病院の怪談 13

 

 大河はそのとき全速力で病院の階段を駆け上っていた。
胸が激しく動悸して破裂してしまいそうだった。
「昴さん!!」
病院だというのに、大河は全力で叫んだ。
夜になってからわけもなく急に胸騒ぎがして、予定もないのになんとなく病院に入り込んだのはついさっきだ。
どうせ取り越し苦労だろうと思いながら覗いた昴のベッドに主人の姿はなく、あわてて病院内を駆け回っても昴はみつけられなかった。
廊下には白いチョークで描かれたたくさんのラクガキ。
しかし描いたと思われる例の少女の姿はない。
嫌な予感が全身を駆け巡る。
不思議と、昴がまだ病院の中にいるという確信があった。

 大河はあせる気持ちを必死で抑え、立ち止まる。
呼吸を強引に整えて意識を集中した。
「昴さん……」
いとしい相手を頭に思い浮かべ、全神経を研ぎ澄ませ気配を探る。
焦燥感を押さえ込み、意識して拍動をゆるめながら。
そうしていたのはほんの数秒間だったが、極限まで集中していた大河には、その数秒が一時間にも感じた。
「!」
頭の中に、火花のようにかすかな輝き。
大河はハッと顔を上げ、次の瞬間、ミサイルのように駆け出した。
階段を一息で駆け上がる。
屋上に出る扉は閉じていたが、大河は勢いを落とさず扉に向けて激突した。
チェーンが巻かれていてひらかない。
「昴さん!」
ドンドンと扉を叩いたが返答はなかった。
しかし大河の確信は揺るがない。
屋上に、いま、目の前の扉の先に、昴はいる。
大河は鎖をつかみ、扉に足をかけ、渾身の力をこめて引っぱった。
「うおぉおぁあーーーー!!」
鎖を握る手のひらの皮膚が摩擦で破れ、ポタポタと床に血が赤い染みをつけていく。

 大河がどんなに全力をかけても鎖は千切れなかった。
しかし鎖が巻かれていた扉のノブは負荷に負け徐々にゆがみはじめ、ついに根負けしたようにガキン、と鈍い音を立てて外れた。
大河はすかさずノブに飛びつき、ねじるようにしてもぎ取ると、力任せに扉に体当たりした。
もう一度、もう一度。
三度目の体当たりでドアは屋上に向けて吹っ飛んだ。
「昴さん!!」
そこで大河が見たものは、ほとんど消えかけ、真夏の夜の薄いカーテンのように白く透き通る昴の姿だった。
体はほとんどがすっかり消え、いまや頭部がわずかに煙るのみ。

 大河はドアを破った勢いのまま走り、相手が昴だという遠慮もなく、かげろうのように、はかなくなった昴の影に両手を伸ばして激突した。
ごろごろと床を転がり、ぜえぜえと荒い息をつく。
そうして腕の中、たしかに抱きとめた存在を見つめた。
消えかけた昴の体。
不安とともに見つめていると、大河の腕の中で徐々に、けれど確実に、色を濃くしていく。
けれど昴はなかなか目をあけない。
「昴さん!」
ぴくん、とまつげが震えた。
「昴さんっ!」
涙交じりの絶叫。
「目をあけて!」
力をこめて抱きしめて、大河は昴を必死にゆすった。
かすかにうめき声が返ってきたのは透き通っていた昴の体から床の輪郭が見えなくなってきた頃だ。
「う……」
「昴さん!?」
大声で名前を呼び昴の頬を両手で覆う。
「う……」
「なんですか? 何か言いたいんですか?」
しゃくりあげながら聞くと、昴は目を閉じたまま眉を寄せた。
「うるさい……」
不機嫌そうにうめいて、額に手を当てる。
「頭がガンガンする。あまり大きな声を出すな」
「は、はい」
しかられても大河は幸せそうに、えへへ、と笑うと、ようやく体の力をぬいた。

 大河の腕の中で、昴は目を閉じたままじっと動かなかった。
今目を開けたら、涙がこぼれてしまうだろう。
大河に抱かれ心の底から安堵して、ほっとしたあまり泣いている自分を、見られたくなかった。

 

 

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 めずらしく新次郎大活躍。

 

 

 

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