楽園の華 15

 

 大河はダラダラと家の中で過ごしている女子高生たちを部屋に置いて家を出た。
彼女達はお互いのことをまったく気にしていないらしく、大河が部屋を出ても視線すらよこさなかった。
夕方の茜色の空が燃えるようだ。
「ちゃんと日が変わるんだ」
もしかして稲荷が作ったこの世界では永遠に昼のままなのかと思ったのだ。
長い長い一日がずっと続いて、そのせいもあって高校生たちの時間の感覚が狂っているのかもと。
「昼ばかりでは風情がない」
プチミントがつぶやいた声にこたえたのは屋根の上に座る稲荷キツネの化身。
オレンジの光を背に受けて、白い耳や尻尾がもみじのように赤かった。
空にはトンボたちが無数に飛び回り、それを眺めているうち、大河は自分が子供のころのように無邪気な気分になっていることに気づいた。
帰りたいという気分が薄れ、いつまでも楽しいこの場所にいたいなどという気分に。

 大河は首を振った。
この世界に流され、馴染んでしまったらまずい。
しっかりと日が落ちるのを見届けて、一日の終わりを確認しなくては。
時間の感覚をなくしてしまったらおしまいだと思った。
もしかしたらもうすでにそういう状態に陥っているかもしれないと考えるのは恐ろしいことだ。
「あの、お稲荷様」
プチミントの呼びかけに稲荷は屋根の上に乗ったまま鷹揚に、なんだ、と答えた。
「お稲荷様は土地と社を守っているんでしょう」
「そうだ」
「そのためにお嫁さんが必要?」
「ただの嫁ではだめだ。陽気の強い者、しかも私を慕う気持ちの持ち主でないとな。信仰心こそ力の一端なのだ」
大河はもういっそ、自分は男だとばらしてしまおうかと悩んだ。
一見ひょろりとした青年にしか見えないけれどこの男はまがりなりにも神なのだ。
こんな偽りの楽園を作ってしまうほどの力を持った。
うかつに怒りを買うような言動は控えたほうがいい。――少なくともまだ今は。

 しばし考えふと気づく。
「信仰心……。あの子達、信仰心があるとは思えないけれど……」
のんびりプチ家出気分の少女たちは、キツネの神などまったく尊敬していないように見えた。
そもそも神だなどとは思っていないだろう。
稲荷は屋根を飛び降りてプチミントの隣に立った。
ついて来い、というように尾を振って歩き始める。
「あの娘たちは、少なからず社に興味を持ち、草むしりをしてくれたり、わたしの本体を磨いてくれたりしたものたちだ」
本体、というのは、おそらくあの白い陶器のキツネだろう。
「そのような、ごくわずかな信仰であっても、いまの私にとっては重要なのだ」
歩むうちに、キツネは徐々に背を低くし、やがて真っ白なキツネとなって大河の前を歩く。
「人々の信仰をすべて失ったら、私はただのモノとなり、やがて打ち捨てられ朽ち果てる」
キツネはうなだれ、足取りも重い。
「私の村に帰りたい。そうすればすべてが解決するのだ。眷属たちも私を探しているだろう……。しかしそれはかなわぬ願い」
「お稲荷様……」
キツネの白銀の毛並みが夕焼けに輝き、歩くにつれて波のように揺れた。
彼は嫁だというが、集められた女子高生達が真実「嫁」としての役割を果たしているようには見えない。
どう見ても稲荷の家に遊びにきた近所の子供といった風情だ。

 稲荷の社はもともと日本大使がここに置いたものをそのままにしてあるのだと聞いた。
彼が日本を懐かしく思っていることは、この玉の中の世界を見ればすぐにわかる。
自分が守ってきた村、信仰してくれる村人たち、それらから引き離されて、この稲荷はいまにも力を失いそうなのだろう。
「……ぼくたちを元の世界に戻してくれたら、あなたを日本に戻せるよう掛け合ってみます」
「……!」
キツネはハッと振り向き、プチミントの目をじっと見つめた。
「きっと帰れます」
一瞬喜びに輝いたキツネの金色の目がやがて伏せられ、耳も尻尾もしおしおとうなだれた。
「今戻ったところで……」
再びプチミントに背を向け歩き出す。
「私のものだった土地はもう、他の土地神が管理しているだろう。――それに……」

 到着したのは、この世界で最初に見た立派な社ではなく、現実世界と同じ、小さいけれど職人が丹精こめて作った古い社と同じ建物。
ただホコリは積もっておらず、周囲の雑草もきれいに刈ってあった。
油揚げとお神酒が備えられ、その横には。
「それに、もう妻はいないのだから」
その横には、白いキツネの置物が二匹、向かい合い、お互いを見つめる位置に、背を伸ばし、誇りを隠さない姿勢でまっすぐに座っていた。

 

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なんか同情する新次郎。

 

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