ぼくのひかり きみの青空 8

 

 大河は目が見えていない。
気がついた瞬間、その衝撃に、昴自身も目の前が真っ暗になった気がした。
こんな事、大河が冗談でするはずがない。
実際に、彼は目の前に翳された昴の手に何の反応も示さなかった。  
「見えないのか……?」
確認のために聞くと、大河は黙ったままうつむいた。

 昴は今の事態にどう対処するべきか混乱し、考える事が出来なくなって音をたてて席を立った。
「待って……っ!昴さん……!いかないで!」
大河が必死で手を伸ばす。
「ああ、ごめん……!」
昴は慌てて椅子に座りなおし、中空を彷徨っている彼の手を握った。
両手で包み込むようにすると、いつもは暖かい彼の手が、緊張のせいでか冷たく感じた。
「どこにもいかない。ちょっと……驚いただけだよ」
落ち着けと、自分に言い聞かせ、激しく脈打っている鼓動を抑えようと深く息を吸う。

 「大丈夫です……朝はなんともなかったんですから…」
大河は昴の方を向いたまま、なんとか笑顔を作った。
昴の小さな手を握ったせいで、少しだけ心が静まった。
恋人のその手がわずかに震えていたから。
さっきまで大河自身も暗闇の恐怖に動揺していたが、今は昴を不安がらせたくない気持ちのほうが強かった。
「大丈夫です……」
自分に言い聞かせるように、しっかりとした声音で伝える。

 「でも……どうして急に……。いつから見えないんだ」
昴はようやく普通に頭が回転し始めた。
大河が言うように、今朝の彼はいつもとそれほど変わった様子はなかったのに。
「さっき、目が覚めたら真っ暗で…照明が全部落ちてしまったのかと思ったんです」
「それで照明を点けて欲しいと言ったのか」
「はい。それで治ると思って……」
治って欲しいと願っていた。
「原因に心当たりは?兆候は?目が痛かったりとか……」
朝から彼は何度か目を擦ったりしていた。
原因がはっきりすれば治療もしやすいだろう。
だが大河は苦しげに首を振る。
「わかりません……」

 

 本当は、あの夢が原因だろうと確信していた。
夢の中の過去の自分は盲目の少女に視力を与え、彼女の代わりに見る力を失った。
だが、それは一時的な寄与のはずだった。
もう一度あの夢の続きを見て、少女が過去の自分に視力を返してくれれば、きっと元に戻るはずだ。
昴に、前世の夢の事は話せない。

 信長との戦いで散った名もない少女。あの人が、たしかに過去の昴だと言う証拠はなかったが、
きっとそうに違いないと大河は思っていた。
微笑んだ時に聖に向けられた少女の瞳は、大河に向けた昴の物と同じだったから。
だからこそ、重いその真実を知って欲しくない。

 

 「大丈夫です。すぐに治りますから……」
もう一度言って、大河は立ち上がる。
少しでも明るい場所に移動してみたかった。
もしかしたら回復するかもしれない。
「待て、危ないからまだ立つな」
だが昴は彼を促し、腕を取ってもう一度座らせた。
「ライトを持って来る。どれぐらい視力が落ちているのか確認したい。動くと危険だから待っていろ」
「でも……」
不安げな彼の手の甲をぽんぽんと叩いてやり、立ち上がって離す。
「昴さん……!」
「すぐに戻るよ」
「そうじゃなくて……あの……まだ誰にも言わないでもらえませんか」
昴は大河に向けてしっかりと頷いて、それからハッとしたように目を伏せた。
頷いただけでは、今の彼には確認できない。
「……わかった。もうみんな帰ったあとだし心配ない」

 

 昴が客席を立ち去ってしまい、大河は浮かせかけていた腰を落とした。
どれぐらい視力が落ちているか知りたいと昴は言っていたが、
はっきり言って、今、目の前には真の闇しかなかった。
こんな真っ暗闇を経験した事はかつてない。
どんなに暗い夜でも、ほんのわずかな明かりがあった。
だがいまは何もない。
あるのは目前に横たわる延々と続く黒い空間。

 手の平を顔の前にかざしてみる。
おそらく、今顔のすぐ前に手があるはずだった。
わずかに空気の動く気配。
舞台の照明が入っているという事は、辺りは結構明るいはずだった。
だが、それでも他の場所よりはずっと暗い。
そのせいできっと視力の落ちている今の自分にはなんの光も感じないのだろう。

 一人きりで闇の中に残っていることが不安で、大河は必死に良い方へと考えをめぐらせ続けた。
きっとすぐに治る。
明るい場所に行けばきっと。
そうでなくとも、時間が経てば。
思考を止めると闇の中に取り残された恐怖が襲ってくる。

 少し前、信長にすべての仲間達を奪われたと思い込んだ時に感じた恐怖。
あの時も、たった一人、取り残された絶望感に襲われた。
それに近い不安が這い登ってくる。
世界には、一筋の光もない。あるのは自分をとりまく闇ばかり。
かすかに聞こえるのは照明がもらす低い音。
それが獣の唸り声のように鮮明になってくる。

 「……昴さん……?」
大河は待ちきれず声を出した。
立ち上がり、歩き出そうとして座席の肘置きにぶつかる。
それでもなんとか通路までを、前の座席の背もたれをたよりに歩き、
もう一度声を出した。
「昴さん……!」
どこにもいない。
もしかして、これも夢の中なのではないだろうか。
そうなら早く覚めて欲しい。
舞台の方に進むべきかエントランス方面に抜けるべきか迷い、見えないのに顔をめぐらせる。
一歩下がるとそこはもう下りの段差だった。
あっと思ったときにはバランスを失い傾く。
目が見えない大河には倒れかけた体のバランスを保つ事が難しかった。
壁に頼ろうとして伸ばした腕が空を切る。
倒れた拍子に後頭部を打った。
「う……」
床に蹲り呻いて頭を押さえる。
出血はなかったし、さほど大した衝撃ではなかったはずなのに、大河の意識は徐々に遠ざかっていった。

 

 

踏んだり蹴ったりの新次郎ですよ…。
でも、動揺しているうちはあんまり悲しくないよね。
昴さんも新次郎も。

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聖さんも少し残しとくとか融通が利けば…。

 

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