楽園の華 16

 

 プチミントの姿をした大河の前で、白いキツネは振り返らないまま尾を揺らす。
「故郷にあったころの私の住処だ」
丁寧に手入れされた社に、陶器の夫婦狐。
二匹は向かい合い、お互いをしっかりと見つめている。
「もう私の頭の中にしかない。村もいまはきっと姿がかわってしまっているだろう」
そんなことない、と、大河は言いたかったけれど、消沈する狐に安易な言葉をかけることはためらわれた。
言葉に迷っているうちに、白い狐は苦笑するように長い口を曲げる。
「そなたはまじめだな。適当に私の機嫌を取ればよいものを、それができぬ、やさしい子だ」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「ここを頼む。私にはあのささやかな森を守る義務がある」
「向こうに戻るの?」
「うむ。でかけてくる」
稲荷が言うと同時に、社の扉がゆっくり開き、その中央に浮かぶ蒼い玉が、油を浮かべたような虹色に輝き始めた。
光は徐々に広がり始め、わずかばかりにぼんやりと、大河も知っている学校の校舎が虹色の油の向こうに淡く見えた。
「あ……」
あそこに飛び込めば元の世界に戻れるのかも、そう考えたとき、
「やめておけ、私が運ばなければどこかの隙間におっこちて、二度ともどってはこられぬぞ」
「ええっ!?」
ゆがんだ空間を覗き込むように身を乗り出していた大河はあわてて頭を引っ込めた。
それを見た稲荷は苦笑して、では、といいおき、身をかがめる。
今まさに狐が光の油膜に飛び込もうとした瞬間。

 虹色だった光が真っ白に変わった。
その変化が普通の状態ではないということは大河もすぐに気づいた。
稲荷狐自身がとても驚いて身を引いたからだ。
どうしたの、と口を開きかけ、稲荷の驚愕した表情に気づく。
これは尋常ではない。
真っ白な光はどんどん広がり、いまや視界を覆わんばかりだ。
まぶしすぎて耐えられず、大河は目を閉じて手のひらで顔を隠した。
指の隙間から届く光は、白から金に、また白へと輝きながら変化して、やがて一瞬のうちに収縮した。

 また突然輝きだすかもと用心しながらも、大河はそっと目を開ける。
周囲はすっかり静まっていた。
元通り、手入れされた稲荷神社。
真っ白い狐。
目がダメージを受けたせいか、その狐がダブって見える。
ごしごしと目をこすり、もう一度。
「あ、あれ……?」
何度目をこすっても、狐は二匹。
向かい合い、一頭は切なげな笑みを浮かべ、もう一頭は驚愕したように腰を引いている。
そして稲荷神社のすぐ横には……。
「昴さん!」
見知った小さな人影を認め、大河は迷わず駆け寄った。
抱きつきそうになって、ふと気づく。
望むものはなんでも簡単に手に入るらしい世界だ。
もしかしてこの昴も幻なのではないだろうかと。
けれど目の前の昴はどう見ても本物だ。
頭のてっぺんから足の先まで、間違いなく昴そのもの。
「……昴さん、まぼろしじゃないですよね?」
思わず聞いてしまうと、昴は少し怒ったように眉を寄せた。
「君がいつまでも帰ってこないから迎えに来たのに、失礼なやつだな。彼女に案内してもらったんだ」
「……彼女?」
昴の言葉に、大河はあわてて二匹の狐を見比べた。

 向かい合った二頭の狐、社の近く、優雅に立つ狐は見るからに女性的な佇まいだった。
細く繊細な長い足。
絹のような光沢の毛皮。
切れ長の目には朱で細くアイラインが入れてある。
その様子から、言われなくとも大河にはこの女性の狐がなんなのか想像がついた。
「お稲荷様の、奥さん?」
大河の声に二頭が振り返り、一頭は微笑んで、もう一頭は困惑しながら頷いた。

 

TOP 漫画TOP  前へ 次へ

遠慮なくずかずかと入ってくる昴さん。

 

inserted by FC2 system