サジータと新次郎 10

 

 「ぼうず、俺が怖くないのか?」
プロレスラーみたいなその男が、新次郎に顔を近づけた。
良く見りゃ額から右の瞼にかけて大きな傷跡がある。
ほかにも頬を顎までまっすぐにナイフのあと。
なんつーこわもて。
あたしはそいつが新次郎に近づいたってだけで生きた心地がしなかったけど、当の新次郎は平気な顔だ。
「おっかなくないよ。おっかないおにいちゃんなの?」
うわー! ばか! わざわざ聞くな!
「ああ。今からあいつをぶっとばすから、見てろ」
妹のボーイフレンドを睨み据える。
うちの若いのも睨み返してはいたが、腰が引けてるし、いかんせん迫力がない。
完全に気おされちまってるけど、まあこれは格の違いだから仕方がないね。
「俺の怖いとこを良く見とけよぼうず」
「だめー!」
ほのぼのと考えている場合じゃなかった。
新次郎は、男の丸太みたいな腕にぶら下がっている。

 「なかよくするの!」
あああ、回収、回収だ!
もうタイミングがどうとか言ってられん。
あたしが慌てて新次郎を連れ戻そうとした時、男が腕にぶら下がってた新次郎をそのまま持ち上げちまった。
釣り上げられた魚みたいになった新次郎だけど、腕を放さない。
それどころか、今度はきゃはは、と楽しげに笑った。
これには男も呆れ顔。深いため息をついて新次郎を抱き上げた。
「困ったガキだな」
「がきじゃないですよ、たいが、しんじろーですよ」
「タイガー? 名前が?」
「たいがです」
本当は大河は苗字なんだけど、あの男にも新次郎にも、日本人の名前の順番なんてわからないから、多分、男はタイガを名前だと思ったんだろう。
新次郎は、男の腕に抱かれて、額から眉を横断する白い傷跡に指をあてた。
「けがしてるよ」
「おお、ガキの時の怪我さ」
「いたくないんですか?」
「もういたくねーよ」

 なんだか段々和やかになってきたような。
周囲でにらみ合ってた連中も談笑を始めたりして、もう全然喧嘩の雰囲気じゃなくなってきた。
女の子とその彼氏未満はまだ緊張しているみたいだったけどね。
男はしばらく新次郎と話をしたあと、新次郎を降ろして妹を手招きした。
動かない彼女に、また周囲が緊張したけれど、アニキの方は溜息をついて何も言わなかった。
かわりに、うちの若いのを睨みつける。
「貴様、もしも泣かせたら絶対にゆるさねえからな。いくぞお前ら」
ゾロゾロと去っていく連中を見送って、女の子も納得したのか、兄貴について帰っていった。

 「ふー、やれやれ」
あたしは、去っていく連中に向かって暢気に手を振っている新次郎をジト目で見下ろしてから、カルロスの頭をひっぱたいてやった。
「あいて!」
「なにやってんだいあんたは!」
「急になんだよ姉さん! 解決してよかったじゃねーか」
「解決したけど、新次郎を見てろっていっただろ!」
「……そう、新次郎を見ていてくれと頼んだ」
「そうそう、新次郎を……」
……。
「ぎゃー!」
あたしは思わず叫び声をあげて飛び退った。
振り返りたくないけど仕方がない。
おそるおそる後ろを向くと、昴が腕を組んで立っていた。
俯き加減で表情は見えない。
「どういう事だサジータ……」
ひどく低い声、恐ろしい……。
「いや、あたしも断ったんだけど、どうしてもほら、あたしが来なきゃ駄目だって、こいつが……」
振り向いてカルロスを指差したつもりが、あの野郎はいつのまにか消えていた。
それどころか全員きれいさっぱり逃げ帰った後だった。
どうなってんだい! あいつら、あとで覚えておいで!
「それで、喧嘩の現場に新次郎を……?」
昴から吹き上がる怒りの瘴気は相手の気配に敏感なあいつらには恐ろしすぎるんだろう。
あたしだって逃げ去りたいんだけど。
そこへ、そんな空気をものともしない子供が元気に答えた。
「あのねすばるたん、おとこはけんかのひとつやふたつ、ですよ!」
ばかばか、黙ってろ!
あたしが身振り手振りでジェスチャーしても、新次郎はニコニコしたままペラペラ喋る。
「あのね、おにーさんのおねーさんが、ほかのおにーさんとなかよしで、どっちもだいすきでね」
さっぱりわからない説明に、昴は優しく頷いて、頭を撫でてやっている。
うーん、このままさりげなく帰ってしまいたい……。

 結局、そのあとあたしは昴に説教され、新次郎は説教する昴の腕の中で満足げに眠り、
あたしは全然いいところがないまま自分の家に戻った。
新次郎とも仲良くなれなかったし、何だったんだいったい。
むっとしながらデスクに乱暴に腰掛けたら、またしても書類がバサバサ落ちた。
あー……。
ほっときたい気持ちを押しやって、仕方なく書類を拾い集めていると……。
「なんだいこれ」
書類とは明らかに違う、厚手の紙。
ひっくり返して見たら、あたしは嫌な気分をすっかり忘れて思わず笑っちまった。

 そこには、あたしと新次郎がバウンサーらしき乗り物に乗って、街の中を走っている絵が描かれていた。
街中だってわかったのは、後ろにでっかいクチビルが描かれていたからだ。シアターだね。
クレヨンで大胆に、それでも、そこに描かれたあたしたちは、すっごく楽しそうで、本当の友達同士みたいだった。
そういえば、結局バイクに乗せてやれなかったな。
「待ってな、今度は乗せてやるからね」
ふふん、昴に反対されたってかまうもんか。
あたしは絵を壁に画鋲で張り付け、残っていた書類仕事を片付けるべく、よっこらせとデスクに腰掛けた。

 

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昴さんは羨ましがるに違いない。

 

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