ぼくのひかり 君の青空 27

 

 その日大河は就業時間いっぱいシアターで働いた。
働いたといっても手探りで部屋を掃いたりしただけではあったが。
舞台から微かに聞こえてくるみんなの練習の声を嬉しく思いながら、大河は一生懸命体を動かした。
目が見えなくなってから初めて活動的に行動し、以前のように充実した気分になって来る。
掃除を始めてすぐに一度派手に転んでしまったが、すかさず杏里とプラムがドアを開けて駆け寄って来た。

 「もう! 大河さんったら! 気をつけてよね!」
「そうよ、タイガーが怪我なんかしたら昴が悲しむわ」
二人で協力して大河を助け起こし、ほこりをはたいてくれた。
「ありがとう杏里君、プラムさん。近くにいてくれたんですか?」
「そうなのよ。じつはちょっと前から……」
「違うわよ! たまたまドアの前を通りかかったらなんだか派手な音がしたから助けただけ! そうでしょプラム」
「そうねえ……」
二人のやりとりに大河は笑った。
前と変わらずに接してもらえる事が嬉しかった。

 見えないけれど、杏里は頬を膨らませてそっぽを向いているはずだ。
プラムはきっといつものように微笑んでいるのだろう。
「ありがとう二人とも。ぼくもう一人で大丈夫だから心配しないで」
「心配なんかしてないもん!」
「杏里ったら、本当はすごく心配なくせに。でもわかったわタイガー。無理をしちゃだめよ」
プラムはそう言って、転がってしまった杖と箒を拾って大河に手渡した。
大河が掃除を再開するのを確認して、杏里と顔を見合わせる。
二人は足元に置いてあるいくつかの小箱をそっと抱えて部屋を出た。
大河がつまずいたりしないように。

 

 昼食は昴がホットケーキを焼いてくれた。
温かいミルクが添えられていて、たっぷりとハチミツがかかっている。
「いい匂い……」
大河は思い切り鼻から空気を吸い込んだ。
昨晩まではどんなにおいしそうな匂いでも食欲をそそられなかったが、
今は甘い香りがお腹を鳴らす。
「新次郎、あんたそれっぽっちしか食べないのかい?」
みんなはホットケーキをデザートに、他にもメインの食事を摂っていた。
「あ、はい。あんまり運動していないので……」
言い訳をして、手探りで皿を引き寄せる。
「ああ、待って、今切ってやるから」
昴は大河の横から手を出して、ケーキを一口サイズに切り分けた。

 「あんまり運動してない……。そうだよね……あたしもサラダだけにしようかな」
サジータは目の前に盛られているグレイビーソースがたっぷりとかかったマッシュポテトを恨めしげに見下ろす。
素晴らしく食欲をそそる香りだったが、同時にとてもカロリーが高そうだった。

 大河は目の前に用意された食事を、時間をかけてゆっくりと慎重に口に運んだ。
見守ってくれている皆のためにも、失敗したりせずに食べたかった。
甘いハチミツとコクのあるバターの香りが口の中に広がる。
目が見えなくなってから、こんなに食事を美味しいと感じたのは初めてだ。
飲み込むことにも苦痛を感じない。
それでも昴が用意してくれた一枚のホットケーキを食べきるのには時間がかかった。

 昴は彼の食事する様子を隣で見守っていた。
昼食に何を用意するか悩んだが、普段から慣れ親しんだ物で消化にも良く、
大河が好きな物を食べさせてやろうと考えてホットケーキとミルクにした。
彼が無事に全部を食べてくれたので気付かれないように安堵の息を吐く。
「おいしかったかい?」
昴はさりげなく聞いたが、その言葉には様々な思いが込められていた。

 何も食べていないと告白された時は衝撃だった。
目が見えなくなった事に大河はなんの関与もしていなかったが、
食べない事は明らかに彼自身の意思だったから。
それもかなり危険なところまで大河は昴にも相談しないまま飲まず食わずで過ごしていた。
オートミールを食べさせた時も辛そうだったし、点滴で栄養を補給している姿はとても痛々しくて正視するのが辛かった。

 今こうやって食べるているところを実際に確認すると心から安心できる。
いつもよりもゆっくりだったし、相変わらず目が見えないせいで手探り状態ではあったが、
それでも今日の大河は以前のように幸せそうに食べ物を口に運んでいた。

 

 朝と同じく、大河はみんなよりも早く席を立つ。
昴もエレベーターまでついていく。
屋上は危険な物も多かったので一人では歩かせたくなかった。
残された星組のメンバーは彼の食事の様子を語り合っていた。
「やっぱり、食べるの大変そうだね」
「あんなちょっぴりしかたべないなんて、しんじろーらしくないな」
「それよりも、顔色が悪いみたいでした……」
ダイアナは心配そうに彼が去って行った方向を見る。
「うん。ボクも朝から思ってた。やせちゃったみたいだし」
大河を送って戻ってきた昴はみんなの心配を察して微笑んだ。
「そうだね。確かに少しやせた。ずっと食欲がなくて……」

 食欲がないどころか、本当は一切の飲食をしていなかったのだが。
「そうだったのかい。まあ突然目が見えなくなったんじゃ仕方がないさ」
サジータは苦笑いをして溜息を吐いた。
いつも明るくて元気だった彼が食事も喉を通らないほど苦しんでいたなんて。もっと支えてやらなければと心から思う。

 サジータは大河の事を弟のように感じていた。
見た目が子供っぽいせいもあったが、素直でいつでも一生懸命な彼を大事に思っていた。
「今日あんたたちが話してくれて良かった。嬉しかったよ」
ずっとどういう状況なのかわからずにやきもきしていた。
現実はかなり衝撃的だったが、それでも何も知らないままで悶々としているよりもずっと良い。
「僕はもう少し家に閉じ込めておきたかったんだけどね」
昴は素直にそう告白して笑った。
「でもちゃんと回復してきている。心配いらないよ」
そう。回復してきている。心も体も。
このまま視力も戻って欲しい。昴は大河の座っていた椅子の背もたれを愛しげにそっと撫でた。

 

 シアターから帰るときも、みんなはいつもと同じように大河と接した。
そうしようと、話し合ってきめたのだ。
特別な事はしない。頼まれたり必要のあるときには手を貸すけれど、それ以外はいつもと同じように振舞おうと。
大河がよろめいたりあらぬ方向に進みそうになるたびに、みんなは思わず手が出そうになる。
けれどもなんとか踏みとどまって、顔を見合わせてこっそりとお互いの行動を笑う。
手を貸してやりたかったが、いちいち支えてやってしまうと大河は辛いだろう。
実際に転んだりするまでは我慢する。
それはなかなか難しい事だった。
「みんな、今日は本当にありがとう。お疲れ様でした」
大河は丁寧に礼を言って頭を下げた。
「お疲れ様新次郎、昴さん。また明日ね」
ジェミニは精一杯明るい声で挨拶を返す。
タクシーに乗り込む大河と昴をみんなで見送って、全員でもう一度シアターへと戻った。

 シアターの中を徹底的に片付けるつもりだった。
ぶつかったり躓いたりしそうな箇所を、できる限り取り除いてやりたかったから。

 

 

 「やっぱり、シアターに行ってよかったな……」
帰りのタクシーの中で大河は呟いた。
「そうだね。でも僕はあまり生きた心地がしなかった」
昴は正直にそう言った。
目の見えない大河が誰の保護下にもない場所で動き回っていると思うと気が気ではない。
「一回しか転びませんでしたよ。ぼく」
得意げに言われて昴は苦笑する。
一回でも転んだなんて本当は恐ろしい。
転んだ先に何か障害物がなくて本当によかった。

 「帰ったら試したい事があるんだ」
昴は大河の手を握った。
「朝言ってた事ですか?」
「そうだ。霊力で視力を失ったのなら、同じように霊力で取り戻せるはずだ」
確信はなかったが、夢の中と繋がっているのなら霊力が原因だと昴は考えていた。
「……怖いかい?」
黙ってしまった大河に、昴はそっと聞く。
「少しだけ……。でも、やってみなきゃ」
顔をあげ昴のほうを向いて笑う。
「だってぼく、昴さんの顔が見たい」
大河は繋いでいない方の手を伸ばし、なんとか昴の頬に触れた。
「昴さんの顔がみたい。一緒にまた散歩しながら沢山の風景を見たい。みんなのショウを見たいんです……」
大河はそのまま昴の頬に触れ続けた。
そうする事で昴の顔を鮮明に心に浮かべる事が出来たから。

 

無事に帰宅……。

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背が低いので足元意外はきっと大丈夫。

 

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