ぼくのひかり 君の青空 29

 

 翌日も大河は昴と一緒に仕事に出かけ、帰宅してから霊力による視力の回復を試みた。
しかし、初めて試した時と同じようにかすかな光を感じる物の、やはりそれ以外に回復の兆しはない。

 大河は見えない目をそっと伏せた。
聖に自分から話しかけたような、あの不思議な夢のあと、あれからもう通常の物と思われる夢しか見ていない。
夢の内容を無視して無理やり食事を開始したことで、過去とのつながりが絶たれたのかもしれないと思っていた。
「がっかりする事はないさ。明日の朝も挑戦してみよう」
昴は立ち上がって大河の肩を叩く。
サニーサイドに言われた期日が迫っていた。
夜の方が集中しやすいので帰宅してからやっていたが、もうそんな事は言っていられない。

 「はい。ぼくがんばります」
大河は顔をあげると素直に返事をして笑った。
今日はほぼ普通の食事に戻り、体力も回復してきていた。
昴の部屋の間取りにも慣れ、歩いてもぶつかったりしなくなった。
シアターから持ち出した杖も役に立っている。
なによりも彼の精神が以前のように健康に戻っているようだったので昴は安心していた。

 

 広いベットの中で昴は夜中に目を覚ました。
なんとなく目が覚めたのだが、まだ深夜だと感覚は告げている。
ふといつもとは違う様子に気がついて昴は眉を寄せた。
「大河……?」
くっついて眠っていたはずの恋人がいない。
トイレにでも行ったのだろうか。
上半身を起こして周囲を見渡す。
室内灯は淡い光を残すのみだが、それでも十分に部屋の中を見渡せる。

 寝室に大河がいない事を確認し、昴はベットから降りた。
恋人を探して居間へと入り、ソファの上でじっと座っている彼の姿を見つけて、昴は吐息と共に小さく声を漏らした。

 大河は昴と協力してやっていた霊力による視力回復の試みを、ひとりソファの上でおこなっていた。
集中するあまり昴の存在には気がついていないようだった。
眉間に皺を寄せ、辛そうな表情のまま肩で呼吸を繰り返す。
握っている拳がかすかに震えていた。
額に浮いた汗が顎を伝ってぱたりと落ちる。
大河の集中に合わせる様に、徐々に空気が動き出した。
ふわりふわりと光の帯が彼の周りを流れ、押さえきれていない霊力がこぼれ出ている事を教えていた。

 昴が見守っている数分のうちにそれは終わったようだった。
声をかけようとすると、大河は再び俯いて拳を握る。
続けてもう一度試みようとしているのだとわかった。
昴は息が詰まって胸を押さえる。
もしかしたら、もう何度もこうやって試したあとなのかもしれない。
彼は平気な風を装っていたが、やはり本当は苦しんでいたのだと思うと辛かった。

 「昴さん?」
かすかな気配に大河は気がついて顔を上げた。
「……うん。何をしているんだい?」
「ごめんなさい、起こしてしまったんですね」
昴は苦笑して大河の近くに立ち、彼の腕を取った。
「続けてやっても成果はあがらないよ。良く寝て体力をつけることが先だ」
「でも……」
不安げな声に、昴も今すぐなんとかしてやりたいと言う気持ちが強くなる。
けれど焦ってもいい結果は出ない。

 そこに留まっていたいと訴える大河を促して立たせベットへと戻る。
布団の中に押し込むと、大河はまた起き上がってしまいそうだった。
「昴さん、やっぱりぼく……」
「いいから」
昴は、なおも何かを言いたげな大河の頭を抱え自分の胸に押し当てた。
「わかっているから、何も言わなくていい」

 

 

 長い時間黙ったまま、二人はそのままだった。
昴は目を閉じる。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。
大河は本当に限界なのかもしれない。
突然視力を失って、食べる事も飲む事も拒否して、そこから立ち直るのに大変な精神力を使っただろう。
それなのに、さらに前向きになれと言っている自分が傲慢に思えてきた。
触れている部分から彼の不安が直接伝わってくる。
早い鼓動。
冷たい指先。

 

 「……ぼく、もう治らないかもしれません」
大河がぽつりと呟いたのは、何分後だっただろう。
「一生見えないままかもしれない……」
声の最後はかすかに震えていた。

 「それでもいいじゃないか」
昴は大河の頭を抱えたままそっと指先で梳いてやった。
ずっと考えていた、その可能性。
彼を励ますために今まで言わずに黙っていた。
必ず治ると、そう言い続けてきた。

 受け入れるのは辛いけれど、ある程度の所で区切りをつけなければならない。
それは遠い未来の事ではないだろう。
昴はそう考えていた。
「見えなくったって、君は大河新次郎なんだから」
このままでは遠からず視力の回復をあきらめなければならない日が来る。

 「……でもぼく、昴さんを守りたいんです……」
大河は腕を伸ばして昴から逃れた。
「みんなを……守りたいのに……!」
そうでなければ、自分が紐育にいる意味がないと、大河は思っていた。

 日本から遠く離れた紐育で、それでもなんとかやっていけたのは友人達のおかげだった。
守り、守られて、お互いを信頼できるようになるまで長い時間がかかった。
ようやく隊長として認められて、大事な人たちを守る力が得られたと、そう、思っていたのに。
「このまま目が治らなかったら、ぼくやっぱり……」
日本に帰ります。
そう言うつもりだった。
けれど涙が喉に詰まって声が出なかった。
叫び出しそうになるのを堪えるので精一杯だった。

 目が見えなくなったあの日からずっと、大河は静かに現実と戦ってきた。
一見穏やかなように見えたが、実際は衝撃が強すぎて現実味が薄く、呆然としていただけだった。
けれども日常を取り戻しつつある今、盲目の自分が切実に実感できてしまって、かえって耐えられなくなってきていた。
「ぼく……」
守りたいと騒いでいる今この瞬間も、昴に守られている現実。
耐えていた涙が溢れてシーツをぬらした。
役立たずのままでここに留まっていたくない。

 「君は今も僕を守ってくれているよ」
大河の言葉を遮って、昴は静かにそう言った。
「君がいなかったら、今の九条昴はもうどこにもいなくなってしまう」
また、以前のように、能面に。
戦うだけの機械に。
前よりもきっと、もっと悪いだろう。
愛を知り、それを失った後ならば。
体を離してしまった大河を再びむりやり抱き寄せる。

 抱き寄せた大河の額に昴はやさしく口付けた。
それから涙で塩辛くなった頬にも。
鼻筋をぺろりと舐めると大河はくすぐったそうに身を捩った。
少しだけ癖のある髪を撫で、やせたせいでいくらか細くなった喉に鼻を寄せる。
そのまま鎖骨の中心の窪みに舌を這わせた。
「あっ……昴さん……」
「今この部屋は真っ暗なんだ。二人とも見えなくたって愛し合う事はできるんだよ」
「でも……」
「愛しているよ新次郎」
今まで何度もこの部屋で愛し合ってきた。
見えなくたって変わらないのだと、彼にわかってほしかった。

 大河は初め戸惑いながら、けれども徐々にしっかりと、
存在を確かめるように手の平で昴に触れた。
肌の温度や味。
触れた時、触れられたときに感じる温かさ。
なによりも結ばれる幸福感は何にも勝る物だった。
大河自身、目が見えないままで昴と愛し合うなんて、実際に行為を始めるまでまったく考えていなかったが、
見えていたときよりも昴の表情や反応が詳細に伝わって来て驚いた。
すべらかな腹部は刺激を与えるたびにかすかに震え硬くなり、手を離すと再び弛緩した。
どんな場所でも触れただけでそこがどこだかはっきりとわかる。
細い腰。
長くまっすぐな足。
しなやかでやさしい腕も。

 昴は慎重に時間をかけて大河を導き、体の各所に触れさせた。
言葉を交わす事すらも必要ない。触覚だけがすべてだった。
最後までなにもかもを穏やかに、けれどもお互いが満足行くまで、二人はしっかりと抱き合った。

 

 

 大河は心地よい疲労感の中で息をついた。
裸のままで昴と密着していると、すべての不安が消えていくようだった。
「……ありがとうございます。昴さん」
「ばかだな、こんな事に礼を言うなんて。お互い様だろう」
昴がクスクスと声を出して笑っている。
嬉しかったからお礼を言っただけなのに。

 「なあ、大河、目が治らなくてもいいじゃないか。僕はまったくかまわないよ」
自分でもこんな事を本気で思っているのが驚きだった。
魂が大河でありさえすれば他はどうだっていい。
こうやって愛し合う事だって出来る。他の事だって時間はかかってもきっと徐々に出来るようになるだろう。
「それにまだ諦めるのは早い。そうだろう?」
大河は黙ったままだった。
長い長い沈黙の後、昴の腕の中で、はい。と、きっぱりとした返事が聞こえた。

 続けて鼻をすする音。
見ると大河の顔はぐしゃぐしゃになってしまっていた。
「ふふ、ほら、鼻をかんで」
枕元のティッシュを渡す。
「明日の朝、視力が回復するかまたやってみよう。そうだ、外でやってみるのもいいんじゃないか?」
「外で……ですか?」
昴は頷いて、鼻をかむ大河の目元を親指の腹でぬぐってやった。
「早朝のセントラルパークで。森の中なら他の人にもみつからないし霊力も集中できる」
気分を変えてやりたかった。
見えなくとも公園の空気は室内とは全然違う。
この2日ほどはシアターとホテルをタクシーで往復しているとはいえ、
ほとんどを室内でしか過ごしていない大河には外の空気は新鮮だろう。
「ぼく、なんでもやってみます」
鼻をすすりながら言う大河に微笑んで昴は布団を引き寄せた。

 「そうと決まったら早く寝よう。明日の朝は早起きだぞ」
もうあまり寝ている時間はなかったが、それでも眠った方がいい。
「はい。……あの……ごめんなさい。ぼく……また泣いちゃって」
「君はとても強い。本当に良くがんばっているよ」
なぐさめる為ではない。昴は心からそう言った。
「でもぼく、もっとしっかりしなきゃ。昴さんやみんなにこれ以上心配かけられないもの……」
昴はそれには返事をしなかった。
このままでは朝まで語り明かしてしまいそうだったから。
ただ黙って大河の瞼に手を触れた。
明日のために今は眠ろう。そう、伝えるために。

 

昴さんの性別や受攻判定は皆様のご想像にお任せいたします。

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ようやくここまで……。もうちょっとで終わりです。

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