ぼくのひかり 君の青空 9

 

 昴は懐中電灯を持って廊下を走っていた。
なぜこんな事に。
兆候はあったのか、原因はなんなのか、治る見込みはあるのか。
すべてに答えが得られず、もう一度最初から同じ問いを繰り返す。
短いはずの廊下が、先の見えないトンネルのように、長く、長く感じる。
突然訪れた予想もしなかった出来事が、とても現実とは思えない。
夢であって欲しい。
そうでないのなら、大河が悪ふざけをしているのであって欲しい。
どんなに性質が悪い悪戯でも、本当に目が見えなくなってしまうよりはずっといい。
そんな事はありえないとわかっていても、現実を受け入れ難くて願わずにはいられない。

 劇場内に入る前に、扉の前で呼吸を整える。
落ち着いて接しなければ。
少なくとも、表面上は。
彼が少しでも不安に思う要素は与えたくない。
さっきまでの混乱した思考を押しやって、数秒だけ目を瞑った。

 ゆっくりとドアを開ける。
大河がいたはずの位置に視線をやると、客席に見えるはずの彼の後頭部は見えなかった。
「大河?」
名前を呼んで、客席を見渡す。
目が見えないはずなのに、どこへ。
昴は階段を駆け下りた。

 おそらく、このあたり。
大河が座っていたのは客席のほぼ中央の列だった。
そこまで階段を下りて横から覗くが彼の姿は見えない。
自力で歩いて出て行ったのなら、もしかして視力が回復したのだろうか。
それならばいいのだけれど。
なんとか良い方向に考えようとして昴はもう一度あたりを見渡した。
もう一段階段を下る。
一つ下の列を覗き、やはり彼がいない事を確認して顔をあげようとした時、
反対側の通路に靴が見えた。

 見慣れた革靴。
その先には倒れている彼の足が、座席の隙間からわずかに視界に入る。

 「大河っ……!」
昴は床に倒れている恋人に駆け寄った。
持って来た懐中電灯を投げ捨てて膝をつく。
大河は横向きに倒れたまま動かない。
手を伸ばし、抱き上げようとして思い留まる。
意識がないと言う事は、倒れたときに頭を打ったのかもしれない。
そうなら動かさない方がいい。
助けを呼ぶべきか、彼の傍にいるべきか迷い叫ぶ。
「誰か……!!誰か来てくれ……!!」
だが、答えるものはいなかった。
広い場内に昴の叫びが空しく響く。

 

 

 大河は再び夢の中へと落ち込んでいた。
もう何度も見た夢。同じ感覚。
だが今までとは様子が違っていた。
古いアルバムのようだった過去の景色が映らない。
困惑していると、不意に背後から声が掛けられた。
「すまない……」
大河は振り向いた。
否、振り向いたつもりだった。
だが、次に聞こえてきた声も背後から掛けられた。
「ぼくは……君を止められなかった……」
もう一度その声を聞いたとき、大河は理解した。
大河に声をかけているのではない。
この声の主は、己自身に声をかけているのだ。
大河は今までの夢と同じように、聖の中で、聖の生きてきた生を反復している。

 

 

 「違う……最初から止める気などなかったんだ」
あざけるような、はき捨てるような口調でそう言って、聖は自嘲するように笑った。
「だから……罰をうけたんだな……」
あの娘に己の見る力を貸し与え、山小屋でその帰りを待ってどれぐらい時間が経っただろう。
少なくとも、昼前だったあの時刻からそうとう経っているはずだった。
古い山小屋の隙間から感じる外の空気は、夕方の涼やかな物に変わってきている。
聞こえるのは秋が迫った虫達の声。
小屋の近くには人の気配すらない。
視界はまったくの闇であったが、不思議と不安は薄かった。
「もっと忠告してから渡してやるんだった……」
もしもあの少女が生涯聖の目を使って生きていくのならば、おそらく辛い人生が待っている。
それは、聖から視力を奪ったことに対して、罪の意識を持って生きるという意味だけではない。
特別の力を持った聖の目は、常人には見ることのかなわない様々な物をも顕にしてしまう。
「怖い思いをしないといいが……」
呟いて、立ち上がり、慎重に歩を進めて壁際まで下がった。

 数日はここで待つつもりだったが、それを過ぎたら山を降りよう。
そう決意して座禅を組む。
愛した女性を失ってから暴れ狂っていた心が不思議と落ち着いてきていた。
彼女が命を失ったように、自分も大事な物を失ったせいだろうか。

 

 

 「う……ん……」
「大河!」
昴の足元で大河がうめき声を上げた。
「昴さん……?」
大河はぶつけた頭を手で擦りながらゆっくりと体を起こし、昴のいるらしき方を向く。
「……階段で転んじゃったみたいです……」
「ばか……! だから待っていろと言ったのに! 目が見えないのに無理に歩いたりするからだ!」
ひっぱたいてやりたくなる衝動を抑え、昴は彼を抱きしめた。
「心配させるな……っ!」
「……ごめんなさい……」
床に座り、恋人に強く抱かれたまま、大河は謝罪した。

 

 さっき、見た夢……。
少女は帰ってこなかった……。
「……ごめんなさい、昴さん……」
今のこの状態が夢に影響されているのならば……。

 ―このまま視力は戻ってこないかもしれない……。

 

 

聖さんは結構平気だった。
大河は平気じゃない。

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やけっぱちになっているだけかも。

 

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