ぼくのひかり 君の青空 10

 

 

 昴はしばらくの間大河を抱きしめていたが、
落ち着いてくると大河を手伝って床から立ち上がらせ、近くの座席に座らせた。
額を掻き揚げてやり、目に髪がかからないようにする。
「……今、どれぐらい見えている?」
「ごめんなさい、何も見えないです……ずっと真っ暗で……」
そんな答えを返したくはなかったが、隠し立てしても何も良い結果は得られない。
大河はありのままを話した。
夢の事を話せない代わりに、他の事ではなるべく正直に話したかったから。
「あやまるな……。真っ暗、と言うのは、光をまったく感じないという事?」
「はい……多分……」
昴は放り投げてしまっていたペンライトを拾い上げ、スイッチを入れる。
「光を感じたら教えろ。わずかでもいいから」

 頷いた大河の顔の正面に立ち、片手で彼の顎を支え、その眼球のまん前にライトを照らす。
昴はライトをゆっくりと左右に振って、瞳の動きを観察した。
結果はすぐに判ったのだが、あきらめきれずに数分間そうやって大河の反応を待った。
瞳は目の前にある強烈な光にも、わずかな反応も見せなかった。
そして当然、大河自身も、光を感じるとは言ってくれなかった。

 息を吐きたくなるのを我慢してペンライトを胸元に仕舞う。
今、自分が失望した様子を見せたら、大河が不安になるだろう。
「光、感じなかった?」
「はい……」
しょんぼりとうな垂れる大河の頬を撫でる。
「大丈夫。瞳に怪我をした痕跡はない。朝まではなんともなかったんだし、きっとすぐに回復するよ」
実際、大河の瞳はいつもと同じように美しかった。
間近で見ると、普段は真っ黒に見える瞳も、複雑で美しい色合いをしている事がわかる。
虹彩はキラキラと輝いて、金や緑の宝石がちりばめられているようだった。
見えていないなどとはとても信じられない。
きっとすぐに治る。
昴は自分に言い聞かせるようにしてもう一度、その輝きを見つめた。
濁りのない透き通る瞳に吸い込まれそうになる。

 昴はそれを振り切るようにして視線を離した。やさしく肩を叩いてやり、立ち上がる。
「とりあえず医師に見せてどうするか決めないと」
「お医者さんに……ですか……」
大河は顔を伏せた。
原因は、おそらく夢にある。
医師に見せたところで回復はしないかもしれない。
夢の続きを見れば、あの親子が帰ってくる可能性がある。
そうなれば自然に治るのではないかと思っていた。

 さっき気を失っている間に見た夢では親子は帰ってこなかったが、
そのあとずっと戻ってこないとは限らない。
もしも、目が見えない事が賢人機関に知られてしまったら、きっとここにいられなくなる。
おそらく確実に、任を解かれる事態になるだろう。
盲目の隊長など、役立たずどころか迷惑以外の何物でもない。

 大河はまだここにいたかった。
何年も士官学校に通い、辛く厳しい訓練に耐えてきたのは、
叔父のように、愛する人を自分の力で守れる人間になりたかったからだ。

 ようやく、愛する人を見つけたのに。
守れる力を身に付けられたと、そう思っていたのに。
いつか紐育を離れる事になるとしても、こんな形で終わりになるなんて考えてもいなかった。
出来る事ならば、上に知られないままに治癒したい。

 「わかりました……。お医者さんに診て貰います……。でも……」
「でも?」
「賢人機関とは関係のない病院に行きたいんです……」
大河は面を伏せたまま、深刻な面持ちで訴えた。
「気持ちは分かるけれど大河……」
「お願いです」

 昴には大河の心が手に取るように分かった。
昴だって、彼がなんらかのペナルティを受けるような事態は避けたかった。
しかし同時に、少しでも早く、確実に、彼に治って欲しかった。
シアターの専属の医師団は、その科学力と同様、一般の医師たちよりも技術が格段に上だったから、
彼らに診せて、一刻も早く治癒して欲しい。
大河の瞳がこのまま一生失明したままだなんて、そんな恐ろしい事は考えたくもない。
「……やっぱりだめだ。まずサニーに相談して……」
「嫌です!昴さん!」
大河は昴が立ち上がる気配を察して必死で手を伸ばした。
昴がまっすぐにサニーサイドの元に行ってしまうと思った。
そうなったら、ここでのすべてが終わってしまう。
指の先に触れたスーツの端を強く握る。
椅子から立ち上がって懇願した。
「お願いです!きっと……。必ず治りますから……!」
「大河……」

 昴は立ち上がりかけていた腰を下ろし、スーツを強く掴んでいる彼の手にそっと触れた。
緊張のためか、指先が強張って震え、ひんやりとしている。
何度も握ってきた彼の手が、こんな状態になっていたのは初めてだ。
いつも暖かく、やわらかかった大河の手。
大河も、昴の動きにあわせて腰掛ける。
椅子ではなく、床の上に、力尽きたようにしゃがみ込んだ。

 「なぜ、そう言い切れる?」
治ると言った大河の言葉には、勢いだけではない、強い確信が見えた。
「なぜ、必ず治ると……?」
彼は何かを隠している。
「治るような、気がするだけです……」
「嘘だ」
見えない目を伏せる大河の言葉を間髪入れずに否定して、昴は再び立ち上がった。

 「こんな時に隠し事をするなんて、君は僕をなんだと思っているんだ!」
「昴さん……」
今にも泣き出しそうな彼の表情を見ると、とたんに自分を殴り飛ばしてやりたくなる。
本当に辛いのは大河だ。
突然光を失って、どんなに恐ろしいだろう。
それなのに、自分はそんな彼を怒鳴り散らしている。
「僕が信用できないと言うのなら、自分でなんとかすればいい!」
叫んで、客席のゆるやかな階段を足音高く上っていく。

 大河は追って来なかった。
もちろん、目が見えないから追いたくても出来なかったのかもしれないが、
声をかけることすらしてこなかった。
振り返ると、床に座り込んでいる彼が苦しそうな表情でこちらを見ていた。
視線は、実際に昴がいる位置よりも少し下。
本当に、見えていない。

 本当に……。

 昴は不意に呼吸が苦しくなった。
何事かと胸に手をあてると、喉元を熱く込み上げてくる物があった。
「ぅ……くっ……」
何かを思うよりも早く、熱を持った涙がするすると頬を伝った。

 今まで、突然の事に感情が追いついてきていなかった。
それにやっと気がついた。
見えていない。
大河は、本当に何も見えていないのだ。
それを実感した瞬間、次々と涙が溢れて止まらなくなった。

 昴は音がするほど強く息を吸い、肩を震わせる。
しゃくりあげそうになるのを両手で自分の体を押さえつけて無理に止めた。

 こちらを見つめる大河の瞳の色は、前と変わらない黒曜石の黒。
昴のいるであろう方向を捉え続けているその瞳。
輝きもそのままだと言うのに、彼は何も見えていない。
不安げな表情のまま、去ろうとする昴を追おうとせず、すべてをあきらめてしまったように見えた。
いつも笑顔だった大河にあんな顔をさせてしまった。
彼は今、長い間努力してようやく手に入れた夢を、突然の理不尽で失おうとしているのに。

 昴はゆっくりと、大河の所へと戻った。
駆け戻ってやりたかったのだが、歩いて戻りながら呼吸を整え、
涙を飲み込む。
鼻をすすったりすれば泣いている事がばれてしまうだろうから、
静かに口で呼吸をする。

 「ごめんなさい……昴さん……」
すぐ目の前に昴の気配を感じて大河は俯いた。
昴は何も言わずにしゃがみ、彼の頬にしっかりと触れる。
「今はいい……あとで必ず話すんだぞ……」
涙に濡れた大河の頬に口付けると、ほんのりと塩の味がした。
手を取って立たせる。
「他のみんなはもう帰っているから見つかる心配はない。タクシーで僕の家まで行こう」
彼を一人で家に帰らせるつもりはなかった。
少なくとも、視力が戻ってくるまでは。
「……はい……」
素直に頷く彼を助けて歩きながら、昴は気付かれないように涙を拭った。

 

 

次回。昴さんちは広かった。

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同棲と言いますか…。

 

 

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