楽園の華 17

 

 「お前、どうして……」
「こちらの方が助けてくださったの」
女性の白狐は昴に視線を送った。
昴も頷き、大河は驚いて目を丸くする。
「で、でも、お稲荷様が奥さんはもういないって……」
二匹の狐を交互にみやると、稲荷狐は信じられないという表情のまま固まっている。
その様子を見た、稲荷の妻だという狐は、その場でスゥ、と身をかがめ、白いからだのあちこちを伸ばすようにして一瞬のうちに地面にしゃがむ巫女の姿に変わった。
白い巫女服を着た女性が立ち上がる。
細身の、若く美しい女性だ。
狐のときよりも妖艶な雰囲気は薄らぎ、逆に神に仕える巫女らしい、凄艶な空気が増した。
稲荷狐が人間になったときのように、耳と尻尾があり、狐のときと同じ朱のアイラインを入れている。

 巫女はプチミントの格好をした大河に歩み寄ると、やさしく手をとった。
その手のひらが驚くほどに柔らかく、やさしい暖かさだったので、思わず大河は赤くなる。
一瞬昴が嫌そうな顔をしたが、巫女に見とれている大河はそれにも気づかない。
彼女は静かに微笑んで言った。
「あなた方にはご迷惑をおかけしました。いたずらな子供が、ほんの遊びのつもりで私を社から連れ出し、池に落としてしまったのです」
妻の言葉に驚愕したように、稲荷狐は目を潤ませた。
驚きが徐々に喜びに変わっているのだろう。
「そなた、池にいたのか……! あんなに近くに……」
「自力で脱出したかったのですけれど、もともとそんなに力も強くない私にはとてもそんな芸当はできず、ただ池の底から社を見ていることしかできなかった。水面は結界のようなもの。どうしても水面を越えて居場所を伝えられなかった」

 大河は中庭の池を思い浮かべる。
「そっかあ、それで、あの池、すごくきれいだったんですね。カエルもメダカも住みやすそうでしたよ」
「それぐらいしか、役に立てなかったのです。もともと夫を手助けするのが私の務めでしたから」
にっこりと微笑む女性に、大河も笑みを返した。
振り返ると、稲荷狐もいつのまにか男性の姿に戻っている。
しかし大河はその稲荷狐の変化した男の姿にびっくりしてしまった。
なにしろさっきまではごく普通の村の青年といった気楽な風情の格好だったのに、今は立派な神主のように堅苦しい着物を身にまとっていたからだ。
青年は驚いている大河には知らぬふりをしたまま妻の元へと歩み寄る。
「私はもう、そなたはとっくの昔に打ち捨てられてしまったものだと思い込んでいた……」
「ええ。……それで若い女の子をここに連れ込んでいたのでしょう」

 まったく突然に、怒りの気配が美しい女性から吹き上がり、一瞬で空気が変わった。
青く澄んだ空に黒い雲がわきあがり、にわかにドロドロと遠雷の音まで聞こえてくる。
清浄だった空気が突然湿り気を帯び始めた。
大河は思わず昴の隣に移動する。

 稲荷もあわてたのだろう、必死に手をふり、首もふり、尻尾は爆発したように膨らんでいる。
「つ、連れ込んだだけだ。土地を守るためには陽気が必要だったのだ! 何もしていない!」
「本当でしょうね」
美しく、かわいらしかった巫女の口が、あっという間に耳まで裂けた。
大河は小さくその場で飛び上がり、昴の手を握る。
昴のほうは、さきほど巫女狐に見とれていた大河に思うところがあるらしく、チロリと彼を見るに留まった。

 「ほ、本当である。なんなら彼女たちに聞いてみるとよい」
あわててつつも、稲荷狐の化身は、自分の潔白を訴えた。
巫女がプチミントに確認するように振り返ったので、恐ろしい顔をまともに見てしまった大河は逃げ出したくなる気持ちを必死でこらえ、コクコクと頷く。
確かに彼は何もしていない。
夫の身の潔白を信じる気になったのか、おどろおどろしい空気は、発生したときと同じように、速やかに変化し元通りの清浄なものへと戻っていった。
定点カメラの映像を、早回しで見ているような光景。

 稲荷狐もほっとしたのだろう、気が緩んだせいで、整った顔に長く細いひげが生えていた。
「む、娘たちを返してやらねばな。実はあの娘たちを取り込んだはいいが、たいした力にもならず、返す機会を探していたのだ」
「でもぼくを追加で攫ったじゃないですか……」
不満げな大河が口を挟むと、稲荷は妻の手前か言い訳せずに謝罪した。
「すまなかった。そなたからは霊的に強い力を感じたのだ。実際そなたが来てから私は力を取り戻しつつあった」
「えっ、そうなの?」
驚いて目を丸くすると、巫女姿の妻狐も頷いている。
「あなただけでなく、昴の影響もあるでしょう。今まで私がどんなに自分の存在を訴えかけても誰も気づかなかったけれど、あなたたち二人が学校に通うようになり、ごくわずかですが力が増して池の外にも影響することができた」
そして昴に笑みを送る。
「あなたが見つけてくれなかったら、いまも私は池の底」

 大河はその意味を考えてゾッとしてしまった。
彼女が今も池の底だったら、その間、自分もずっとこの玉の世界の中に閉じ込められる事になっていたかもしれない。
「昴さん!」
「なんだ?」
「助けに来てくれてありがとうございます! うわーん!」
恋人に抱きついて、今更ながら再会を喜ぶ。
恥ずかしげもなくしがみついてくる大河の様子に、昴は先ほど感じた嫉妬の感情がばかばかしくなってきた。
素直になったほうがずっといい。
「僕も君に会えてほっとしている。無事でよかった……」
そう言って、彼の暖かな胸に顔をうずめたのだった。

 

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奥さんが来なかったら正妻にされてたかもしれないなあ!

 

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