ぼくのひかり 君の青空 26

 

 今、みんながぼくの前にいるはずだ。
大河は目を閉じた。

 目を開いていても閉じていても真っ暗なのは変わらなかったけれど、
それでも集中したい時には目を閉じた方が気持ちが落ち着く。

 ゆっくりと呼吸していると、みんなの気配が伝わってくる。
不安げな息遣い。心配してくれているやさしい心。
それぞれの想いが流れ込んでくる。
今にも泣き出しそうに鼻をすすっているのはダイアナさんだ。
……とってもやさしいダイアナさん。悲しげな表情も心に浮かぶ。
リカはじっと耐えているようだった。
小さくても心はぼくよりもずっと大人だといつも感心する。
サジータさんは怒っているように思えた。
きっと、腕を組んでぼくを睨んでいる。ずっと秘密にしていたから当たり前だけど。
ジェミニはどうしているだろう。
朝会った時は、やっぱりびっくりしていたみたいだった。
ぼくの親友。
驚かせたりするつもりはなかったんだけど……。

 

 「……でも、治るんだよね? 新次郎」
大河がジェミニの事を考えていると、当人が真っ先に声をかけた。
「うん。心配しないで。今日から仕事に戻るからみんなには迷惑をかけると思うけど……」
「仕事って……そんな無理をして大丈夫なんですか?」
ダイアナは先ほどから大河の顔色があまりよくないことに気がついていた。
気のせいか少しやせたようにも見える。
「動いていないと余計に疲れちゃうんです」
照れたように笑う笑顔は前と同じで、ダイアナにはそれが余計に悲しい。

 昴はずっと大河の隣に座っていた。
ぴったりと寄り添い、机の下で彼の手を握っていた。
緊張しているせいか、手の平にはわずかに汗が滲んでいて、いつもよりも冷たく感じる。
けれど表情だけ見れば、大河は立派に自分の今の状況を説明していた。
落ち着いて喋っていたし、笑顔を絶やさず穏やかなまま。
「治るまでの間迷惑をかけると思うけど、なるべく前と同じようにしていたいんだ」
朝、昴に言ったように、決然と、大河はみんなに向かってそう言った。

 少しの間、大河は改めて事情を話した。
最初の日に急に目が見えなくなった時の事や、今までどうやって過ごしていたのかを。
数日間絶食してしまった事は話さなかった。
タクシーの中で昴と相談したのだが、ただでさえショックを受けているであろう彼女達に、
初めから何もかも話してしまうのは得策ではない。

 昴は大河の話を聞きながら、自分が始めて彼の目が見えないと知った時の衝撃を思い出していた。
自分も目の前が真っ暗になった気がして息が詰まった。
今もまだ彼はあの時と変わらないまま何も見えないのだと思うと悲しかった。
すぐに治ると、治してみせると、そう考えていたのに。

 

 「じゃあぼく、歩くのに時間がかかるから、先に行きます」
一通り話し終えると、大河は椅子を引いて席を立った。
「行くってどこに行く気なんだい!?」
サジータは慌てて大河を止めた。
「あんまり広い所のお掃除はまだ無理だから、今日は衣装部屋の雑巾がけをしようかと……」
みんな驚いて彼を見た。本当に働くつもりなのだ。
だが、昴は黙って頷いた。
「衣装部屋までは一緒に行くかい?」
「いえ、一人で行けるようにならないと意味がないですから」
大河の手には、小道具から調達した杖があった。
白状ではなかったが、ないよりはずっとマシだ。
「わかった。何かあったらすぐに連絡するんだよ」
昴は彼の手を取り、エレベーターまで一緒に歩く。

 昴はみんなの視線を背中に感じながら、大河にだけ聞こえるようにそっと囁いた。
「立派だったぞ」
大河は恥ずかしそうに笑った。
「えへへ……ありがとうございます。でもやっぱりもっと早くに話せば良かったなあ……」
「そんな事はない。なによりも、君には準備が必要だったんだから」
大河がエレベーターにきちんと乗り込んだのを確認し、頬に触れる。
「あとは彼女達が考える。君は君の仕事をするといい」
「はい」

 大河を見送るのは辛かった。
初めて杖を使って、慣れない手つきで地面を探る様子は、本当に彼が盲目なのだと改めて思い知らされる光景だった。
ずっと一緒についていてやりたい。
昴は追いかけて行きそうになる自身を宥める。
いつまでもべったりと傍にいては彼の為にならないと良くわかっていたから。
なによりも彼自身がそんな事は望んでいない。
ようやく前へと進む事が出来たのだから、可能な限り後押ししてやりたかった。

 エレベーターが下りていく音を確認すると、目を閉じてゆっくり息を吐き、みんなへと向き直る。
「さて、僕達も公演の準備にとりかかろうか」
全員がまだ困惑の最中にいるとわかっていたが、あえて明るい声を出す。
昴自身、大河の目が見えないと初めて聞いた時の衝撃を知っていたから、彼女達の悲しみがよくわかった。

 ジェミニはずっと俯いていたが、昴の声を聞くと頭をあげて両手で顔をごしごしと擦った。
「ちゃんと練習しておかないと、新次郎の目が治った時に叱られちゃいますもんね」
「よっしゃ。行こうジェミニ。あ、でももうちょっと待った方がいいかな」
サジータは、両の拳で机を叩いてから発言した。
おそらく、精神的にも肉体的にも勢いが必要だったのだろう。
「しんじろーまだ廊下にいるかもしれないもんな」
「そうですね、もうちょっとお茶を頂いてから行きましょうか」
リカはいつもと変わらず歯を見せて笑う。
ダイアナはさっきまでずっと涙を零していたが、今はもう泣いていなかった。

 昴はそっと微笑んだ。危惧していたよりもずっと、彼女達はこの状況をきちんと受け入れてくれていた。
きっと心の中ではまだ様々に混乱したり恐れたりしているだろうに。
みんなをずっと信頼してきたが、今日ほど頼もしく思った事はない。
仲間の強さや優しさが嬉しかった。
「昴、何ぼーっとしてんだい?」
「いや、なんでもないよ。僕もコーヒーをもう一杯頂こうかな」
彼女達は、すぐに治るという大河の言葉を信じている。
だからこそこんなにも落ち着いていられるのだろう。
実際に大河の言ったことで今まで実現されなかった事はないのだから。
不可能だと思うような事も彼はすべてやり遂げてきた。
だからこそ。

 昴は仲間達の大河への信頼を嬉しく思った。
同時に自分も、彼への信頼を新たにした。
濃い目のコーヒーを飲みながら思う。
帰ったらずっと考えていたやり方を試してみよう。
二人でやれば、きっとうまく行く。成功すれば明日には元通りになっているはずだ、と。

 

 

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