ぼくのひかり 君の青空 3

 

 昼休みを終えた午後の練習風景を、大河は客席の中ほどで見ていた。
きちんと衣装を着けての本格的な稽古だ。
昴が舞う様子をうっとりと眺める。
細く長い手足。
やさしく微笑むその表情は、今は一人だけの観客である自分に向けられている。
こんなに贅沢な時間を味わえるのは自分以外にいないのだと思うと、満足感で胸が満たされていく。
激しいダンスが終わると、次にバラード調のゆったりとした音楽が流れ始めた。
照明も限界まで落とされ、淡い光の中で、昴の白い肌が浮かび上がる。

 なんて美しいんだろう……。
大河は溜息を吐いた。
あんなに美しい人が、命をかけて戦う日が再び来るかもしれない。
そんな事にならないように、日々警戒を怠らずにいる事が、今の自分に出来るわずかな事の一つだった。
しなやかな体を反らせながら優美に踊る昴。
淡い光の中の幻のような舞台。
大河はそっと目を閉じた。

 目を閉じていると先ほどの夢の事を思い出した。
本当に、あんな悲しい想いを過去の自分は経験したのだろうか。
想像しただけで胸が締め付けられる。
あの夢が真実でなければといいのに。
五輪曼荼羅の時に見た異国の少女の幻。
幸せでしたと微笑んでいた、昴と同じ顔の少女。
あれも、単なる夢だったならどんなに良かっただろう。
そう考えた瞬間、深い穴に滑り込むように、強い睡魔が襲ってきた。
夢へといざなわれたとたんに、深い悲しみが胸に突き刺さる。
まだ映像すらも脳裏に浮かんでいないのに、それはどくんどくんと、低い音をたてながら流れ込んでくる。
音はそのまま毒のように血管を満たし、体中に行き渡って行く。
大河の頬を、また一筋、涙が痕を付けた。

 

 

 

 

 ―聖はろくに食事もせずに旅を続けていた。
修行の途中で何度も断食を経験していたのでそれほど辛くはない。
むしろ、食欲がないのに無理やり何かを食べることの方が苦痛だった。
動く為にはどうしても食事を摂らなければならず、それらの食物は土のように味のない、違和感のある物のように感じた。

 山を越える手前に茶屋を見つけ、休憩のついでに軽食を取る。
相変わらず食欲はなかったが、山越えには体力がいる。
夜のうちに峠を越えて山頂にたどり着きたかった。
この山のご来光はとてもご利益があると評判が高かったから。
だからこそ遠い土地からここまで歩いてきた。
聖はそこで、己の中の仏の存在をもう一度確認したかった。

 長椅子に腰掛け、茶を飲み握り飯を食べる。
なんの味も感じないそれを、もそもそと無理やりに飲み下していると、親子連れの旅人が茶屋に現れた。
母親は、十五才ほどの娘を抱きかかえるようにして歩く。
娘は何度か躓くようにして椅子を探り、苦労しながらようやくそこに腰掛けた。

 娘は盲目のようだった。
杖を持っていたが、それは杖とは呼べないような、単なるまっすぐな木の枝だった。
これから山に登るというのに、着物は薄く、継ぎだらけで、夜間の山の寒さは応えるだろう。
貧しさゆえか、彼女達は一皿の団子のみを注文し、二人で分け合って食べている。
聖は店主にもう一皿の握り飯を注文した。

 聖が母親にそれを差し出すと、彼女はハッと顔を上げて聖を見た。
「どうぞ、娘さんに差し上げてください」
「ですが……お坊様……」
「山登りは体力を使います。ぼくはこれで失礼しますが、無事に山頂に着けるようお祈りしております」
聖は彼女達の卓の上に握り飯の乗った皿を置き、その場を立ち去った。
背後で母親が自分に礼拝している気配を感じ眉を寄せる。
自分はそんな事をされるような、立派な人物ではない。
聖は振り返らずに足早にその場を立ち去った。

 

 山道にはご来光を拝む為の登山者が、ぽつぽつではあるが存在した。
みな口も利かずになだらかな斜面を進む。
人通りが多いせいか、道はなめされ歩きやすかった。
そんな道ではあったが、山道を行く人々の中にはようよう歩いているような病人もいた。
彼らは皆、聖を見ると立ち止まり手を合わせ礼拝する。
そのたびに聖は目を伏せた。
拝まれても、自分は何も出来ない。
いや、真実その気になれば、この身に与えられた特別な力、霊力をもってなんとか出来るのかもしれないが、
今はそんな事をする気になれなかったし、どっちにしろこの世のすべての人を救う事は不可能なのだ。
それを成す事が出来たのは、聖の愛した一人の少女だけだった。
彼女は命を賭して人々を救い、そしてもう、この世にはいない。

 

 夕日が沈み始めた頃、聖はようやく山頂に到着した。
大勢が泊まる為のだだっぴろい山小屋が一軒あったが、板敷きの冷たい床は病人には辛そうだった。
そこに数名の登山者が、身を寄せるようにして横になっている。
彼らは朝までここでこうやって来光を待つのだろう。
聖は山小屋には入らず、登ってきた登山道を見下ろした。
途中の茶屋で出会った親子が気になったのだ。
気にするぐらいなら、茶屋で逃げるように店を出る事などしなければいいのに、と、己をあざ笑う。
誰かに感謝されることが辛い。
そんな人間ではないと言う思いが、身の内深くに沈み込んでいる。

 山道が夜の黒に浸され、自分のつま先も確認できぬほどの暗闇に転じる頃、
聖の視線の先に、抱き合うように寄り添いながら歩く親子の姿が見えた。
目を細め彼女達を確認し、山小屋へと戻る。
ここで待っていたと知られたくない。
ご心配をおかけまして、と、声を掛けられたくなかった。

 

 

聖さんは、坊さんだから、癒し系の技も使えるんじゃないかなーと思うのですが。
新次郎も回復技得意だし。

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今度は山登り。

 

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