おいしいチョコの作り方

 

 「これもだめだ」
昴は目の前に整然と並んだ、厚さ3mm。大きさ1cm四方程度の黒く光った物体を見つめた。
10個ほど作ったチョコレート。
それをそのままゴミ箱へと捨てる。
「こんな所を見たら、大河は怒るだろうな…」
彼の様子を思い浮かべる。
食べ物を粗末にしてはいけないと、必死になって訴えるだろう。

 だが、これは彼のために作っているチョコレートだ。
失敗作だからと言って、他の誰かに食べさせるつもりはなかったし、
もちろん彼自身にも食べさせない。
最初は自分でいくつかを食べたが、もうとても食べきれない。

 先日ホテルのレストランに勤務しているパティシエを一日雇ってチョコレート作りの特訓をした。
材料も、作り方も、まったく同じつもりなのに。
何回作っても満足行く物が出来ない。
ここ数日シアターの仕事が終わると部屋に直行して、こうやって一人篭ってチョコ作り。
「誤解していないといいけれど…」
昴はつい苦笑してしまった。
思い込みが激しくて、寂しがりやの彼。
その上…。
「バレンタインデーを知らないだろうからな」
自分が彼を置いて一人でさっさと帰ってしまう事を悲しんでいるかもしれない。
「早く作ってしまわないと」
だが、次に作ったチョコレートもやはり、満足の行くものではなかった。
あさってはもうバレンタインデーなのに。

 

 

 「昴さん…」
その日も置いてけぼりをくらい、しかも勇気を出して夕飯に誘ったのにきっぱりと断られ、
大河はガックリとうな垂れた。
「もうぼくを嫌いになっちゃったんだろうか…」
しょんぼりと楽屋に戻り、椅子に座って溜息を吐く。
ちょうどそこへ入ってきたサジータは、彼の燦々たる様子を見て驚いた。
「どうしたんだいぼうや」
「あ…サジータさん…」
大河は普段、自分と昴の事を誰かに話したりはしなかったが、
今日は誰かに相談に乗ってほしかった。
それぐらい落ち込んでいた。

 「ふぅん…昴がねえ…」
実はサジータには思い当たる節があった。
裁判用の資料を買いに行った際に、昴がチョコレートの作り方のハウトゥ本を購入している所を目撃したのだ。
興味が湧いてこっそり後をつけると、
次には高級なクーベルチュールチョコレートを山と購入していた。
バレンタインデー用のチョコレートを手作りするつもりなのだろう。
サジータはそう察してニヤリと笑った。
(昴も変わったね)
誰かの為に贈り物を手作りするなど、以前の昴では想像する事もできない。

 話し終えてまたも溜息を吐く目の前の男を見下ろして、ポツリとつぶやく。
「幸せ者め…」
「えっ?なんですって?」
「なんでもないよ、なぁ、そんな薄情な昴の事は忘れてさぁ、あたしと付き合えばいいんじゃない?」
もちろん冗談だったが、相思相愛な二人がうらやましくて意地悪したくなったのだ。
「ふえ?!」
すっとんきょうな声をあげる彼の正面に立ってしなだれかかる。
「ためしにキスしてみようか…」
「なっなっ…何言って…!」
動揺して声が裏返っている大河を両手でしっかりと押さえる。

 「ダメです!サジータさん!」
真剣に拒否しているらしいその様子に、サジータは少々腹が立った。
ふりだけのつもりだったが、キスぐらいなら本当にしたっていいだろう。
女の子みたいにプニプニした唇に、前から1度触ってみたかったのだ。
ぐぐっと顔を近づけると、後頭部をものすごい衝撃が襲った。

 「何をしている…」
痛む頭を押さえてサジータが振り返ると、般若の様相を呈した昴が立っていた。
手には閉じた鉄扇。
「いや〜昴が新次郎をほったらかしてるみたいだから、あたしが貰っちゃおうかと」
悪びれずに言う。
自分は悪くない。
「ほったらかしてなど…」
言いかけて大河を見る。
悲しそうなその顔。

 続けるはずだった言葉を飲み込んで、彼の手を取って立たせる。
「昴さん、ぼく…」
今にも泣き出しそうに揺れる瞳。
手を伸ばして、その頬をやさしく撫でた。
「まったく…君は世話が焼ける…」
ますますシュンとなる大河に微笑む。
「でも、そんな所も…」
「…え?」
大河は言葉の最後が聞き取れず、首をかしげた。
「おいで、帰って一緒に作ろう」

 何を、と、聞く間もなく、半分駆け出すような勢いで部屋を出る。
残されたサジータは溜息をついた。
「あ〜あ〜…あたしはなんなんだろうね…」
キスも未遂で後頭部を殴られた上に、目の前でイチャつかれ、良い事ナシだ。

 

 

 「甘い匂い…」
昴の部屋に入るなり大河は言った。
部屋にはここ数日大量に製作したチョコレートの匂いが充満していたからだ。
「これを作っていたんだよ」
キッチンのテーブルにいくつか捨てずに残っていたチョコレートを見せる。
「おいしそうですね」
手を伸ばそうとすると、ピシャリと甲を叩かれた。
「それは失敗作だから食べるな」
ヒリヒリする叩かれた箇所を撫でながら、じっとそれを見る。

 ピカピカと輝いて、見たことがないほどおいしそうなのに。
「でも、なんでチョコレートを?」
予想通り、バレンタインデーを知らないようだ。
「2月14日はバレンタインデーだ。チョコレートと決まっているわけではないが…特別な…」
そこで言葉を止めて、真剣に聞いている彼をつい睨む。
なんでこんな事から説明しなくてはならないのだ。
告白する前に告白の内容を説明しているような、そんな気分だ。
本当に世話が焼ける。
「特別な?」
「…特別な相手に感謝をこめて贈り物をする日だよ」
それを聞くと大河は目を輝かせた。
「それで…昴さんが僕に…手作りのチョコレートを…!」
「うん、チョコレートなら簡単だと思ったのだけれど」
実際には失敗作の山。

 幸せそうにトロンとしていた大河だったが、急にハッとして慌てだす。
「どうしよう!ぼく何も用意していません!」
「わかってるよ、バレンタインデーを知らなかったんだから仕方がないだろう」
言って目の前のチョコレートを手に取る。
「だから、一緒に作ろう。まだ一回も成功していないけれど」
「はいっ」
さきほどまでとは全然違う、輝く笑顔にほっとする。
他人の浮き沈みに自分の精神がこんなに影響されるなんて、
そんな事絶対にないと思っていたのに。

 「まずは…そのチョコレートを刻んでくれ」
大河は、スーツを脱いで、ネクタイも外し、エプロンをつけたその人の姿に見とれた。
いつか、自分の家で、毎朝こんな姿を見られるようになるといいのにな、
などとあらぬ妄想を開始してしまう。
ぼーっとしていると、とたんに叱られる。
「しっかりやらないと、製菓用のチョコレートは硬いから怪我をするぞ」
「は…はいっ」

 昴はせっせと言われた通りの仕事をこなしていく彼をじっと見つめた。
貸したエプロンは想像以上に似合っている。
本当にショートヘアの女の子みたいで、かわいらしくてつい笑みが漏れる。
「ん?なんですか?」
視線に気がついた大河が顔をあげた。
昴は、自分を見返す彼の、にこにこと楽しそうなその笑顔に、うっかり顔が赤くなってしまう。
先ほど彼を注意したばかりで自分がこんな風に呆けていては情けない。
慌てて湯煎用の鍋をコンロから下ろした。
熱くなりすぎてしまう。

 「ねぇ、昴さん、チョコレートってこうやって作るんですね、ぼく全然しらなかったな」
テンパリングをしながら、彼はウキウキと言った。
「こうやって…とは…?」
「だって、もともとチョコレートはチョコレートなのに、溶かして、作り直すんだなって…」
「まぁね…そのままでも食べられる。硬いけれど」
溶かしたチョコレートを、昴は型に流し込んでいく。
何の芸もない四角い型。
「素敵ですよね…」
その様子をうっとりと眺めながらそんな事を言う。
何が素敵なのだろう。さっぱりわからない。
昴のそんな気持ちを察したわけではないのだろうが、彼は独り言のように続けた。

 「同じ物のはずなのに、一回溶かして、気持ちを込めて作り直すんですよ」
じっと昴の手元を見る。
「それだけで、もう全然違う物になってる。前よりもずっと素敵な贈り物です」
昴は何も答えなかった。
ただ黙って彼の言葉を聞いていた。
自分の事を言われているような気がしたから。

 見る人によって、自分は、以前の九条昴とまったく同じだろう。
でも、実際にはまるで違う。
彼と触れ合い、共に戦い、愛し合うようになって、変わった。
同じもののはずなのに…。
やはり大河は自分の事を言っているのだろうか。
そんなはずはないとわかっていながら、つい深読みしてしまう。

 すべてのチョコレートを型に流し終えて、
空気を抜くためにトントンと軽く叩く。
傾けないようにそっと冷蔵庫に入れて息を吐く。

 「これでおしまい」
ずっとかがんでいた背を伸ばす。
「出来上がりが楽しみですね!」
うれしそうな彼に苦笑する。
「でも、まだ成功したことはないんだけどね…」

 

 

 すっかり固まったチョコレートを型から抜いて、昴は一つを手に取ると、しげしげとそれを見つめた。
見た目は昨日まで自分が作ってきた物とまったく同じだ。
「どうですか?」
問うてくる真剣なその表情。
何をするにも彼はいつでも全力投球だ。
「どうかな…」
パキンと半分に割って、片方を大河に渡す。
二人で作ったのだから、彼にも味見をする権利がある。
「えへへ…いただきます」
彼はそれをぱくりと口に放り込み、目を瞑る。
もぐもぐと口を動かしているが、何も言わない。
やっぱりだめだったのだろうか。
「んんんん…」
「どうした」
拳を握ってぶるぶると震えている。
とたんに心配になってきた。
変なものは一切入れていないはずだが。

 「すっっっっっっごく!おいしいですよ!!」
突然叫んで昴を抱きしめた。
「ぼく幸せです!昴さん!ありがとうございます!」
昴は驚いてされるがままになってしまった。
「こんなにおいしいチョコレート初めて食べました!昴さんはお菓子作りも天才なんですね!」
「苦しいよ大河…」
「あっごめんなさい!」
ようやく解放されて、ほっと息を吐く。
「君と二人で作ったのだから、お礼を言う必要はない」
見上げると、彼は首を振った。
「いいえ、ぼくは昴さんの言うとおりにしただけです」

 昴は手に持ったままだったチョコレートを改めてみた。
思い切って口に入れる。
昨日までと同じ味。
だが。
「…おいしいな…」
「でしょう!?」
嘘ではなく、本当においしかった。甘すぎず、カカオの苦味が口の中に心地よい。
「どうしてだろう…」
そう口にしては見たが、実際にはなぜおいしく感じるのかわかっていた。

 自分を見つめるその瞳。
彼が、自分を想って作ってくれたから。
チョコレートを溶かし、もう一度、まったく同じ。だが、まったく違う、贈り物に。
前よりもっと、素晴らしいものに。

 

 全部で20個ほどのチョコを丁寧にラッピングしていく。
渡す相手が目の前にいるのだから、本当はそんな事をする必要はないのだが、
心を込めて包んでいく。
「大河、これ、明日シアターのみんなにもわけてあげようか」
そう言うと、予想通り、彼は目を輝かせた。
「本当ですか!うわぁ…きっとみんな喜びますよ!」
最初は手作りの何かを大河以外の人間に贈るなど、まったく考えていなかったが、
仲間達が喜ぶ顔を見るのも悪くない。
それに昨日までの失敗作と違って、これには大河の気持ちも篭っている。

 大河は、綺麗に包装した最後の一つ手を取った。
「昴さん、これは、昴さんの用意した材料で、昴さんの言う通りに作ったチョコレートだけど…」
すこし緊張した表情。
見慣れた顔だけれど、何度見てもつい自分もドキドキしてしまう。
「…うけとって下さい。いつもありがとうございます」
手の平の上に乗せられた手作りのチョコ。
昴も、自分が包んだそれを彼に渡した。
「僕のほうこそありがとう、…君は…何かを溶かして作り直すのが上手だ」
大河は昴の言葉の真意には気がつかなかったが、
それでも、うれしそうにはにかんだ。

 「ふふっ…でもバレンタインデーは明日だぞ、一日早い」
「あっしまった!できあがっちゃったからつい…」
今更のように慌てだす。
「いいよ…明日みんなで食べるんだし。また渡してくれるだろう?」
「は…はい」

 彼といると、今も変化し続けている自分に戸惑うことがある。
今日作ったチョコレートのように、彼の心が流れ込んで溶かされていく。
同じようで、まったく違う九条昴に生まれ変わる。

 そっと目を瞑って口の端をわずかに上げる。

 ―だが、今はそれが心地よい。

 

 

 

 

バレンタインデー…
どっちがどっちに渡すか迷った挙句。両方に…。
優柔不断。
二人でエプロンつけてチョコ作り。
かわいい。

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失敗作でいいから下さい…。

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