ぼくのひかり 君の青空 23

 

 

 昴がシアターを早退して部屋に戻った時、大河はソファの上で眠ってしまっていた。
ずっと体調が良くないようだったから、ぐったりしている姿を見ると心がざわつく。
近寄って、その胸が規則的に上下しているのを確認してほっと息を吐いた。
「ただいま、大河」
昴は彼を起こさないように小声で声をかけた。
そのまま部屋を出て行こうとするが、大河がソファの上で身じろぎをしたので立ち止まる。
「ん……」
大河は声を出してゆっくりと瞼を開いた。
もちろん視線を合わせる事はできないが、それでも瞳は昴を探して数瞬彷徨う。
「昴さん……?」
「起こしてしまったかい? ただいま。お昼ごはんはもう食べた?」
まだ昼食の時間には少しだけ早い。
だが、帰ってきたのは昴が予想もしていなかった答えだった。

 「……昴さん、……ごめんなさい」
「ん? どうした? 食器でも割ったかい?」
着ていたコートをクローゼットに仕舞いながら、昴は気軽に話を続けた。
「ぼく実は……」
大河は言い難そうに言葉を詰まらせた。
「……もう……ずっと何も食べていないんです」
「何?」
その言葉に昴は眉を寄せて振り返った。

 大河はソファの上に腕をついてフラフラと起き上がろうとしていた。
「朝食を抜いた、と言う意味ではなく?」
昴の鼓動が早くなってくる。

 確かに大河は目に見えて衰弱していた。
この数日、顔色も悪かったし呼吸数も不安定だった。
だがそれは精神的なものが原因だと思っていたのに。
「最初の夜頂いたパンを、次の日の朝食と一緒に戻しちゃって……。それからずっと水も飲めなかったんです」
あまりの事に昴は声が出なかった。
「……ごめんなさい」
大河の青ざめた頬を、貴重な水分が涙となって零れ落ちて行く。

 昴は自分を落ち着かせながら彼に近づいた。
隣に腰掛け、ともすればグラリと傾いて倒れてしまいそうになる大河をさりげなく支える。
間近で見ると大河の肌はすっかり青ざめてしまっていた。
肩が苦しそうに上下していて呼吸するのも辛そうだ。
確かに以前よりもやせてしまった気がする。
「……それも夢に関係しているのか?」
昴は静かに問いただした。
「はい。夢の中のぼくはずっと何も食べずにいました」
思い出そうとしているのか、それとも起きているのが辛いのか、大河は目を瞑った。
「死にたがっていたみたいでした……」
それを聞くと、昴の胸に氷の塊を投げ込まれたような衝撃が襲った。

 ずっと以前に大河が大怪我をして生死を彷徨った時に感じたような衝撃。
現実に今の大河は衰弱していて、このまま何も食べずにいたら間違いなく死んでしまっていただろう。
けれど今まで黙っていた事実を話してくれたと言う事は、自分でも事態を打開していと思っているに違いない。

 混乱していた昴の頭が少しだけ正常に回転し始める。大河にはまだ戦う意思がある。
「君は死にたいとは思っていないんだろう?」
「はい」
きっぱりとした返事。
大河は昴のほうを向いた。
「ぼく、夢なんかに負けません。死んだりしない。だから昴さんお願いです。少しだけ協力してくれませんか?」
昴は何も答えなかった。代わりにしっかりと頷いて、大河の瞳を見つめた。
大河には頷く昴が見えなかったはずだが、それでもにっこりと微笑んだ。
「ぼく今、昴さんの顔が見えました」
驚いて昴は眼を見開く。
「頷いてくれたでしょう?」
「ああ……」

 実際には何も見えていないだろう。
なぜなら今も大河の瞳はあらぬ方を見つめている。
昴は見えたと言う彼の言葉が嬉しくて声が詰まった。
「頷いた。君には確かに、僕が見えているんだな」
不意に昴の頬を涙が伝って慌てて鼻をすする。
「あ……。今度はもしかして泣いているんですか?」
「ばか、君のせいじゃないか」
昴は腕を伸ばして大河を抱きしめた。
ずっと塞ぎこんでいた大河が、ようやく前を向いて戦う意思を示してくれた事が心底嬉しかった。
体は衰弱してしまっていたが、心が弱っているよりもずっとずっとマシだ。
密着しているせいで昴の涙が大河の髪を濡らす。
大河はそんな昴をしっかりと抱きしめ返した。
自分を支えてくれる小さな恋人が心底愛しかった。

 「それじゃあ、今日も何も食べていないのかい?」
落ち着くと、昴は彼から少しだけ体を離して聞いた。
「テーブルの上、硬い物ばっかりだったみたいなので……。お水はなんとか飲めました」
吐く寸前ではあったが、体が水分を吸収していく確かな手ごたえを感じた。
「わかった。じゃあオートミールなら食べられるかな」
「ええと……。おかゆみたいな食べ物ですよね? 挑戦してみます」
昴は立ち上がり、フロントへと電話をかける。

 受話器を持ち上げて昴は考える。
大河が今日まで何も食べていなかったという事は、食べたふりをして捨てていたという事だ。
そこまで彼が追い詰められていたのだと思うと胸が苦しかった。
大河は普段、食事を粗末になど絶対にしなかった。
言われて思い出してみれば、食べた後に吐いたと言う、最初に彼が一人で食事をした朝は、テーブルに沢山パン屑が散らばっていた。
それなのに翌日からは食卓はまったく汚れていなかった。
いつも綺麗なままだったように思える。
注意していれば気がついたはずなのに、昴自身も一連の出来事にかなり動揺していたせいもあってか、
気がつくべき異変にまったく気がつかなかった。

 食事を注文した後で、昴はシアターにも連絡をした。
これから来る予定の医師に、事情を説明しなければならない。
できれば点滴などの栄養剤を用意してきて欲しかった。
食べるにしても、今の大河にはごくわずかの食料しか摂取できないように思える。
点滴で直接体に流し込んでしまえば、とりあえずは安心だ。

 「もう心配ないよ」
振り返ると、大河はもう一度ソファに横になって休んでいた。
眠ってはおらず、寝そべったまま頷いて微笑む。
「ありがとうございます。話せてよかった……」
「うん。本当だぞ。まったく、君は僕を心配させすぎる」
昴は彼の傍へと歩み寄り、やさしく髪を掻き上げた。
「眠っていていいよ、注文した食事が来たら起こしてあげる」
そう言うと、大河はそのまま安心したように目を閉じた。間をおかずすぐに眠ってしまったようだった。

 昴は寝室へと歩き、軽い上掛けを一枚持って戻ってきた。
起こさないようにそっと、眠っている大河の上へとかけてやる。
「話してくれてありがとう。僕も一緒に戦うから」
そう言って、昴は唇でやさしく大河の瞼に触れた。

 

昴さんショック。でも良かった。

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オートミールはとても不味いと思います。

 

 

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