十章―取引―

 夜のセントラルパークは安全な場所とは言いがたい、
都会を切り取る長方形のエリアに一歩踏み込むと、そこはまさに森であり、
実際に貴重な野生動物が数多く生息している。

 街灯ははるか遠く、月明かりの下、昴は一人、現金の入ったアタッシュケースを持ち、指定のベンチに腰掛けた。
背の低い昴がそうしていると、家出をした子供のように見える。
犯人の指示して来た時間まではあと2分ほどだった。

 あと2分。この金を渡せば、新次郎を取り戻せる。
そう信じようと目を閉じる。

 米国での子供の誘拐事件で、犯人の要求に従った場合の人質の生還率は7割ほどだった。
たった7割。
少なすぎる。
頭を振って不吉な考えを追い払う。

 その時、不意に背後から声を掛けられた。
「こんばんは、時間に正確だね」
背後は茂みであったから、犯人は前方の遊歩道から近づいて来る物だと思っていた。
何の音もしなかったから、おそらく昴がここに来る前から待機していたのだろう。

 「振り向かずにそのままの姿勢でいろ、金はどこだ?」
昴はアタッシュケースを示した。
「ちゃんと持って来ている。子供を返せ」
強く。低く。命令する。
怒気を含んだその声に、暗闇の中の男はククと笑った。
「すごい迫力だ。見た目に寄らずおっかないんだな」

 「そんな事はどうでも良い。早くあの子を返せ。金は子供と交換だ」
焦りが声に出ないように、ゆっくりと話しながら自分に言い聞かせる。
(昴。落ち着け。新次郎が近くにいるかも知れない。失敗するな)
男は背後でため息を吐いた。
「残念だけれど、俺はただの受け取り係なんだ。子供は連れてきていない」

 「なんだって?!新次郎を返さない限り、この金は渡さない!」
そんな事は絶対に納得できない。
思わず振り返りそうになり、背後の男に止められる。
「振り向くなって。俺は上から言われた事しか出来ない。自分で判断して行動できる立場じゃないんだ」

 男が見つめる小さな肩は、怒りで震えていた。
昴が次に発した言葉は、最初に子供を返せと言った、その時感じた怒気がかわいらしく思えるような、真実の殺気を孕んでいた。
「僕は約束を守って金を用意して来たんだ。あの子は今無事でいるのか?せめてそれぐらいは教えろ」
暗闇の中で、金を受け取りに来た男は驚嘆していた。
子供のような姿をしたこの人物に恐れすら感じる。とっとと役目を果たして帰りたい。

 男はそっと唾を飲み込む。
「…言っただろう。俺は単なる受け取り係りだ。あんたから金を受け取って、換わりに手紙を渡すように言われて来た」
それ以上の事は何も知らないし、教えられない、そう言って男は黙った。
「手紙…?」
昴の座ったベンチの背もたれの隙間から、新次郎の服に入っていたのと同じ、一枚の紙が差し出された。
手を伸ばして受け取ろうとすると、するりと引っ込められる。

 「この紙は金と交換だ」
昴はうめいた。こんな紙切れが、新次郎の代わり。
「その手紙の内容は?」
内容如何に依っては交換に応じても良い。そう伝える。
「知らない。読んで良い許可を貰っていないからな。どっちにしろ金を渡さなければ、ガキは返ってこないぜ」

 男の言う通りだろう。近くに新次郎がいる気配はない。
金を渡さなければ、あの子は間違いなく帰ってこない。

 

 「わかった。取引に応じよう。その代わり…」
昴はそう言うと、男が止める間もなく立ち上がり、円を描いて振り返る。
紺青の髪がその軌道に合わせ、月明かりに鈍く光った。
一瞬でベンチの上に立ち、背もたれに片足をかける。

 一連の動きにはまったく無駄がなく、真実、舞っているようにしか見えなかった。
その美しさに、茂みの中の男は一瞬息を呑む。
驚愕する男の顔を見下ろすと、彼の額に閉じた鉄扇をピタリと止めて、静かに話す。

 「帰ったらお前の上司とやらに伝えろ。新次郎にこれ以上、なにか一つでも危害を加えたら許さない。必ず殺してやる」
男の眼前で、パタ、パタと、音がするほどゆっくりと、鉄扇を開いて行く。
「かすり傷一つ。負わせて見ろ。その万倍の痛みを経験させてやる」
開ききったその先を、動けずに硬直している男の顔面から徐々に下げて行き、脈打つ喉元に突き付ける。
「嘘じゃない。僕にはその力がある。必ず見つけ出して殺す」
ゴクリと唾を飲み込むと、鉄扇が食い込んだ喉仏に赤い線が浮いた。

 「わ・・・わかった…伝える。だからコレを引っ込めてくれ」
男が声を出すたびに、赤い線は深くなり、ついに一筋の血が流れた。
昴はそれを見て、薄く笑った。
「言っておくが、あの子を返さなければ貴様も同じ運命だ。その事を忘れずに、無傷で返せ」

 男はアタッシュケースを掴むと、脱兎のように逃げ出した。
仕事柄危険な目には何度も逢ってきたが、あのような相手は初めてだった。
怪しく、美しく、常人にはない力を感じる。同じ人間とは思えない。
そして本人の言う通り、子供が戻らなければ、本気で俺たちを殺すつもりだ。
早く仕事を終わらせて、シャワーを浴びたい。
恐怖を洗い流したい。

 

 昴は再びベンチに腰掛け、男が置いて行った手紙を開いた。
薄明かりの中で、なんとかそれを読む。

〔親愛なる九条昴殿

貴殿の大事な物は、あなたが支払った代金に、不備や過不足がないかを確認してから返却する。

長くは待たせない。30分ほどしたら、宝をそこに向かわせる〕

 

それだけだった。

 

 

 

 それだけだったが、そこには希望が見えた。
もうすぐ、戻ってくる。
最初になんて言おう。
名前を呼んで、抱きしめて、キスをしよう。それからまず、あやまらなくては。
守ってやれなくてごめん。と。

 

だが、約束の30分が経ち、
一時間が経ち、ついに2時間を過ぎても、
新次郎は戻ってこなかった。

 それでも昴はベンチを動かずに、じっと新次郎を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

★オマケ★
うんと下の方に、
雰囲気台無しな挿絵が置いてあります。
台無し上等な方のみ、ご覧下さい。

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★台無し挿絵★
下っ端マフィアSさんの見た光景。


初挿絵がこんなんでいいのでしょうか。

いらない?(笑)



たわごと↓
西海岸。特にベガスホリックである私が、わずかに行った事がある紐育は激安な冬のみです。
冬のセントラルパークは、昼なお暗い本物の森で、一般の観光客はおろか、市民もめったにいなかったりします。
本当に死体の10や20は埋まってそうな雰囲気。
ガイドさんがいるツアーなんかだと、夜間はもちろん、昼間も近寄らないように言われます。
動物園が好きだから行くんだけど(笑

あと、アメリカのホットドックはしょっぱいばかりでマズイ…

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