ぼくのひかり 君の青空 最終回

 

 

 「新次郎! 昴さん!」
二人が遅れてシアターへと出勤すると、なぜか星組のメンバーがエントランスに集まっていた。
ジェミニが今にも泣きだしそうな顔で駆け寄ってくる。
「よかった、無事だったんだね!」

 昴と新次郎がいつまで経ってもシアターに現れないので、みんなで探しにいこうかと相談している最中だった。
ホテルに連絡しても、二人とももうずっと前に出勤したと言われて何かあったのではないかと心配していた。
大河の目が見えなくなってから、星組のみんなは彼らの事を何かと気にかけていたので、
普段遅刻したりしない大河と昴が遅れている事で全員が気をもんでいた。

 「遅くなってごめんね、ジェミニ」
大河はやさしく笑った。みんなに心配をかけて心底悪い事をしたと思っていたが、
久しぶりに見るジェミニの太陽のように燃える赤い髪や、頬に浮かぶ健康的なソバカスがとても美しかったから。
始めて会った時とても印象的だった青い瞳をじっと見つめる。
「歩いてきたから遅れちゃったんだ」
「新次郎……?」
ジェミニは大河の目の前で立ち止まった。
昨日までの彼とは違うとすぐに気がつく。

 今、大河はまっすぐにジェミニの瞳を見つめていた。
昨日まではジェミニの方を向いてくれていても、決してこんな風に目を合わせる事なんて出来なかったのに。
視線を合わせていると、ジェミニの唇がわなわなと震えてしまう。
「新次郎っ……!!」
気がついた時、ジェミニは大河の胸に飛び込んでしまっていた。
「ジェミニ……心配かけてごめん……」
今日の事だけではなくて、この一連の出来事について大河は謝罪した。
腕の中で泣きじゃくっている女の子の髪をやさしく撫でてやる。
「すごいよ新次郎……見えるんだね……」
「うん。もう大丈夫だから……」
「治って良かった……本当に……新次郎……」
普段元気な彼女だけれど、本当はとても寂しがりやなのだと知っていた。
こんなに心配をかけてしまってなんとお詫びしていいかわからない。

 ジェミニが泣き笑いの顔で照れくさそうに離れると、今度はサジータが大河の体を思い切り抱きしめた。
「まったく……! 早く連絡すりゃいいのに!」
「ご、ごめんなさい、サジータさん」
背の高い彼女に抱かれると、胸に顔が埋まってしまうので恥かしかった。
慌てて離れようとしても、サジータは手を緩めない。
困っていると、リカも足元に飛びついてきた。
いつも大きな声で笑っているリカが、黙ったまましがみ付いている。
顔をあげると、ダイアナは一歩離れた場所で泣きじゃくっていた。

 みんなにもみくちゃにされている大河を、昴は微笑んで見つめていた。
少し妬けるが今日ばかりは仕方がない。
さっき散々泣いたあとなのに、仲間達の喜びが伝わってきて再び胸に込み上げてくるものがあった。
大河の目が見えない間、昴自身も世界がモノクロになってしまったように感じていた。
けれども今目の前にある光景は、彼ら自体が光を放ち、金色に輝いているように見えた。

 

 

 

 

 大河が回復してから公演初日まで、みんなは以前よりも一層練習に力を入れていた。
ずっと見てもらえなかった練習風景を見て欲しくて、だれもが自分がいかに上達したかを披露したがった。
前売りのチケットが無事に完売したと聞いた時も、大河は飛び上がって喜んでみんなの笑顔を誘う。
きっと、数少ない当日券を手に入れようと、初日の朝には早朝から行列が出来るに違いない。

 ついにやって来た初日のその朝、大河は早起きしてシアターの近くに設置されているチケットボックスを覗いてみた。
「あれ?」
行列が出来ているどころか、人っ子一人いない。
売り子の男性に声をかけると、シアターの公演初回のチケットは当日券も含めてすべて完売してしまったと言う。
たしかにその旨、手書きで記載された紙が、大きく張り出されていた。
「そ、そうなんですか」
大河は驚いた。
今までも人気のある公演は何度かあったが、こんなに朝早くに完売してしまった事はなかったから。
そもそもいつもはこんなに早くに売り出したりしない。
「当日券、少なかったのかな……」
首をかしげながら楽屋へと戻る。

 初日は昼と夜の2回公演を行う予定だった。
大河はエントランスの大扉から外の様子を伺った。
気の早い客は入場待ちで並んでいてもおかしくない時間なのに、誰もいない。
「あれ……?」
前売り券も当日券も売り切れなのに、どうしたのだろう。

 「大河、何をしているんだ」
「あ、昴さん」
昴はまだ普段着のままだった。
扇を口元にあて呆れたように笑う。
「舞台装置の最終チェックに参加しなくていいのかい?」
「大変だ! もうやっているんですか?! 行きます行きます!」
慌てて走り去っていく恋人を、昴は目を細めて見送る。

 

 「新次郎の奴、まだ気がついてないだろうね」
「ああ、外を気にしていたから舞台のチェックに行けといっておいた」
楽屋でメイクをしながら昴は話した。
客が誰も来ないせいで、大河が心配そうにしていたから。
「まだちょっと早い。ぎりぎりまで彼には知られないようにしたいからね」
昴の言葉に、みんなも楽しげに頷く。

 

 「よーし、中の準備はもう完璧だ!」
大河は舞台のチェックを終えてエントランスへと駆け戻った。
客を迎える準備をしている杏里とプラムに声をかける。
「ねえ、そろそろ列を中に誘導する?」
そわそわしている大河に、プラムはウインクを返す。
「まあタイガーったら張り切っているのねえ、そうね、列が出来てれば、誘導してもいいわよ」
「え?!」
そういえば、いつもの初日なら中にいても開演を待つ客たちのざわめく声が聞こえるのに、今は静かなままだ。
大河は慌てて扉の隙間から外を覗いた。
「あ、あれ?!」
隙間からでは何も見えず、今度は思い切って扉を全開にする。

 そこには誰もいなかった。列どころか一人もいない。列を整理してくれる係員もいない。
「な……なんで……?!」
チケットは完売したはずなのに。
もしかして、公演開始の時間を勘違いしてしまっていただろうか。
大河は動揺して外と中とをきょろきょろと何度も見渡している。
「プラム、もういいの?」
「いいのよ。もったいつけてたらタイガーが不安がるし」
杏里とプラムは囁いて頷き合った。
「二人とも! 大変だよ! お客さんがいない!! 誰もいないよ!!」
「はいはい。いいから、大河さんは客席に入ってて」
「ええ?!」
わけがわからなくなって混乱していると、プラムがそっと背中を押した。
「お客さんならちゃんといるから、心配しなくていいのよ。みんなが待ってるからタイガーは客席に行って」

 二人に背中を押され、大河は首をかしげながら劇場内へ入った。
入った途端、公演当日の独特の緊張感が客席にみなぎっているのを感じる。
照明も、エアコンも、観客が快適なように整えられていて普段とはまったく違っていた。
もっとも、今はその観客が一人もいなかったけれど。
大河は誰もいない客席を歩いた。
事前に念入りに掃除をしたので塵ひとつ落ちていない。
上を見上げて眩しくない程度に光る、オレンジ色の照明に目を細める。
これからここで素晴らしいショウが始まるのだと思うと胸がドキドキした。
みんなと一緒に作り上げた舞台だ。

 突然、客席に開演を告げるブザーが鳴った。
大河はその音に驚いて飛び上がる。
「ブザーの確認でもしたのかな……」
けれどもその音を合図に、舞台の幕はするすると上がっていき、逆に客席の照明は徐々に落ちて行った。

 観客を入れる前の点検の一つかもしれない。
今までこんな直前にそんな事をした事はなかったけれど、他に考えられなかった。
舞台には、衣装を着けた星組のメンバーがきちんと整列して立っていた。
「ようこそ、リトルリップシアターへ」
スポットライトの中央に立ったサジータが長身を生かして素晴らしく優雅な礼をする。
他のメンバー達も彼女に続いて、大河に向かい揃って腰を折る。

 大河は困惑して立ち尽くした。こんな演技は予定にない。
「あの……これは……?」
思わず聞いてしまうと、昴が一歩前に出てやさしく微笑んだ。
「初回の公演は僕たちから君へのプレゼントだ」

 大河は瞬きをして振り返る。
誰もいない。
もう一度舞台の上を見る。
友人達が壇上で笑っていた。
「客は君だけだよ」
くすくすと楽しげな声。
「リカも買ったんだぞチケット!」
「あっ言っちゃだめだよリカったら」
ジェミニは慌ててリカの口を塞ぐ。

 大河はまだ信じられずに呆然としていた。
舞台の初回。
それがどんなに大事で、どんなに大変な物かを知っていたから。
そして客席を埋めるはずだったチケットの莫大な金額。
「叔父様がほとんどを負担してくださいましたから、ご心配なさらないで」
ダイアナはうろたえる大河にやさしく笑いかけた。
「そうそう。あいつにとっちゃ小遣いさ。全部あんたの席なんだから好きな場所にすわんな」

 冗談なんかじゃなく、本当に本当なんだと、そう気がついた途端、大河の目から涙が零れた。
あとからあとから止まらなくなって、しゃくりあげてしまう。
お礼を言いたいのに、大泣きしているせいで声が出なかった。
仲間達の思いやりが嬉しくて、どうしていいかわからない。

 それを見た昴は黙って舞台を飛び降りた。
大河の手をひっぱって、前から3列目ほどの位置に座らせる。
彼がきちんと席についたのを確認すると、昴は手を振ってどこかへ合図を送った。
客席の照明がもう一度入り、舞台の幕が下りてくる。
「君の為の舞台だ。もう一度最初からやり直すから涙を拭いて」
「はい」
大河は鼻を啜ってなんとか返事をした。
昴はハンカチを取り出して彼の顔を拭ってやり、すかさず唇を重ねる。
「じゃあ行って来る。そこで僕たちをちゃんと最後まで見届けていてくれ」

 

 黄金色の照明がくるくると舞台を回る。
その上を、大河の大切な人たちが、心を込めて舞っていた。
一人のためとは思えない、完璧な舞台だった。
大河が考えた演出やセリフを、彼女達は見事に演じきっていた。
ここまで作り上げる間、色々な事があった。
仲間達の舞台を見守りながら大河はそれらの事を思い出す。
苦しかったこと、辛かったこと。
視力を失った闇の中で、どんなに絶望的な状況でも、彼女達が変わらず自分を支え続けてくれた事を。
昴はソロのパートで大河と視線を合わせて歌ってくれた。
何も見えない孤独な世界で、常に隣にいて励ましてくれた人。

 大河は見えなかった間、ずっと感じていた事をはっきり確信した。

 この人こそが、ぼくの光だ、と。
何もかもを失っても、たとえ真っ暗な闇の中でも。
この人がいてくれれば光を感じることが出来る。
今感じている喜びも、全部この人と共にいる事が出来るから……。

 昴の澄んだ歌声が、やさしく客席に満ちて行く。
すべて自分の為だけに。
幸せで大河の視界が濡れて曇り、照明に輝く舞台が幻想的に揺れた。

 

 すべてが終わった後のカーテンコールではみんなが満足そうに笑っていた。

 大河は立ち上がって力いっぱい拍手を贈る。心からの感謝と賞賛を伝えたかった。
今自分に出来る事はそれしかなかったから。
昴は舞台の中央に立ち、しゃがんで手を伸ばす。
「ほら、君もおいで!」

 昴に誘われて、大河もおずおずと舞台に上がった。
「みんなありがとう。本当に素晴らしいショウだったよ」
そう言ったとたんにみんなに抱きつかれて、頭をぐりぐりと撫でられた。
視力が回復した時と同じように、もみくちゃにされてしまう。
けれども今回はあの時と違い邪魔が入った。
ゴホンと、わざとらしい咳払い。
昴が一歩離れた場所に立って難しい顔をしていた。
「あの時は許したけれど、今日はだめだ」
彼女達は顔を見合わせ笑いながら大河を解放する。

 みんなが見守る舞台の上で、二人はしっかりと抱き合ってキスをした。
「ありがとうございます。昴さん、それにみんな……」
もう一度礼を言って、大河は大事な仲間達の顔を見渡した。
命を懸けて共に戦った友人達。
目が見えなくなっていた間も、しっかりと自分を支えてくれた。
これからもずっと、彼女達を力の限り守って行こうと、強く心の中で誓う。

 舞台はとても眩しくて、目を閉じても明るい光が瞼を通して瞳を照らしていた。
長かった闇がすべてはらわれて、何もかもが明るく見えた。

 「さ、次の回はあんたにも働いてもらうよ!」
「はい!」
大河は嬉しくて再びこぼれそうになった涙を拭った。
「ぼくしっかり働きます! 今度こそ大勢のお客さんに見てもらわなきゃ」
仲間達と共に作り上げた舞台を。

 

 素晴らしい幸福感を味わいながら、大河はふと聖の事を思った。
絶望の中で死を願っていた過去の自分。
悲しみに耐え切れずにあのまま息絶えたのだろうかと。
一瞬過ぎった仮説を首を振って否定した。

 強い確信がある。
聖は、必ずもう一度歩き出したはずだ。

 なぜなら大河は覚えていたから。

 愛する人と見た空。
遠くに羽ばたく小さな鳥。
それは決して辛い思い出ではなく、悲しくとも美しい情景として心に刻み込まれていた。
聖は彼女の心を胸に抱いて再び見る事が出来たのだと、そう信じていた。
もう一度、あの青い空を。

 

 

 

―ぼくのひかり 君の青空― 終わり

 

長々とお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。

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