ぼくのひかり 君の青空 20

 

 大河はその日、昼食を遅い時間に食べたから、と断って、昴が誘っても夕飯を食べたがらなかった。
ではあとで空腹になった時に、という事になり食事は後回しになった。
昴がシャワーを浴びて居間に戻ると、大河がすまなそうにテーブルに座っていた。
「ごめんなさい、やっぱりちょっとお腹がすいちゃって……」
彼は食卓に乗っていたカットしたフランスパンを少しだけ食べたようだった。
「優柔不断だな、まったく」
苦笑しながら言ったものの、昴は安堵していた。
今日一日、彼は一人でもきちんと食事していたようだから。
最初の晩に夕飯を欲しがらなかったので心配していた。
しかしそのあとは少量とはいえずっと順調に食べている。
やはり目が見えない以外は健康なのだろう。

 

 大河は昴がシャワーを浴びている間に、テーブルを探って乗っていたパンのひとつを手に取った。
「ごめんなさい!」
キッチンまで歩いていって、蓋の開閉できるゴミ箱へそっと捨てる。
「……ごめんなさい……」
食べ物を粗末にするという自分の行為が許せなくて、大河は拳骨で己の頭をゴツンと殴った。
結構な音がしたし、痛みもそれなりだったが、罪悪感は薄れない。
本当は食卓のパンも、一切れではなく三つ四つそうして処分した方がいいとわかっていたのだが、
どうしてもそれ以上を捨ててしまう事ができなかった。

 ソファに戻って蒸気テレビの音を聞く。
何かコメディ番組を放送しているようだったが、何も頭に入ってこない。
さっき捨て去ってしまった食事の事、これから自分が昴につくであろう嘘。
昴に世話になっているというのになんでこんな馬鹿な事をしているのだろうと思うと泣きたくなってくる。
なぜこんなに食欲がないのか、それを考える事もできなかった。
ただ、食べたくない。どんな事をしても。

 

 翌朝昴は前日の大河との約束通り仕事に出かけた。
前の朝と同じく、先に食事を済ませて。
大河は昨晩と同じように、昴が出かけた後に、用意されていた朝食を捨てた。
今日の朝食は彼の好きなベーグルだった。
新鮮な野菜やターキーが挟まっていたが、まったく食欲がわかない。
「お夕飯……どうしよう……」
夕べのようにまた昴がシャワーに入っている間にどうにかするしかないのだろうか。
だが昴は何度もそんなごまかしが通用する相手ではない。
「やっぱりちゃんと話さないと……」
このままではだめだと自分でもわかっていた。
昨晩また夢を見たが、状況は変わらず、親子は現れないまま聖は絶食を続けている。

 聖は死を願っていた。
心から、それが訪れるのを楽しみにしているようだった。
だが大河はそうではなかった。
死にたくなんてなかったし、もしも万が一死んでしまって昴を悲しませる事態になったなら、絶対に自分を許せないだろう。
何とかしなければならないと思っていたが、どうしても食物を口に運ぶことが出来ない。
昼もウォルターが運んでくれた食事を、大河はみつからないようにこっそりと捨ててしまった。
食べやすいように考えられた、暖かいスープと食事。
大河は罪悪感に打ちひしがれながら食器を洗った。
見えなくても、何も食べられなくても、せめてこれぐらいはしなければと思った。
それに何も食べずに料理を捨ててしまった食器は、綺麗過ぎて食べなかった事がわかってしまうかも知れない。

 流れる冷たい水に手を当ててふと気がつく。
そういえば、もうずっと水も飲んでいない。

 

 それに気がついたとき、このままでは本当に死んでしまうかもしれないと悟った。
さっきから手先がかすかに震えていたが、水が冷たいせいばかりではない。
頭がくらくらしていたし、立っているのが辛かった。
長く苦しい訓練のあとの疲労しきった状態に似ていた。

 ショックで、めまいがする。流しに手をつくと、突然吐き気が襲ってきた。
「うっ……!」
咳き込んで胃が痙攣するのにまかせたが、当然何も吐く物はない。
ただ、不快感で意識が朦朧とする。
「なんで……」
キッチンに座り込み、壁に背を預けて、大河は歯を食いしばった。
くやしくて涙が零れる。
唇の端に触れた涙の粒は、いつもよりもずっと塩辛く感じた。

 

 「ただいま、大河。何か変化はあったかい?」
いつもシアターを退出するよりも少しだけ早く仕事を切り上げた昴は、玄関で声をかけた。
「おかえりなさい昴さん」
大河はソファの上で横になっていたようだった。
体を起こして昴を迎える。
「また寝ていたのかい? 夢とやらの続きはどう?」
急かさないようにゆっくりと聞いて、昴は大河の隣に腰掛けた。
「いえ……まだ何も……」
本当は何度も続きを見ていたが、回復の兆しのある良い夢ではなったし、
それどころか己の死を望む内容だったなどとはとても言えない。
「そうか、焦らなくても良い。明日はまた先生が来てくれるからね」

 シアターで昴は医師とサニーサイドと3人で話し合いをして来た。
これから毎日診察をする。1週間経ってもまったく回復の兆候がない場合は本格的に治療を始めなければならない。
入院させて検査をする。

 「夕飯は?」
「さっき、お腹がすいてウォルターさんに持ってきてもらっちゃったんです」
大河は少し緊張した面持ちでそう伝えた。
昴が留守の間に、夕飯を食べないですむ方法をずっと考えて、出した最良の言い訳がこれ。
先に食べたといえば無理に勧められないだろう。
「僕を待たずに?」
昴は少し不機嫌な声を出した。
「ご……ごめんなさい……!」
「ふふ、いいよ。好きなときに食べるといい」
立ち上がって、フロントに自分の分の食事を注文する。

 「ああ、それから大河、一部屋君のために何もない空間を作るから、そこで運動するといい」
毎日座ったり寝ていたりするばかりでは本当に病気になってしまうよ。
そう言って昴は大河の手を取って立ち上がらせた。
物があるとぶつかる危険があるので、何も置かない部屋を作る。
本格的な運動は出来ないが、体操やストレッチには丁度良い。
「そんな……そこまでしてもらえません」
「気にするな。どうせ使っていない部屋だ。今夜のうちに片付けてもらう。こっちの部屋だよ」

大河の手を引いて歩きながら、昴はふとその手の冷たさに気がつく。
部屋は十分に暖かいのに、大河の手はひんやりと冷え切っていた。
見上げると、顔が真っ青になっている。
昴が立ち止まると、手を引かれていた彼も止まる。
「……どうしたんですか?」
「顔色が悪いぞ」
手を伸ばして彼の頬に触れると、そこも驚くほど冷たかった。
「さっきまで寝ていたから冷えちゃったみたいです」
大河は笑った。
だが、その笑顔を見て昴は不安が這い登ってくるのを抑えられなかった。
いつもの笑顔と変わらないのに、なぜこんなに不安になるのか昴にもわからなかった。

 

不調な大河。
そろそろ昴さんも気がつくよ。

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新次郎は超健康的な生活を送っているイメージが。

 

 

 

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