お泊り 4

 

 その通信を読んで、昴は凍りついた。
何かの冗談なのではないかと思った。
心臓がばくばくと脈打って、尖った氷を含んだ冷水を体中に送り出して行く気がする。
もう一度通信文を読む。
最後に、冗談ですよ、と、書いてあるのではないか。
だが、何度見返してもそれは真剣に事態を伝えてくる文章だった。
「新次郎…っ」
昴は持ってきた少ない荷物を掴むと部屋を出た。

 ジェミニは居間のテーブルで昴に通信を送って泣いていた。
心の中で何度も昴と新次郎に謝罪する。
今自分が送ったこの文章で、あの人がどんなに衝撃を受けているかを想像する。
新次郎が行方不明になったあの時の、昴の顔を思い出してしまう。

 ラリーはその間中、ずっとイライラと小さく嘶いていた。
ジェミニは彼に近づいて語りかけた。
「ラリー、もう一度、新次郎を探しに行くから、ここで留守番していてくれる?新次郎が戻ってきたら捕まえておいて」
皆にも新次郎を探す協力を頼まなくては、
そう思い、ラリーから離れようとしたその時、彼女の愛馬がジェミニの上着を噛んだ。
「だめだよ、遊んでいる場合じゃないんだから」
窘めたが、彼は服を離さない。
最初にそうしていたように、コツコツと軽く床を叩く。
「一緒に行きたいの?でも、誰か残っていないと新次郎が帰ってきた時に…」
言い募るとラリーはますますイライラと顔を上下に振った。
「どうしたの?」
普段と違う愛馬の様子にジェミニも気がついた。
ラリーは彼女の注意を引いたと確信したのか、後方に向かって首を曲げる。
ジェミニも愛馬の背後を覗き込む。
寝床にするためのふかふかの藁の山、そこに埋もれてかすかに見える黒い癖っ毛。

 「うそ…」
震えながらラリーの小屋の戸を開ける。
近づくとはっきりと見えた。
新次郎はやわらかな藁の布団にくるまって、やすらかに寝息を立てていた。

 ラリーはやっと気がついたかと言わんばかりに、鼻息を噴いた。
「よ…よかった…」
へなへなとその場に座り込み、自分の頭を殴る。
「新次郎にここに居てねって言ったのはボクなのに!…なんで気がつかなかったんだ!」
食事を作る間、愛馬と一緒に待っていてと、頼んだのは自分だ。
たしかに彼の体はほとんどが藁に埋もれて見えなかったが、
それでも気がついて良かった筈だった。
最初に居間に入った時に彼の姿が見えなかったショックで、すっかり舞い上がってしまっていた。

 大きな声を出すと、彼はほんの少し身じろぎした。
「ん…すばるたん…」
その言葉にハッとする。
「そうだ!昴さん!」
さっき不吉な通信を送ったばかりだ。

 昴はホテルのエレベーターを待っていた。
最上階でイライラと足を踏む。
ようやく待ち望んでいた到着を告げるベルが鳴ると、
ドアが開くのももどかしく体を割り込ませようとした。
だが、中に人が居るのを見て止まる。
乗っていたのは自分の雇い主である政治家だった。

 「おや、九条君。どこかへお出かけかね?」
笑みを絶やさない丸い顔。
おそらく自分に会いにここまで来てくれたのだろう。
彼は温和な紳士だったが、今の昴には演技でも笑顔を返す余裕がなかった。
「申し訳ない。急用が出来たので帰宅させて頂く」
短く、だがきっぱりと告げてエレベーターに乗り込もうとする。
「え?!帰る!?冗談でしょう!?」
彼は動揺して追いかけてきた。
「冗談などではありません。大至急戻らなくては…」
昴は彼と問答している時間も惜しかった。
こんな事をしている間に新次郎にもしもの事があったら。
そう思うと焦燥感で呼吸がとまりそうになる。
そんな事態になったら一生悔やんでも悔やみきれない。

 政治家の男性と数回言葉を往復させて、
昴が苛立ちを募らせていると、再びキネマトロンが鳴った。
「九条君、何か事情があるのなら…」
いいつのる彼の顔に掌を近づけて黙るように促す。
急いで通信機を取り出しそれを見る。

 (昴さん、新次郎が見つかりました!ボクが探している間、ずっとラリーの小屋で一緒に寝ていたみたいです。
心配かけてごめんなさい:ジェミニ)
昴は言葉を続けたげな政治家をみやり、言った。
「急用は…なんとか片付いたようです…ですが少々疲れました…今日はこのまま休ませて頂く」
昴が帰宅せずにこのまま残ってくれそうだったので、政治家は安堵の息を吐いた。
彼が何か言うよりも早く、昴は踵を返して自室に戻った。
部屋のドアを閉め、鍵をかけると、分厚い戸口に寄りかかってヘナヘナと崩れ落ちる。
目を閉じて胸に手を当てる。
まだ鼓動が早い。
「よかった…新次郎…」
押し寄せる安堵感で力が入らない。
彼が無事で本当に良かった。
もしも何かあったら、自分は今日の事を一生後悔する所だった。
ジェミニが彼を探し回っている間、すやすやと眠る新次郎を思い浮かべて苦笑する。
「まったく…困った子だ…ジェミニや僕をこんなに惑わせて」
他の事柄で、自分たちがこんなに動揺するような事態はめったにない。
将来の大物振りが伺える。
昴はそのまましばらく体をドアに預けたままだった。

 ジェミニは藁にまみれた彼をゆすった。
「起きて!新次郎!お夕飯できたよ!」
「ん〜すばるたん……おゆうはん…」
寝ぼけているのか、昴の名前を呼びながら手を伸ばす。
ジェミニは藁くずを沢山つけたままの彼を抱き上げる。
「よいしょ…っと…ほら、手と顔、洗って来てね」
「あれ…?じぇみにたん…?」
ようやく目を覚ました新次郎は、やっと自分が今どこにいるのかを思い出した。
同時に、自分がどんなに空腹かも。
「じぇみにたん、おなか、ぺこぺこです!すてーきは?!」
期待に目を輝かせる彼の顔を見て、ジェミニは心底安堵した。
本当に無事でよかった。
「特別おいしく焼けたから、楽しみにしていてね!」

 小屋から出て洗面台に連れて行って手を洗わせると、新次郎はジェミニを振り返った。
「じぇみにたん、しんじろーはずっとまえ、わるいひとにこうやってつかまっちゃったんですよ」
流しの前で手を洗いながら何気なく言った。
自分の口を押さえてジェスチャーしてみせる。
ジェミニはどう返して良いかわからずに固まってしまった。
「すばるたんにはナイショですよ」
そうは言っても、昴はすでに大体の状況を把握していたが。
「おっかなかったなー…」
丁寧に顔も洗ってジェミニの腕から降りる。
「すばるたんは、しんじろーがおっかなかったっていったら、ないちゃったんですよ。だからもういっちゃだめ」
「新次郎…」
ジェミニは彼の顔をタオルで拭いてやりながら微笑んだ。
こんなに小さいのに、彼はまぎれもなく、あの大河新次郎だった。
やさしい心は徐々にはぐぐまれたものではなく、生来のものであったらしい。

 ジェミニの料理を新次郎は残さず食べた。
彼女が小さく切りわけるのももどかしく、せっせと口に運ぶ。
「おいしい?新次郎?」
「おいしい!おっきいおにく!」
満面の笑顔。
彼の口の周りを拭いてやりながら、ジェミニは幸せな気持ちでいっぱいになった。
お母さんになった自分を想像してしまう。
こんな風にやさしくてかわいい子供がいたら…。

 彼女が心ここにあらずの様子になってしまった事に気がついて新次郎は首をかしげた。
「ごちそうさまでした!」
大きな声で言って椅子から降りる。
「あ…はい、おそまつさまでした!」
我に返ってあわてて言う。
「ねぇ、新次郎、毎日ボクのうちにお夕飯食べにきてもいいんだよ〜」
さりげなく誘惑してみる。
「おいしいステーキじゃんじゃん焼いてあげるよ」
新次郎は首をかしげた。
「あしたはすばるたんがかえってきますよ?」
「新次郎がそうしたいなら、明日からはボクがお母さんになってあげてもいいんだけどな!」
最初は冗談めかして言っていたが、段々本気になって来た。
昴が彼の母親の代わりをしているのは、最初の日に昴以外に彼が近寄ってこなかったからだ。
何も障害がない今、自分が預かったっていいはずだ。
「すばるたんは、しんじろーがいないとないちゃいます」
悲しげに眉を寄せる。
「しんじろーも…すばるたんのおうちにかえりたい…」
たちまち涙が盛り上がってくる。
「あ…違う!違う!明日になれば、ちゃんと昴さんの家に帰れるよ!」
慌てて彼の傍によってしゃがむ。
「ごめんね、変な事言って。でも、遊びに来たくなったらいつでも来ていいんだからね。ラリーと待ってるから!」
そう言うと、新次郎はにっこりと笑った。
目にはまだ涙が残っていたが、うれしそうだった。
「こんどは、すばるたんときますね!」

 

 

 

 昴はホテルの部屋でベッドに横になったままじっとしていた。
考えるのは新次郎のことばかり。
本当に無事だったのだろうか。
やはり帰るべきだったのではないか。
直接会って確かめたい。
だが、ジェミニに対する信頼がそれらを打ち消していく。
次には彼が今何をしているのかを思い描く。
きちんと食事をしただろうか。
寝る前に歯を磨いただろうか。
…自分を求めて泣いていたりはしないだろうか…。
同じ内容の思考を何度も繰り返し、昴は起き上がった。
「…サニーサイドのやつ…僕が寝不足になってシアターの仕事が疎かになってもいいのだろうか…」
さっぱり寝られなくてつい悪態をつく。
ベッドサイドのデスクにホテルに備え付けられた便箋がおいてあるのを見て昴はふと思いついた。
「ふふ…」
ペンを取って確かな筆致で書き出す。

 「新次郎、寝られないの?」
「すばるたん、もうねちゃったかな…」
やはり昴の事が気になるらしい。
ぐずったり泣いたりはしなかったが、なかなか寝付かない新次郎に、
ジェミニが昴の伝言道理に歌を歌ってあげようかと考えていると、彼が突然ベッドから飛び降りた。
「じぇみにたん、かみ、ください」
「紙?」
「えんぴつも!」
こんな時間にどうしたのだろう。
起き上がって彼の言った品々を渡すと、彼はテーブルに向かってなにやら書き出した。
「なにしてるの?」
「えへへ…」
だいたんな手の動き。
日本語と思われる図形の数々にジェミニは首をかしげた。
30分ほどをかけて書き上げる。子供とは思えない集中力だ。
「できた!」
ようやく完成したらしいそれを満足げにかかげてジェミニにみせた。
「よんでもいいですよ!」
だが、彼女には日本語が読めなかった。
たとえ読めたとしても、判読するのが難しいのではないかと思われる複雑な図形だった。
「新次郎、読んでよ」
苦笑して促すと、新次郎は頷いて大きな声で自信たっぷりに読み上げた。

 「すばるたんへ!しんじろーは、じぇみにたんのおうちにおとまりしています。
うまの、らりーとあそびました。すてーきがおいしかったです。
こんどすばるたんもつくってください。
すばるたんがいないと、しんじろーはとってもさみしいです。
はやくかえってきてください」
読み終わると、彼はジェミニの顔を見て笑った。
「すばるたんへ、おてがみです」
「うん…きっと昴さん、すっごく喜ぶと思うよ」
にこにこしている新次郎を抱きしめる。
こんな風に愛してもらえる昴が羨ましい。
彼らの間には確かな絆が存在していて、もうすでに割り込む余地はないようだった。
「明日、昴さんに渡そうね」
彼の手を引いてベッドへ連れて行く。
それでも自分はかなり幸運だった。
ジャンケンに勝利して彼と一晩一緒に過ごせるのだから。

 

 

 

 

ジェミニの家に泊まる場合は、新次郎迷子話を書こうと決めていました。
昴さんと一緒だと隙がなくて迷子になれないので(笑)
ダイアナさんとサジータの場合も考えていたので、
機会があったらまたやってみたいです。
ちなみにサニーの場合も…

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