ぼくのひかり 君の青空 25

 

 翌朝大河はすっきりとした気分で目が覚めた。
空腹を感じて思わず自分の腹部に触れる。昨日まではまったく感じなかった食欲がわずかではあったが戻ってきていた。
昨日は昼食に少しだけオートミールを食べ、その後は医師に点滴を打って貰っただけだったが、
まったく起きられなかった昨日に比べたらずっと体調が回復していた。
隣にはまだ昴が眠っている温もり。
大河は腕を伸ばして愛する人を胸の中に抱きしめた。
見る事はできなくても感じる事はできる。
そしてその見る力も取り戻すつもりだった。

 そのためにできるだけの事をすると決めた。
このままここで昴の庇護の下ぬくぬくと暮らしていてはダメだ。

 「大河……? 目が覚めたのか……?」
「はい。まだ少し早いでしょうか」
大河の感覚では十分に朝だったが、昴がまだ眠っていたという事はもしかしたらまだ早いのかもしれない。
昴が時間を確認する気配。
「いや、もう起きる時間だよ。朝食は? 食べられそうかい?」
無理ならまた点滴をしなければならない。
見た目が痛々しいのであまりやりたくはなかったが、栄養を摂取しなければ治るものも治らないだろう。
「その事なんですけど……」

 

 「なんだって?!」
大河の言葉に昴は目を見開いた。
「部屋で一人で留守番してるばかりだと、体がなまってしまいますし」
「だからってシアターに行ったって何も出来ないだろう!」
大河は、昴にシアターに行って働きたいと伝えた。
可能な限り元の生活を送りたい。朝食はシアターで食べませんか、と。

 昴はソファを降りて、ウロウロと歩き回る。
「……君がそうしたいのなら……。けれどやはり危険が……」
ぶつぶつと呟きながら思考を回転させる。
「目が見えない人だって普通に仕事をするじゃないですか」
「それはそうだけれど、突然全盲になって、すぐに働くような人はあまりいないと思うよ」
歩くのはもちろん、一口の食事を口元に運ぶのさえ苦労しているのに。
だいたいシアターに行って何をするつもりなのか。

 「ええと、まず、みんなに話さないと……」
昴以外の星組のメンバーにはまだ何も事情を教えていなかった。
きちんと話して、前へと進み出さなければいけないと、大河は決めていた。
「そのあとは出来る限り仕事をします」
「話すのはいいけれど、仕事は……」
通常彼は、暇な時シアター内の掃除などを手伝っていた。
「出来ます。……もちろん、最初は皆に助けてもらわないと無理だろうけど……」
みんなに助けてもらう。
それを思うと大河は辛い気分になってくる。でもやると決めたからには可能な限り挑戦してみたい。

 「……わかった……」
大河の決意が固いと知った昴はしぶしぶ頷いた。
「その代わり、帰ってきたら僕も試したい事がある」
「試したいこと?」
大河はベッドから降り、手探りで洗面所へと向かうべく歩き出そうとしていた。
「うん。君の視力は夢に影響されて喪失したんだったよね? 夢の中で少女を助けたらしいが、実際の君は誰にも関わっていない」
昴は大河の隣に立ち、彼の腕を自分の腕に絡ませる。
そうして歩きながら喋る。
歩きながら喋れるようになったなんて大変な進歩だ。
以前は一歩進むだけでかなりの集中力が必要だった。
「だから、見る力はまだ君の中に残っているはずだ」
昴ははっきりと伝えて彼を見上げる。
「上手く力を引き戻せれば元通りになると思う」

 「ぼくの中に……」
大河は立ち止まり、目を瞑った。気持ちを集中して数秒じっとしていたが、ゆっくりと目を開ける。
相変わらず視界は真っ暗。
「急には無理だよ。帰ったら一緒にやってみよう」
「……はい」
大河は昴に言われた事を頭の中で反芻する。
見る力は、ぼくの中に。
確かにそうだ。誰にも貸し与えたりしていない。必ず、元に戻るはずだ、と。

 

 

 ジェミニは、とぼとぼとシアターまでの道のりを歩いていた。
目的地はすぐ目の前だったが足取りは重いまま。
原因はよくわかっている。自分達の隊長であり、親友でもある大河新次郎が不調を理由にずっと仕事を休んでいるせいだ。
しかもなぜか自宅ではなく昴の家に泊まっている。
自宅で一人でいては療養できないせいだと聞いた。
一人で療養できないぐらい彼が弱っているのかもしれないと思うと、ジェミニはいても立ってもいられない。
その上実際の病状は一切聞かされていなかった。
心配で見舞いに行きたくとも、今はまだみんなでそれを自粛している状況だ。
サジータが前日、昴に大河の事を問い正してみてくれたが、やはりまだ詳しい事情は話せないという事だった。

 シアターの扉の前に立つと、ちょうどそこにリムジンタクシーが到着した。
黒塗りの高級車は昴が通勤するときに使用しているタクシーだ。
ジェミニは振り返って昴が降りてくるのを待った。
少しでもいいから話しがしてみたいと思ったのだ。
大河とジェミニは年齢も近く、同じ時期に紐育に来たせいでとても親しい間柄だったから、
いないことが不安で、長い病気となると心配で稽古も頭に入らない。

 墨塗りされて内部の見えないドアが開き、昴が車を降りた。
「おはようございます、昴さん」
すかさずジェミニは声をかける。
昴もここ数日は不安げな表情をすることがあったが、今はいつもと変わらない笑顔をジェミニに向けてくれた。
だから話すなら今だと、そう思った。
「あの、ちょっとだけお話、いいですか……?」
「おはようジェミニ、少し待っていてくれるかい?」
昴は彼女に声をかけ、車の中に手を伸ばす。
「足元、気をつけろよ」
「はい」
ジェミニは目を見開いた。
短い返答は紛れもなく大河のものだったから。
思わず車の中を覗き込んでしまうと、不審な視線を向けるタクシーの運転手と視線が合ってしまって慌てて顔を反らす。

 大河は昴に手を引かれて慎重に車を降りようとしている。
ジェミニはその様子を見て首をかしげた。
男性にエスコートされるレディみたいだ、などと思ってしまい、彼がシアターに戻ってきた嬉しさもあって笑顔になる。
だがすぐにジェミニは大河の様子がおかしい事に気がついた。
車を降りるのにかなりの時間がかかっていたから、
昴も彼の手をゆっくりと引き寄せ、声をかけながら誘導しているように見えた。

 「あの……おはよう、新次郎、もう大丈夫なの?」
「あ、おはよう、ジェミニかい?」
車から降りた大河はにっこりと微笑んで、背を伸ばしてまっすぐに立った。
その様子を見てジェミニも笑う。何かおかしいと感じたが、気のせいだったに違いない。
彼は少しだけ顔色が悪かったけれど、やさしい笑顔はいつもと変わらなかった。
元気に見える大河の様子が嬉しくて、涙が零れてしまうんじゃないかと思うほど安心した。
あんなに大げさに病気の様子を隠したりして心配させて、数日で回復するぐらいなら隠さなければいいのに。

 「こっちだよ」
昴は大河の手を腕にからませた。
「あ、はい。ありがとうございます」
大河は、昴がサポートしてくれれば、もうほとんど普段と変わらないスピードで歩けるようになっていた。

 「新次郎ってば、シアターでまで昴さんとくっついていたいの?」
ジェミニはからかうように声をかけた。
普段あまりそんな事をしない彼女だが、大河が戻ってき来てくれた事が嬉しかったから。

 大河は少しだけ困ったように笑う。
「ジェミニ……」
立ち止まり、彼女のいるであろう方向を向く。
「黙っててごめん……」
「え? うん。病気の事? 治ったんでしょ? だったらもういいよ」
話しながら、ジェミニの胸に少しだけ違和感が生じる。
やはり何かおかしい。気のせいじゃない。
大河はジェミニのほうを向いている。それなのに、視線はジェミニのやや上方を抜けてしまっていた。
ジェミニは彼の視線を追うように背後を振り返ったがやはり何もない。
何を見ているのだろう。
むしろ何も見ていないように、そう思える。

 ジェミニは何度か大河と彼の視線の先を交互に見つめた。
落ち着かない動きをしている彼女を、大河は気にした風もない。気付いてもいない。
ジェミニの鼓動が早くなってくる。
さっき、タクシーを降りた時、昴は大河を誘導していた。
今も、歩くのを助けるように寄り添って……。
少しだけ自分よりも背の高い彼をじっと見つめても、いつものように視線を合わせてはくれない。

 「……ぼく、急に目が見えなくなっちゃって、それでシアターを休ませてもらっていたんだ」
大河は少しだけ躊躇ってからそう言った。
昴は横で黙って彼の言葉を聞く。ただ、しっかりと、腕に回されていた手の握ってやっていた。
「じょ……冗談だよね……?」
ジェミニは息を飲んで彼をもう一度見つめる。もちろん冗談だよ、と笑って欲しい。
けれどもジェミニ自身がさきほどの大河の様子からうすうす気がついていた。
確かに彼は何も見えていない。

 「……きっと治るから……。みんなにきちんと話したいと思って来たんだ」
「すまないがジェミニ、楽屋に全員集合したら、あとで屋上のテラスに来るように伝えてくれ」
昴は大河の言葉を補った。
「心配ない。治ると確信したからシアターに連れて来たんだ」
昴は大河に聞かせる意味もこめて、しっかりと言ってやる。

 ジェミニはそれ以上何も言えずにその場で立ち尽くした。
気がつけば、二人はもうエレベーターに乗り込もうとしているところだった。
その様子をじっと見つめる。
考えがまだ纏まらなかったが、彼らがこんな悪質な冗談を言ったりやったりするはずがない。
おそらく本当に目が見えないのだろう。
混乱する思考の中で、二人が言っていた言葉を思い出す。
必ず治るとそう言っていた。
ジェミニは胸を押さえて振り返り、楽屋へ向かって一歩一歩、確認するようにしながら歩き出した。
歩きながら、零れてくる涙を勢い良くぐいと拭う。
さっき大河は泣いていなかった。自分が泣いてしまってはいけないと、そう思ったから。

 

 

ようやくシアターに来るまでを書けました。

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