ぼくのひかり 君の青空 16

 

 昴の腕の中で、大河は子供のように泣いてしまった。
恥ずかしくて仕方がないのに止められない。せめて声を出すまいと、必死で嗚咽を飲み込む。
母親のように背中を撫でてくれる小さな手の平。
昴はきっと、大河が突然視力を失ったことがショックで泣いているのだと思っているだろう。

 だが大河の涙が止まらない理由はそれだけではなかった。昴がここにいてくれることがたまらなく嬉しかったから。
あの日、犠牲になると言い出した昴を必死で説得し、みんなで生きる道を探った。
確信があったわけではないのに、力を合わせて挑めばきっとなんとかなる。そう信じた。
みんなも、自分に付いて来てくれた。
聖とは違い、昴を失わずに済んだという事実が、今更ながら奇跡のように思えてきた。
もしも五輪曼荼羅を使用した時に昴が命を落としていたならば、大河はきっともう紐育にはいなかっただろう。
過去の聖のように、何もかもを捨ててどこか知らない土地をさ迷い歩いていたかもしれない。

 昴の体に顔を埋めると、暖かな温もりがすべてを癒してくれる気がする。
傍に、いてくれる。
抱きしめて、語りかけ、今もゆっくりと鼓動を刻んでいる。
過去の自分が経験してきた悲しみを知ってしまった今、昴と共にいられることがどんなに幸せな事か良くわかった。

 

 昴は大河の頭を抱きかかえ、子供をあやすようにやさしく撫でてやっていた。
「大丈夫……」
存在を肌で感じられるように、しっかりと頭を抱きかかえる。
大河が望もうと望むまいと、九条昴は君と共に歩むともう決めてしまった。そう考えて、そっと微笑んだ。
「どこにもいかないよ……」
もう何度そう声をかけたかわからない言葉を再び囁く。
見えないのならば、触角で、聴覚で、嗅覚で、味覚で、
視覚以外のすべてで伝えればよい。難しい事は何もない。
大河の嗚咽を堪える震えが収まり、それがゆっくりとした睡眠時の呼吸に変わるまで、昴は彼を抱いたまま愛撫し続けた。

 

 大河が翌朝目を覚ますと、顔全体がはれぼったく感じた。
遠慮なく泣いたせいでむくんでしまっている。
手探りで探したが、隣で寝ていたはずの昴はいない。
首をめぐらすが、相変わらず何も見えないままだった。
「目が覚めたのか? 大河」
「あ、昴さん、おはようございます」
大河は昴の声のしたほうを向いた。
そちらの方向からはスリッパで大河に向かって歩いてくる軽い足音。

 彼を見た瞬間にすぐに気がついた。
やはりまだ視力が戻っていない。
彼の視線が見当外れとは行かないまでも、微妙に違った方角に向いていたから。
調子はどうだ、などとは聞かなかった。
あきらかに改善していないのに、それを確認させたくはない。
「夢の続きを見た?」
こう聞くのが精一杯だ。
「いえ……それが……昨日は何もみませんでした……」
昨晩は、ここ一週間ほどで、初めて夢を見ない夜だった。
淵に沈みこむように、深い睡眠だった。
だがそれは不快なものではなく、昴のやさしい愛情包まれて、安堵感に満ちた幸せな眠りでもあった。
「そうか、疲れていたのだから仕方がないさ。気にするな」

 昴は明るくそう言って大河の横に腰掛ける。
手を伸ばして頬に触れると、彼は目を閉じてされるがままになっていた。
身を乗り出して、唇をそっと重ねる。

 「今日は出社せずにここにいるといい。君は体調が悪くて休むと伝えておくから」
「はい……」
それしかない。
仕事に行っても何も出来ないし、足手まといになるだけだ。
何より、まだ誰にも目が見えなくなったことを話したくなかった。
「朝食はもう届けてもらってあるよ。食べるだろう?」
昴は大河の手を取って引いた。だが彼は立ち上がらない。
「いえ……いつももっと遅くに食べていたから、まだおなかがすかないんです」
食欲がない。胃が重く、昨晩の夕食を食べた直後のように感じる。
「……わかった。でも必ず食べるんだぞ。電話はわかる?」
「居間の、ですか?」
「この部屋にもある。こっち側に来て」
昴は大河をベッドの反対側へと誘導した。
「ほら、このキャビネットの上。わかるかい?」
触れさせてもらうと、たしかにそれは電話の感触。
「受話器を上げればフロントに自動で繋がるから」
「わかりました」
「僕に緊急で用事があるときはシアターに電話を繋いでもらってもいいし、キャメラトロンを鳴らしてもいいよ」
「キャメラトロンですか?」
あれは文字を打ち込む必要があったが、見えないとそれは難しい。
「いや、無言で送ってくれればいい。それぐらいなら見えなくても出来るだろう。無記名のメッセージなら君だと分かるから、そうしたら急いでホテルに戻る」
昴はそう言って、彼の手にキャメラトロンをしっかりと握らせる。
それだけではもしも落としたりして手を離れた際に見失ってしまうかもしれないと不安で、
キャメラトロンについている細い鎖を、大河の手首にしっかりと巻いて止めた。

 昴は他にも、洗面所の位置や、キッチン、リビングまでの位置を改めて確認させた。
最後に着替えをベッドの脇のテーブルの上に置いてやる。
「危険だから、僕が帰るまでは絶対に、部屋を出るなよ」
「はい……」
「それから、必ず朝食と昼食を食べる事。抜いたら許さない」
夕飯までには戻るから、昴はそう言って、躊躇しながらも部屋を出た。

 

 大河を一人部屋に残していく事が恐ろしかった。
手首に巻いたキャメラトロン。あれをなくしたりしないといいが。
もしも、転んで大怪我をしたりしたら……。
そんな些細な事が不安で、廊下を歩きながら、何度も部屋に戻りそうになる。
フロントでウォルターに出合った昴は、簡潔に事情を説明した。
大河が、今、視力を失っていること。
呼ばれなくとも、時々様子を伺ってほしい、と。
ウォルターは何も聞かずにすべてを了承してくれた。

 ホテルを出て、待っていたタクシーに乗り込む前に、自分の部屋を見上げる。
あそこで今、愛する人がたった一人、不安を抱えて待っているのだと思うとたまらなかった。
傍にてやりたいが、昴にはやる事があった。

 大河が嫌がるだろうから彼には教えなかったが、サニーサイドにだけは事情を話しておくつもりだった。
今後、昴も仕事を休む事があるかもしれないが、
どちらにしても、上司であり司令でもあるサニーの了承を取っておきたい。
それになによりも、急いで大河を医者に診せたかった。
サニーと上手く交渉できれば、外部に漏らさずにシアターの医者に診て貰えるだろう。
一刻も早く治療してほしい。一分一秒が惜しかった。
治療が遅れたせいで手遅れになりでもしたら、一生悔やんでも悔やみきれない。
優れた医師を派遣して貰うためにも、一度はシアターへと行く必要があった。
「待っていてくれ、大河、必ずすぐに戻るから……」
呟いて、黒塗りのリムジンタクシーに乗り込む。
大河との距離が、あっという間に広がってしまう。
昴は見えなくなるまで、上階にある自分の部屋を見つめ続けた。

 

お留守番タイガー。
昴さんは心配しながらもお仕事。

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超さみしそう。

 

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