お泊り3

 

 「じゃあ、行って来るよ」
シアターの玄関先で昴は見送りのジェミニと、彼女に抱かれた新次郎に言った。

「いってらっしゃい、新次郎の事は任せて下さい」
ジェミニは真剣な表情で答える。
新次郎は黙って下を向いたままジェミニにしがみついた。
「ほら、新次郎、いってらっしゃいって言わないの?」
彼女が促すと、新次郎は昴をじっと見た。
口をまっすぐに結んで涙を堪えているのが明白だ。

 かわいい新次郎。
こんなに辛い思いをさせてまでやりたくもない仕事に行く必要があるのだろうか。
改めて、急な出張を入れてきたサニーサイドに怒りが沸く。
昴は彼の頭に手を伸ばしてやさしく撫でた。
「良い子だね、新次郎」
泣き喚いてわがままを言ったっていいのに。
昴を困らせたくないからと、我慢しているのだろう。
「い…いってらっしゃい…」
蚊の泣くような声でやっと言う。
言ったとたんにまたジェミニの胸に顔を埋めた。
「ジェミニ、彼を頼む。新次郎、すぐ帰ってくるから」
背中を見せたままの彼の頭頂部にキスをした。

 「いっちゃったね、昴さん…」
ジェミニは新次郎を抱きなおし、彼の顔を見た。
「すばるたん…」
眉をハの字に下げて悲しげな新次郎を励ます。
「ボクのうちだって、昴さんの家に負けないぐらい楽しいぞ!ラリーもいるしね!」
ジェミニはまだ、小さな彼に自分の愛馬を見せたことがなかった。
だからきっと、ラリーを見せたら驚いて喜んでくれると思ったのだ。
「らりー…?」
「そうだよ!ボクの友達のお馬さん!」
そう言うと、新次郎はジェミニをじっと見つめた。
「おうちに、おうまさんがいるんですか?」
もっともな疑問だ。
普通、女性の一人暮らしのアパートには馬はいない。
「かっこいいし、かわいいんだよ〜ラリーは!紹介するからボクたちも帰ろう!」
元気に言って新次郎の頭を撫でた。

 うらやましそうなダイアナとサジータ、リカに見送られて、ジェミニは新次郎を抱いて帰った。
気を抜くと彼が不安そうな顔をするので、ずっと楽しく語りかけ続ける。
「今日はボクが特製ステーキを焼いてあげるからね!」
「すてーき?」
新次郎はそのようなメニューを知らなかった。
「おいしいんですか?」
「もっちろん!おいしいよ!新次郎はお肉好き?」
彼はにっこりと笑った。
「だいすきです!」
ジェミニはようやく笑ってくれた彼を抱きしめる。
「よかった!」
何重もの意味で、よかったと思った。

 「ただいま!ラリー!今日はスペシャルなお客さんをご招待したんだよ!」
玄関を開けるなりジェミニは叫ぶ。
それに答えるように、ラリーは小さく嘶いた。

 新次郎はとても驚いた。
昴の家では、帰宅するとホテルマンのウォルターやメイドの人たちが何かと世話を焼いてくれた。
洗濯を頼んでおいた着替えを持ってきてくれたり、夕飯のメニューを聞いてきたり。
ここではみんなそういう生活なのだと思っていたのに、ジェミニの家ではホテルマンではなくて、馬が出迎えてくれたのだ。
ジェミニは玄関で固まってしまった新次郎を前に押し出す。
「ほら、新次郎、こちら、ボクの親友のラリー!」
新次郎はその馬の巨大さが恐ろしくてそれ以上近寄ることができなかった。
「ラリー、彼はボクの大事なお客さんで、新次郎だよ」
ラリーと新次郎は本当の所は初対面ではなったが、一応双方に紹介する。
なかなか愛馬の傍に行かない彼の背中をジェミニは押した。
「見て見て!ラリーの目、かわいいでしょ!」
たしかに、黒目がちなその目はやさしげで、長いまつげが愛くるしい。
新次郎はおっかなびっくり手を伸ばしてきた。
ジェミニは彼を抱き上げると、ラリーの顔が触れられるように近づけてやった。

 新次郎がそろそろと指を伸ばすと、ラリーはジェミニの顔をチラリと見た。
彼女は愛馬に視線で合図を送る。
(動いちゃダメだよ!)
新次郎は、馬の長い鼻面にそっと指を触れた。
暖かく、硬い毛の感触。
その流れに沿って撫でる。
さわさわとくすぐるようなやさしい愛撫。
ラリーは目を閉じて顔を新次郎の手にすりよせた。
「新次郎、ラリーが気持ち良いって!」
「いいこ、いいこ、らりー…」
名前を呼びながら何度も撫でる。
ジェミニは大きな時の彼の事を思い出した。
やさしい瞳は今とまったく変わっていない。
彼女は新次郎を降ろすと、彼の頭をポンと叩いた。
「ボクは夕御飯を作ってくるから、新次郎はラリーと一緒に待っててね!」
ラリーといればきっと悲しい気持ちなんて忘れてしまうだろう。

 「素敵なステーキ♪なんちてー!」
ジェミニは楽しくなってきて、鼻歌を歌いながら料理の為の下準備をした。
小さな新次郎を朝まで独占できるのだ。
何をして遊んであげよう。
昴がいる時は、彼は昴にべったりくっついているので、
なかなか抱っこしたり出来ない。
今日はもう何回も手を握ったり抱き上げたり、頭を撫でたりした。
彼の体は全体的にプニプニしていて、甘い香りで、ここちよい暖かさで。
とにかく癖になるかわいらしさなのだ。
「今日はボクがお母さんだね!」
自分に言い聞かせる。
昴のようには出来なくとも、自分なりに精一杯やろうと拳を握った。

 肉を柔らかくするためのハンマーを握った時、彼女のキネマトロンが鳴った。
「はーい!もしかして昴さんかな?」
返事をしても意味がないのだが、つい声を出してそれを手に取る。
通信の内容は彼女の予想通り、新次郎を心配する昴の物だった。
(新次郎は大人しくしているかい?迷惑をかけていないといいけれど。
これを読んだら彼の様子を伝えてくれると嬉しい。
彼に僕は明日の昼前には帰ると伝えてくれ。なかなか寝ないようだったら歌を歌ってやるとすぐに寝てしまうよ:昴)
「歌…」
昴が新次郎の枕元で子守唄を歌ってやっているところを想像する。
「いいなあ…素敵なんだろうなぁ…」
自分も歌って欲しい、などと考えてしまう。
昴は歌もとても上手だったし、きっと昼間新次郎に語りかけていたような、やさしいお母さんの表情で歌うのだろう。

 「そうだ、新次郎に伝えなきゃね」
昴から通信が入ったと知らせればきっと大喜びするだろう。
その笑顔を想像しただけで、自分も嬉しくなってくる。
「新次郎!昴さんから通信だよ!」
早足で居間に戻る。
「新次郎?」
視界には彼の姿はない。
「トイレかな?」
洗面所のドアをノックする。返事はない。
「…開けるよ?」
やはり彼の姿はなかった。

 だんだんと不安が這い登ってくる。
「新次郎!」
大きな声で呼んでも返事は聞こえない。
もう一度居間に戻って姿を探す。
椅子やテーブルの下まで。
ラリーは彼女の心配そうな姿を見て、
何度も小さく啼いた。
前足で注意を引くようにこつこつと地面を叩く。

 「ど…どうしよう…」
彼が誘拐された時の事を思い出す。
昴があの時どんなに悲しんだか。
自分はどんなに無力だったか。
「新次郎!」
再び叫んで、玄関のドアを開ける。
家の中をこれだけ探しても見つからないのだ。
外に出たに違いない。
もしかしたら昴の家に向かったのかもしれないと思ったのだ。
あんなに小さい子供が一人でそこまでたどり着けるとは考えられない。
早く見つけてあげないと、また悪い奴にさらわれたりしたら!
いや、それよりも、交通事故などに合う可能性のほうが高い。
いずれにしても、急いで彼を探さなければ。

 家と昴のホテルを往復し、シアターに寄って、さらにわずかばかりの可能性を見出して、大河のアパートにも行って見た。
そして再び家に戻って、やはり彼の姿がないのを確認する。
「新次郎…どこに行っちゃったの…?」
涙が零れる。
完全に自分の責任だった。
新次郎は自分の家から消えたのだから。
「そうだ…昴さんに連絡しなきゃ…」
このまま事態が推移したら取り返しの付かない事になる。
そうなる前に、昴に知らせておかなくては。

 昴は仕事を終えて、出張先のホテルで一人ジェミニの返信を待っていた。
だが、最初に通信をしてから10分たっても返事が来ない。
最初は風呂にでも入っているのかもと楽観的に考えていたが、
30分たっても応答がないのでだんだんと不安になって来た。
彼女はサジータなどとは違い、こういう事態には真面目に迅速に対応してくれるはずだ。
豪奢なスイートルームを何度も往復する。
そろそろ一時間が経とうという頃、ようやく通信が入った。
ずっと握ったままだったキネマトロンを見る。
(ごめんなさい昴さん、新次郎が家からいなくなってしまったんです。昴さんのホテルとシアター、それに新次郎のアパートも探したんですけれど、
どうしても見つかりません。これから皆に連絡して必ず探し出します:ジェミニ)

 

 

 

 

どこいったんでしょうか。
ポインツ・新次郎はとても良い子です。
衝撃通信に次回昴さんは…。

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