ぼくのひかり 君の青空 11

 

 シアターの入り口に到着したタクシーに、昴は大河の手を引いて乗り込んだ。
「そっちの手も出して、ほら、ここがシート。上、気をつけるんだぞ」
彼が天井に頭をぶつけたりしないよう。足元の段差に躓いたりしないよう、細心の注意を払った。
指先をやさしく誘導し、実際に触れさせて確認させながら座らせる。

 大河は素直に従いながら、昴が自分のために心を尽くしてくれている事に気がついていた。
だが、何も言えない。
いつもならばすぐにお礼を言えるのに、どうしていいのかわからず困惑していた。
謝るべきなのか、感謝するべきなのか。
多分その両方なのだろうが、なんと言っていいのかわからなかった。
口を開こうとすると、喉に石が詰まったようになって言葉が出てこない。

 ホテルへの道、その間二人は何も言葉を交わさなかった。
昴も、ここで彼になんと声をかけて良いのかわからなかったから。
家に帰ってから、落ち着いてじっくりと話し合いたい。

 昴は黙ったまま大河の横顔を見つめていた。
暗い表情をしているが、それ以外は普段と何もかわらないように見える。
大河は正面を向いたまま、口を引き結んでじっとしている。
ためしに、そっと彼の眼前に手を差し出して、ゆっくりと動かした。
だが、やはりなんの反応もない。
相変わらず視力を失ったままなのだろう。

 さきほど客席で会話をしている時、大河は何かを隠しているようだった。
視力を失ったことや、それを回復させる方法に関する、重大な何かだ。
どうして秘密にする必要があるのだろう。
回復する可能性があるのなら、その方法を知りたかった。
もう一度問いただしたい衝動を押さえ込む。
あとで聞きだすつもりだったが、今責め立てるように問いただしても、ますます意固地になるばかりだ。
今はとにかく落ち着かせ、なんとかして原因を突き止めたかった。

 

 一方、大河は、夢の事を考えていた。
なぜ、あんな夢を見るようになったのか。
最初に、歩く聖を見たのはいつだっただろうか。
確か、一週間ほど前だ。

 一週間前、眠りにつくとすぐに夢を見た。
風景が鮮明に目の前に現れて、現実の世界のようだった。
思えば最初に見た夢が、今まで見た中で一番はっきりとしていた。
本当に、自分がそこに立っているように感じた。
道幅は広かったが、土色の地面には大きな石が転がるままになっていて、整備された様子はまったくなかった。
大河にはどことも知れない田舎道のように見えたが、
なにぶん昔の事だし、信長との戦いのあとだったから、街道そのものも寂れていたのかもしれない。

 最初に夢を見たとき、聖は誰とも口をきかず、どこに立ち寄る事もせず、ただ黙々と歩いていた。
決して空を見ようとせず、足元だけに視線を落として。
そしてひたすらに自分を責めながら。

 あの日……。
そうだ、あの日、確…か…。
大河は最初に夢を見た前日の昼の出来事を思い出した。
あの日は休日で、昴と一緒に勉強もかねて、シアター以外の劇場へ観劇に出かけたのだ。
そこで、盲目の若い女性に会った。

 目が見えないその女性は、劇場の係員に案内されて、大河のすぐ隣に腰掛けた。
始めてみる白杖。
「お隣に、どなたかいらっしゃるかしら」
「あ、はい!こんにちは」
不意に声を掛けられて、大河は慌ててしまった。
「うふふ、こんにちは。私、ご覧の通りなので、もしもご迷惑をおかけするようなことがあったらごめんなさいね」
そう言われ、ぶんぶんと首を振り、首を振ったのではわからないのだと気がついてますます慌ててしまう。
「ご心配なく、我々の事はお気になさらなくとも大丈夫ですよ」
すかさず昴が助け舟を出した。
「まあ……その声……!」
盲目の女性は口元に手をあてる。
「失礼ですけど、もしかしてシアターの九条昴さんじゃないですか?」
昴と大河は顔を見合わせた。
「……間違っていたらごめんなさい」

 大河は本当の事を言っていいものかどうか困ってしまって昴を振り返る。
恋人は、プライベートで他人に話しかけられることがあまり好きではない。
だが、昴は大河の視線を受けて微笑んで頷いた。
「いや……あなたのおっしゃるとおり。九条昴です。失礼ですが、良くお分かりになりましたね」
「すごいです!声だけでわかるなんて!」
大河には信じられなかった。
目が見えないのに、知人でもない他人の声がわかるなんて。
いくら昴が有名人だからとはいえ、舞台意外にはそれほど頻繁に露出しているわけではないし、
万が一そうだったとしても、声だけで判別するなど大河には到底無理だった。
ためしに蒸気TVにいつも出ているコメンテーターの声を思い浮かべてみる。
思い出すことはできるが、道端で声を聞いてもその人だとはわかりそうにない。

 「うふふ、ちっともすごくなんかないんですよ。いつもシアターに通っていますから…」
「それでもすごいです!」
大河が褒めると、昴も頷いた。
「謙遜なさることはない、素晴らしいですよ」
彼女は褒められて照れているようだった。
前を向いたままだったが、頬が薔薇色に染まっている。

 「目が見えたころから舞台が好きで、失明してからも観劇をやめられなくて…」
彼女は顔をあげ、舞台のほうを見つめる。
キラキラ輝いている青い瞳は、本当に見えていないなどとは信じられない。
きっと、本当に舞台が好きなのだろう。

 

 大河は盲目の人と初めて言葉を交わして、家に帰ってからも色々と考えた。
目が見えない女性……。
初めて会話をしたはずなのに、何か懐かしい気がした。

 

 そして、その日、初めて夢を見た。
旅をする高野聖。
最初のころはただ歩き続けているだけだったのに…。
いつまで続くのだろうと不安には思っていたが、
こんな事になるなんて、考えてもいなかった。

 だが、夢が原因なら、きっと治る。
大河はそう信じていた。
夢の中の聖はともかく、自分は誰かに視力を貸し与えたりはしていない。
なによりあれは過去の出来事だった。
放って置いてもいつかきっと治る。
たとえ、夢の中であの親子が帰ってこなくとも。
そう信じたかった。

 

 

タクシーの中でもんもんとする二人。
なんかスイッチ入っちゃって夢が始まったらしい。

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まだ家につかなかった…。

 

 

 

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