった。
「なんだこれは」
昴は大河の手を引き寄せ、わずかに明るくなり始めた朝の光を頼りに大河の手をじっと見る。
鍛えていても滑らかだった大河の手のひらは、今、傷だらけでボロボロになっていた。
皮膚が破れ、血がにじんでいる。
「屋上、鍵がかかってたから……」
後ろめたいときに大河が必ずする、伏し目がちの表情で、昴の顔を見ない。
屋上に施錠してあったことと、彼のケガがどんな関係があるのかと、もっと具体的な説明を求めると、
「鎖が巻いてあったので、手でちぎろうかと……」
自分のした行為が無茶だったとわかっているのだろう、大河はわずかに赤面していた。

 昴はそっとため息をついて、大河の手を両手で包み込む。
まだ開いている傷跡からじわじわとあふれてくる血液を止めてやりたかった。
癒しの能力が自分に無いことはわかっていたが、それでもそうせずにいられなかった。
「昴さん……」
「君が来なかったら、僕はどうなっていたかわからない」
目を閉じたままそう伝える。
顔を上げると、大河は泣きそうな顔をしていた。
「痛むのか?」
「い、いいえ」
ごしごしと袖で顔をこすり、大河は鼻をすすった。
「昴さんが無事で本当によかったです」
「僕も、うれしかったよ」
ふふふ、と昴は笑った。
実に素直な気持ちでそういえた。

 昴に手を握られたままじっとしている大河をよく観察してみれば、手だけではなくあちこちボロボロだった。
シャツは裂けているし、ズボンはホコリだらけ。
見えないけれど、あの様子だと服の下には痣が沢山ありそうだ。
大河はさっき、鎖を手でちぎろうとしたと言ったけれど、それでちぎれたとは言わなかった。
振り返れば、病院の中へと続く扉がひしゃげてふきとんでいるのが目に入る。
おそらく鎖を外すことができなかった大河が、力任せに体当たりした結果だろう。
扉と格闘した結果がこの有様。
叱り飛ばしてやりたかったが、昴はさっき感じた素直な感情に身をゆだねることにした。
「……大河」
「はい」
「……ありがとう」
イヤミも悪態も屁理屈も言わず、本当に伝えたいことだけを口から音に出す。
たまにはこういうのも悪くない。

 

 

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 実は一度この回、うっかりデータを消失してしまい、書き直したいわくつきの回。

 

 

 

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