魔女と神と氷 2

 

 昴は大河の部屋の前に立ち、白い扉を控えめにノックしたが、応答はなかった。
エイハブの中にある、隊長用の個室だ。
激戦の後で、泥のように眠っているのだろう。
大河は昴や他の隊員が休んだ後も、各所に報告を行ったり、事後の処理に追われていた。
ようやくすべてを片付けて、疲れ果てたに違いない。

 大河に会いたかったけれど、眠っているのを起こしてしまっては申し訳なかった。
未練がましく扉に手をあて、溜息をついたとき。
「そこに誰か、いますか?」
中から、寝起きそのものの声。
昴は一瞬返事に迷った。どう考えても、さっきまで眠っていた人間の声だったから。
けれど結局、誘惑に負けて声を出す。
「ああ。僕だ。すまない、起してしまったかい?」
返事を返すと同時に、扉がシュンと音を立てて横にスライドする。
大河はローブを身につけて、目をこすりながら立っていた。
「昴さん……。どうしたんですか……?」
その姿に昴は苦笑した。
やはり休んでいたところを起こしてしまったのだと思うと申し訳ない。
「なんでもないんだ。ちょっと顔がみたかっただけ。起こしてすまなかった」
侘びを告げて戻るつもりだったのだが。
「あっ! 待って昴さん! ぼく、眠れなかったんです。少しお話しませんか?」
どう見ても寝起きの様子で大河はそんな事を言うのだ。
「眠いんですけど、寝られないんです。ベッドでごろごろしてて、疲れちゃって……」
「ああ……」
まさに昴もそうだった。

 

 大河に与えられた居室は、隊長用とはいえ、他の隊員と何も変わらなかった。
ただ、通信機器や書斎のスペースがわずかに広い。
大河はベッドに腰掛け、昴はデスクの前の椅子に座る。
「昴さんも、寝られないんですか?」
「うん。君と同じ、かえって疲ってね」
それだけ言うと、もう交わす会話がなくなって、二人の間に沈黙が流れた。
ほんの数秒だったけれど、大河はごまかすように立ち上がり、部屋に付属の湯沸かし器のスイッチを入れた。
「お茶、淹れますね」
「ますます眠れなくなるぞ」
「いいんです。半端に寝たら、明日きっと起きられないし」
「お茶じゃなく、白湯にしよう。眠れるかもしれないよ」
また沈黙。
機械がお湯を沸かす、こぽこぽという優しい音が聞こえ始めた。

 「ねえ、昴さん……」
大河はお湯を注ぐための湯飲みを用意しながら、躊躇いがちに話し始めた。
「ぼく、ずっと考えているんです。あの時、ジャンヌを倒さなくても解決できたんじゃないかなって……」
話しながら、完全に沸騰する前に、湯沸かし器を止め、やわらかな湯気を出すお湯を注ぐ。
「それなのに彼女は逝ってしまった。他の三人も……。ぼくのせいで……」
「他に選択肢はなかったよ。それに、君だけが選択したんじゃない。あの場にいた全員、エイハブで待機していたみんなも、そして、世界中の人が、望んでいた事だ」
「じゃあ、昴さんはどうして眠れないんですか?」
差し出された湯飲みを受け取って、昴はその暖かさに目を瞑る。
心地よくて、それだけでなんとなく眠気が得られた気がする。

 「僕は……」
今夜、眠ろうと瞼を閉じると、必ず浮かぶ一つの光景。
まるで鮮明な写真のように、隅々までがはっきりと蘇る。
「とても言えないよ。……実に滑稽で、おろかで、自分勝手な理由なんだ」
大河はまばたきしたけれど、首を傾げるだけでそれ以上追求しなかった。
ただ、ぬるめの白湯をひとくち飲み込んで、暖かな吐息を長々と吐き出す。
「おいしいですね、お湯」
「ふふ、ただのお湯なのにね」
昴も白湯を含み、優しい温度にほっとする。
「……ねえ大河」
「はい?」
「ちょっと僕を、抱きしめてみてくれないか?」
「え?!」
途端に目が覚めたのか、大河はびっくりして声をあげた。
昴も慌てて顔を背ける。
「いや、なんでもない、忘れてくれ」
けれど、昴の望みはすぐに叶えられた。

 ベッドから立ち上がった大河が、椅子に腰かけたままの昴を、包み込むようにぎゅっと抱きしめる。
最初、彼の行動に驚いて力が入ってしまった昴だったが、すぐに穏やかな波が心を満たし、力が抜けていく。
体の中心から、安堵感がこみあがってきて、世界で一番安全な場所にいるのだと、強く実感できた。
大河の背に腕を回してしがみつく。
温かくて広い背中が、何もかもを癒してくれるようだった。
同時にまたしても、脳裏に浮かぶ光景。
ジャンヌが大河の腕に抱かれ、心から安堵したように逝った、最後の瞬間。
昴には、ジャンヌの最後が羨ましく、同時に、ひどく妬ましかったのだ。

 

 

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傍にいて欲しい。

 

 

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