ぼくのひかり きみの青空 7

 

 ただの夢だったはずなのに、夢の中の聖が視力を失ったとたん、
目を覚ました大河自身も目が見えなくなっていた。 

 徐々に鼓動が早くなってくる。
混乱が頭を支配してパニックになりかけているのを必死で押さえ込み、
落ち着こうと無理に深呼吸をする。
まだ夢の途中なのではないか。
そう思い込もうとするが、激しい心臓の音がそれを否定する。

 大河は願いをこめて目を閉じた。
次に目を開けたときには見えるようになっている。
そう信じて、すう、はぁ、と何度か深い呼吸をしてから、もう一度、ゆっくり目を開ける。

 何も変わらない。
視界には一筋の光もなかった。
多分、誰かが劇場内の照明を、足元の非常灯まで間違って消灯してしまったに違いない。
大河がここで寝ていたことに気が付かずに。
そんなに長い時間寝ていたつもりではなかったが、もしかしたらもう夜中なのかもしれない。
それならば、すべての照明が消えてしまっていてもおかしくないはずだ。
少しすれば目が闇になれて少しずつ見えてくる。
寝起きだから普段よりも真っ暗に感じるだけ。
叫び出したくなるのをこらえて、大河は膝の上で拳を握り、視界が回復するのをじっと待った。

 

 

 昴は眠る大河の隣に座っていた。
すやすやと寝息を立てる彼を見ていたら、自分にも徐々に睡魔が襲ってきて、
いつのまにか昴自身も眠ってしまっていた。
不意に隣で身動きする気配がして、目を覚ました。
大河は椅子の上でごそごそと動いてしきりに目を擦っている。

 「起きたのか?大河」
昴が声をかけると、大河は驚いたのか、椅子の上でガタリと音をたてて飛び上がった。
「どうした……」
彼があんまりびっくりした様子だったので、昴は苦笑する。
「あ……いえ……なんでもありません」
大河は無理に笑顔を作って笑った。
その表情に、昴は眉を寄せる。
「なんだ……?朝から君は様子がおかしいぞ」
そう言うと、大河は前を向いたまま俯いてしまった。
良く見ると、きつく握った彼の拳が震えている。
緊張に狭まった肩が上下していて呼吸が荒い。
「本当に……どうしたんだ……?」
彼の様子はただ事ではない。

 「あの、昴さん……」
声にも不安がにじみ出ている。
隠そうとする余裕もないように思えた。
「劇場の……明かり……点けてもらえませんか……?」
「明かり……?」
たしかに練習の時に点いていた舞台の照明は消えているが、客席にはまだ薄く明かりが点いている。
歩いたりするのにも別に支障はないはずだ。
「……どうして?」
「……お願いします……」
大河の声にいつになく必死な響きが加わっていた。
「わかった。…少し待っていて」
理由を知りたかったが、それを聞くのは後でもいいだろう。
今は彼の不安を少しでも早く取り去ってやったほうがいいようだ。
そう判断して昴は席を立った。

 

 大河は昴が歩き去る気配を感じていた。
やはり、昴には足元が見えている。
戸惑う事無く客席通路を歩き、自分から遠ざかっていく。
さっきまで隣にいてくれた恋人がいなくなってしまって、自分でそうして欲しいと言ったのに、
大河は急に不安になってきた。
今、自分は客席のどのあたりにいるのだろう。
それさえも思い出せず、心臓が喉元で脈打っているかのようにドクンドクンと音を立て、さらなる不安を煽る。
声を上げて昴を呼び戻したい。
そんな衝動に襲われて我慢できなくなりそうになった時、
客席にバチンと大きな音が響いた。
照明の入る音。
大河は今まで何度もその音を聞いていたから知っていた。
だが、何も変わらない。
周囲はさっきまでとまったく変化を見せなかった。
ほんのりと明るくなることさえない。
塗りつぶしたように真っ黒な視界。

 「ほら、点けてやったぞ。どうしたって言うんだ」
舞台袖のほうから昴の声が響く。
「昴さん……」
唯一希望を託していた照明だったのに、まったく状況が改善されず、
どうしたらいいのかわからなくなって大河は途方に暮れた。
椅子に座ったまま動けないでいると、昴が歩み寄ってくる気配がした。

 「なぜ照明を……?」
最初にいたときと同じ、すぐ隣に、昴は戻ってきた。
だが、何を聞いても大河はじっとしたまま動かない。
さらに質問を重ねようとして、俯いたままの彼の足元に水滴が落ちた事に気がつく。
それはぽつり、と、灰色の床に小さな染みを作った。
大河は慌てて目元を拭う。
「昴さん……」
「どうした……?」
昴は座席に腰掛け、彼の顔を覗き込んだ。
手を伸ばして濡れた頬にやさしく触れ、こちらを向かせる。

 大河は自分でも、かなり動揺している自覚があった。
泣いたりしては昴が余計に心配してしまう。
我慢しようと思っていたのに、見えない目から勝手に涙が滑り降りて止めるまもなくポタリと落ちた。
涙を拭って顔を上げようとしたが出来ない。
昴のやさしい声。
細い指がそっと頬に触れて、その冷たさで我に返る。

 

 「昴さん、ぼく……どうしよう……。なんで……」
さっきよりは幾分落ち着いたようだったが、相変わらず途方に暮れたような声。
「……話してみろ……何があったにせよ、僕は君の味方だ」。
「……でも……」
「話してくれなければ何も始まらないぞ」
笑いかけてやり、触れている頬を撫でる。

 「今……舞台……明るいですよね……?」
大河は恐る恐る、と言う風に聞いてきた。
「……もちろんだ……」
そんな事は一目瞭然なのに、なぜそんな事を聞くのか分からない。
「君が点けろと言ったんじゃないか。なぜ……?」
大河は混乱したように首を振ったきりまた黙ってしまう。
相談に乗るにしても、当の大河が何も話してくれなければ力になってやる事は出来ない。
続けて質問しようとして彼の瞳を覗き込み、ふと気がつく。

 「……大河……ちゃんと僕を見ろ」
視線が、合っていない。
「昴さん……ぼく……」
困惑したような声。
目を反らそうとしているのではない。
あきらかに昴のほうを見ようとしている。
だが……。
中空を彷徨う彼の視線。
昴はそれを遮るように、大河の目の前に静かに手の平をかざした。
空気が動かないようにゆっくりと左右に振る。
彼はその動きにまったく気がついていないようだった。

 「何てことだ……大河……」
声が震えてしまう。
さっきまでの、冷静であろうとしていた気持ちが吹き飛んだ。
大河には、舞台の照明が見えていない。
そして、今目の前にある昴の手の平も。

 

ほんと、どうしよう。

TOP 漫画TOP

昴さんは隣で寝てた。

 

inserted by FC2 system