ぼくのひかり 君の青空 32

 

 

 聖は山小屋でもう何ヶ月もの間、盲目のまま暮らしていた。
気力を取り戻してからは見えないながらも手探りで薪を割り、室内を整え、
少しでも自分と登山者の過ごしやすい環境へと小屋を変えていた。
時間はかかるが、近くの小川までなら難なく行ける様になっていたので、聖はそこでいつも行水をしながらの修行を怠らない。

 冷たい水に浸かって意識を高めていく。
毎日のように聖は自分の力を貸し与えた娘の痕跡を辿れないかと試みていた。
己の力の一部をもった娘なので、本気でやれば痕跡をたどるのはそう難しい事ではないはずだったが、
あの娘があまりに遠くに行ってしまったために、今ではそれも困難になってしまっている。

 数ヶ月前に出会った盲目の少女は、今どこで何をしているだろう。
最後に目にした時の彼女の様子を思い浮かべる。
濃厚に浮かぶ疲れの色、誰が見ても明らかな、長くない寿命。
そもそも彼女が病気で視力を失ったのは、肉体が力尽きようとしている証でもあった。
そんな風に弱っている彼女の気配はただでさえ薄く、聖はこの数ヶ月、途中まで追跡を試みては挫折していた。

 彼女の居場所を突き止めたからと言って、別に今すぐに何かをしようとは思っていなかった。
いつか、何ヶ月か先。あるいは何年か、何十年か先に、彼女の寿命が尽きて、その時自分がまだ生き長らえていたなら、
その時は彼女に残る自分の力を取り戻したいと考えていた。
それまではあの山小屋で幾らでも出来る事がある。
救いを求める人々には説法をし、肉体に傷を負っている人には癒しの力で回復を助ける。
ほったらかしだったあの山小屋を前よりは快適な空間へと変えていたが、
今も登山者に手伝ってもらいながら畑を作っている最中だった。
もう少し温かくなったら種を蒔き、自給自足できるようにと考えていた。
そうすれば旅人に食料を求めずともすむし、それどころか食べ物を持たない人々には逆に小屋にいる間だけでも食料を渡してやれる。

 その日も聖は小川に出向き、腰までを冷たい流水につけて精神を集中させていた。
自分の力の痕跡を彼女の足跡にそってゆるゆると下る。
いつもならば麓に付いたあたりで見失ってしまっていたそれが、今日はかすかだが心の中で映像を結んだ。

 自分を誘導するようにか細く光る霊力の痕を、聖は集中力を切らさないように注意しながら意識を一気に跳躍させて行く。

 それはかなりの距離だった。
女性二人にはあまりに厳しい道のりを、彼女達は罪悪感に打ちひしがれながら歩いていたようだ。
その時の様子が聖にはありありとわかった。
山に戻りたいと泣く少女と、必死に家に帰ろうと説得を続ける母親……。
聖は呻いた。
予想はしていたが、少しの間借りるだけと約束していた力を盗むようにして奪った親子は、山を下りた時点ですでに幸福から遠かった。

 なおも進んでいくと、そこは寒々とした村だった。
人影もまばらな上、畑は荒れ果て放置されていたが、少女はそこで家族と再会し、初めてわずかばかりの幸福感を味わったようだった。
ぎこちなくとも、それは確かに喜びの感情だった。
再び家族と出会い、父親に喜んでもらえたことが彼女にとってなによりの幸福だったようだ。
聖も安堵の息を落とす。
喜んで貰おうと力を渡したのだから、たとえつかの間でも幸福であって欲い。

 彼女のそれからの生活ぶりを心に感じる。
彼女は毎日聖のいる山の方に向け礼拝し、わびていた。
母親と共に罪を悔いながらも、穏やかな日々を送っている様子が伺える。
聖は彼女の想いの一つ一つを真摯に受け取った。
こんなに距離のある場所なのに、今日に限って苦もなくそんな事を行えるのが不思議だった。
不思議だと感じた瞬間、聖はその理由に思い至って顔をあげる。

 「まさか……」
一気に霊力の源まで。現在の力のありかまで進む。
「やはり……」
脳裏に映る少女は力なく床に伏せており、今まさに息耐えようとしていた。

 「ああ、この気配……近くにいらっしゃるのですね……」
少女は聖に気が付いた。元々聖の力の一部を持っているのだから本体の気配にも敏感だった。
臨終のか細い息の下で彼女は聖に話しかける。
「お坊様にお返ししたくて、ずっとお祈りしていたんです」
彼女が持っている聖の霊力が、祈りとなって本体の元へと届いていた。
だから今日に限ってこんなにあっさり彼女の居所にたどり着けたのかと、聖は苦々しく思う。
もともと霊力を持っていなかった少女には、最後の最後。本物の祈りだけが形となって届いたのだろう。

 「お借りしたままで死ぬわけにはまいりません」
きっぱりと言う少女の顔は死相に青黒く染まっている。
けれどもその凛とした言葉は聖の知る一人の強い女性を思い出させた。
「本当にごめんなさい……ありがとうございました」
「かまわないよ。ぼくこそ、余計な事をして君を苦悩させてしまいました」
聖は少女の心に言葉で触れる。
けれども彼女の心から伝わってきたのは、死の恐怖や悲しみよりも、もっと大きな喜びだった。
「いいえ、あなたに力をお借りして、私はもう一度世界を見ることが出来ました」
その世界を、味わうように目を閉じる。
「お坊様に会えて幸せでした……」

 少女がそう呟いたとたん、開けていた彼女の心との道が一気に狭まった。
押し寄せる光。あるべき場所へ戻ってこようと打ちつける力。
霊力の奔流に堪えながら聖は少女の事を想った。
会えて幸せだったと言ってくれた、二人の少女。
今はもう空へと帰ってしまった、彼女達の事を。

 

 気が付くと聖は川の中ほどで立ち尽くしていた。
さらさらと澄んだ水が足の間をゆるやかに流れ、その足をすり抜ける一匹の魚の背が銀色に光った。
水面に映る白い雲の影。
太陽を反射するさざ波が目に眩しい。

 視力を失う以前は色彩などすべて失ってしまった白黒の世界だと感じていたのに、
今目の前には様々な色が溢れていた。

 顔を上げた聖は愛した人と最後に見た風景を思い出していた。
「もう一度、君と共に生きる……」
夢の中でそう彼女に誓った。
「ちゃんと約束どおり付いてきて下さいよ」
目を閉じて、彼女の返答を心の中で聞こうと試みる。
「ぼくは長生きしますからね。ぼくがあなたの所へ返るその日には道案内をしてもらうんです」
聖はざぶざぶと水の中を進み川原に上がると、陽光に照らされて暖かい草の上に腰掛けた。
隣に、彼女がいてくれる気がしていた。
言葉をかけ続けても、もちろんいなくなった人からの返答はなかったが、それでも……。
「ぼくはあなたと共に生きる。あなたはいつでも、ぼくの心の中にいる。そうですよね」
聖はその時確かに彼女の声を聞いた。
はい。と、少女は躊躇わずに聖を抱いてくれた。
実際には知る事のなかったその温もりに、聖は安堵して草の上に寝転がる。
遮るもののない早春の空が目の前いっぱいに広がっていた。
その風景を胸に焼き付けて聖は瞼を閉じた。
共にいるのだと、改めて確信できたから。

 

大河には最後まで知る事が出来なかった、聖さんのその後でした。
次回は現代に戻ります。

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長かった……。

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