君に贈る 10

 

 レストランの用意が出来たと連絡を受け、僕は大河を連れて店へと出向いた。
なるほど、ウォルターが言っていたように、空いているし雰囲気も良い。
普段利用しないので、僕は店内の様子をあまり知らなかった。

 大河は初め緊張していたようだったが、会話しているうちにいつもの調子にすぐ戻る。
元気が出てくると、最初の緊張が嘘のように、今度は逆に調子に乗りすぎる。
ふふ、相変わらずだ。
ウォルターは僕達の為に、窓際の素晴らしい席を用意してくれていた。
他の座席からはピアノの陰になって見え難い。
僕は、僕を知る大河以外のいかなる存在の視線も感じる事なく、幸福な時間を過ごすことができた。
メインの料理は、黒トリュフとフォン・ド・ヴォーを加えた仔牛のフリカッセ。
本当を言うと、大河と一緒なら、ホットドックでもベーグルでも、黒トリュフとフォン・ド・ヴォーを加えた仔牛のフリカッセでも、どれもたいして変わらないのだけれど、今日は少し違う。
この雰囲気を僕も楽しみたくなったんだ。
大河にとって特別な日なのだから、特別な物を食べる。
記憶に残るような、特別な物を……。

 料理はどれも職人の気遣いや複雑で繊細な味が素晴らしかった。
大河も一息で食べてしまったりせず、一つ一つの食材を楽しんでいるようだ。
黒トリュフについて色々教えてやったけれど、豚だけが見つける事の出来る神秘のキノコに、大河は心底驚いていた。
「これを、豚が……。食べちゃわないんですか? 豚はトリュフを」
「食べてしまう。だから余計に貴重なんじゃないか」
「うーん、でも……」
「おいしくない?」
「美味しいですけど、うーん……」
ようするに、値段が気になるのだろう。
価格の話はしていないけれど、黒トリュフが高価な事ぐらいは彼も知っているだろうから。
「気にするな。誕生日ぐらい贅沢をしても誰も怒らないよ」
「えへへ、そうかな」
笑って頬を赤くして、大河は料理を頬張る。
君が望むなら、毎日だって食べさせてやるのだけれど。
僕は試しに聞いてみる。
「気に入ったのなら、明日もトリュフにしてみるかい?」
「え?! あ、明日は、普通の料理がいいんですけど……」
「普通って?」
「うーん、そうだな、ポテトとお肉とか、ピザとか……」
「それが普通?! あははっ、まるでアメリカ人だな」
僕は声を出して笑ってしまった。
「だって、日本の料理を食べたくても、すごく高いんですもの」
「ふふっ、まあそうだね。また今度湯豆腐を食べよう」
こんな具合だ。
実際、どんな高級料理だって、部屋で二人きり、好き勝手に笑いながら食べる料理にはかなわない。

 二杯目のシャンパンを持ってきたウェイターが、僕に小さく囁いて去っていく。
ウェイターの声が聞こえなかった大河は首をかしげた。
「なんだったんですか?」
「ほかの銘柄はどうかと勧められたんだ。……ちょっと失礼、化粧室へ行って来る」
席を立って離れると、大河がシャンパンを口に運んだ様子が見えた。
こちらを気にしていないのならそれでいい。
レストルームへ回るふりをして、ピアノのそばへ。
奏者は落ち着いた雰囲気の黒人男性だった。
年のころは40代手前と言ったところか。
その彼が柔らかく笑うと、ドッチモを思い出す。
ドッチモよりもずっと穏やかな雰囲気だったけれど、音楽を愛するものに特有の空気は同じものだ。
僕は彼と握手を交わした。
これから数分間、僕と彼とはパートナーなのだから。
「シアターの九条昴の伴奏をできるとは、光栄です。全力で合わせますので、自由に歌ってください」
「よろしく頼む。あなたも楽しんで欲しい」
僕達はその場で簡単な打ち合わせを行い、あっというまに準備はすんだ。
時間をかけると大河が不審がるからね。
ピアノの陰から覗くと、案の定、彼は首を伸ばして僕が出て行ったはずの方向を確認している。

 ピアニストの男性が片手を挙げてどこかへそっと合図を送った。
わずかに照明が落ち、僕も少し緊張する。
店内の客たちも周囲を見渡し何かが起こる気配に気付いた。
スポットライトはごく控えめ。

 歌い出しに、僕は全神経を集中した。
彼を想う。
今は彼のためだけに、歌う。

 大河に視線をやると、彼はその場に立ち上がり、僕をじっと見返した。
歌は大河も良く知っているはずの一曲だった。
誕生日とは関係ないけれど、大切な人を想う、素晴らしい歌だ。
君が傍にいてくれて嬉しい。
君に出会えて、本当に。
生まれてきてくれてありがとう。
どんなに気持ちを込めても足りない。
足りない……。

 決して短くない歌のはずなのに、たちまちのうちに曲は終わった。
レストランの客も従業員も、みんなが拍手を送ってくれたけれど、僕の耳には届かない。
まっすぐに大河に歩み寄り、はっきりと、自分の口で伝える。
もう何度も言ったけれど、あらためて。
「誕生日、おめでとう大河」
「昴さん……」
大河の目がキラキラしている。
涙がいまにも零れそうだ。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
しまった、今度こそ、大河の目から水滴が。
僕は急いで彼の頬から涙をすくいとった。
「ふふっ、本当ならキスも贈りたいのだけれど」
「くれないんですか?」
僕は返事をせず、背伸びをしてそのまま、彼の唇を奪う。
またしても店に拍手が鳴り響いた。

 

 部屋に戻るまでずっと、大河はとても興奮していた。
「突然レストランが暗くなって、ぼく停電しちゃったのかと思ったんです!」
照明が少し落ちただけなのに……。
「そしたら、スポットライトがぱーっとなって、そこに昴さんが! あー……!」
何度も何度も、彼はその話を繰り返していた。
まったく、彼を見ていると本当に飽きない。
部屋に戻ると、くまのタイガーがひとり留守番をしていた。
大河はぬいぐるみを抱えあげると、力いっぱい抱きしめる。
「タイガー、ぼく、最高に幸せだったよ!」
あんまり強力にしめつけているので、ぬいぐるみはすっかり形がかわっていた。
さっきまでは、自分の贈り物が自分の部屋にある事が不満だったのに、
今は彼の大事な物を預かれるのだと思うと、それもまた幸せな気分になってきた。

 誕生日プレゼントをずっと悩んでいたけれど、やはりなんだってかまわなかったのだなと、改めて思う。
あんなに悩んで僕はひどく愚か者だったけれど、彼の為にプレゼントをあれこれと悩む日々は楽しかった。
来年もまたその次の年も、僕はまた彼への贈り物を悩むだろう。
当日まで決められないかもしれない。
けれどそれでいい。
僕は僕自身の誕生日より、ずっとずっと、大河新次郎の誕生日が、楽しみなのだから。

 

 

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私の中では「五つのレシピ」なのですが。

 

 

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