ぼくのひかり きみの青空 4

 

 (仕方のない奴だ……)
舞台の上で踊りながら、昴は客席に座ったまま眠っている大河を見た。
館内は照明を極力落としてあったし、曲もゆったりとしたスローテンポの物だったから、
疲れている彼は睡魔に抗えなかったのだろう。
(まったく……。人が演技をしている最中に居眠りするとは失礼な奴だな……)

 だが昴は眠る彼を視界に入れるとひっそりと微笑んだ。
本当は悲しいシーンだったから、そんな風に笑ってはいけなかったのだけれど。
いとけない彼の姿に愛情が込み上げてきて頬が勝手に緩んでしまった。
今は寝かせておいてやろう。
昴はそう思いながらゆっくりと舞を続けた。

 

 

 大河はまだ夢の中にいた。
夢の中の自分である僧侶、聖は、その夜山小屋には入らず、一人東の空を見つめながら座っていた。
小屋に入れば御来光を拝みに来た登山客に囲まれて、色々と説教話をさせられるのがわかっていた。
聖にはそれがどうしても耐えられなかった。
礼拝されたり、感謝されたりする事に、今の聖は苦痛しか感じなかった。
以前は自分が語ることで民が癒されることに幸せを感じていたのに。

 真っ暗な山の中でも、山頂は星明りが届いて明るかった。
半弦の月が頭上高くに輝いていて、辺りをぼんやりと照らす。
聞こえてくるのは虫たちの鳴く秋の音色。
五輪の戦士達と共に戦っていた頃、何度かこんな夜を仲間達と過ごした。
「聖様は私の北斗星です」
きっぱりと言った瞳が細められて、やわらかい表情になるときの美しい目。
今、聖には、自分にこそ指針が欲しいと願っていた。
彼女が、自分にとってのそれだったのに。
失ってから気が付くなんて愚かに過ぎる。
きつく目を閉じ、こみ上げてきた物に耐えた。
思えばあれから一度も涙を流していない。

 彼女が決意した時も、
そしてそれを実行したあとも。
心が枯れ果てて感情が消え去ってしまったようだった。
それなのに、こんなにも胸が苦しい。

 東の空が徐々に明るくなってきて、聖は自分の頬に触れた。
冷え切ったそこには、やはり濡れた物の感触はない。
ぎりりと歯を食いしばり、顔を上げる。
泣く資格などない。
失ったのは自分のせいだったから。

 山小屋から人々が起き出して来ると、聖は彼らに場所を譲って少し下がった。
雲海の切れ間から光が競りあがってくる。
人々の間から感嘆の声が上がり、膝をつき涙を流して礼拝している者もいる。
聖は黙ってその光景を見つめていた。
本来なら経の一つも唱えるべきなのだろうが、喉が詰まって声が出なかった。

 視線を反らしてふと横を見ると、昨日の親子が一心に祈っている姿が見えた。
あんな物に祈っても、盲目の娘は快癒しないだろう。
そう思っている己に嫌気が差す。
知りたかった事をはっきりと確認した。

 

 今、自分の中に仏はない。
祈る心も、信じる想いも、あの少女を失ったときにどこかへ消え去ってしまった。

 

 

 人々が立ち去ったあとも、聖はしばらくそこに留まっていた。
全員が帰ったあと、今日の登山客が到着するまでのわずかな間、少しだけ山小屋で睡眠をとろうと思っていた。
一睡もしないままでは体力がもたない。
小屋に戻ると、あの親子が抱き合って泣いていた。
「どうかなさったのですか?」
聖はつい声をかけた。
あまりにも悲しそうに嗚咽していたので無視できなかったのだ。
「お坊様……」
母親は娘を抱きしめて声にならない声をあげる。
「私たちはここまで来るのに長い長い道のりを歩いてきました」
「御来光を見るために?」
「はい。春の終わり頃からです」
それはかなりの日数だった。
今はもう紅葉が始まろうかという季節なのに。

 「娘は高熱を出して倒れて以来目が見えず、お山の御来光を拝めば快癒すると信じてここまで来たのです」
「そうですか……」
「ようやくたどり着いたというのに……。何も……何も奇跡は起こらなかった…!」
母親は目に見えない何者かに向かって、怒りと悲しみの叫びを上げた。
聖は心の中で、愚かな、と呟いた。
目の見えない娘は、きっと長旅でかなりの体力を消耗しただろう。
寿命の幾年かを失ったかもしれない。
こんな、不確かな物を信じて。
「もう一度、青い空を見たかったんです…」
娘は母親の腕の中でさめざめと泣いていた。

 溜息を吐いて聖は立ち上がる。
小屋で休むつもりだったが、この親子がいては寝てなどいられまい。
だが、その時、泣いていた娘が意を決したように顔を上げて声を出した。

 「……お母さん、もう泣くのはよしましょう。私はここまで来られて幸せでした」

 幸せでしたと言った娘は晴れやかに笑っていた。
盲目の瞳を涙に濡らし、それでも母親に向けて精一杯の笑顔を作る。
「きっと、この達成感こそが、何も出来ない私に必要な物だったのです」
「でも……お前……」
母親はあきらめきれずに困惑した表情を見せる。

 

 聖は動けずにその場に留まっていた。
雷光に打たれた気がした。
微笑む娘の顔に、己が失った大事な人の笑顔が重なる。
最後に幸せでしたと言った時の悔いのない笑顔。
それは嘘偽りのない言葉と表情だった。
聖はただ、それしか道がないとあきらめていたから、仕方なく進んだだけだったのに。
彼女はその道を、正しい物だと疑っていなかった。

 指針だといって聖について来た彼女を、むざむざと死なせてしまった自分。
そんな己に、今もう一度、進むべき道を選ぶ瞬間が訪れたと思った。

 

 

不良坊主になってしまった聖さん。

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話の序章辺りが終わりそうですよ

 

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