サジータと新次郎 後編

 「新次郎、バイクに乗ったことあるかい?」
小さな彼の手を引いて、サジータは話しかけた。
新次郎がずっと黙ったままで、元気がなかったからだ。
「あたしのバウンサーはでっかくてかっこいいぞ!」
明るい調子で話す。
「のったことありません。おっかなくないですか?」
ようやく返事が返ってきてホッとする。
「怖くなんかないさ、男だろ」
ちょっと不安だったが思い切って抱き上げた。
新次郎はおとなしく抱かれるままになっていてくれた。
感動だ。
「さじーたたん…」
余韻を味わっていたサジータは急いで返事をする。
「な…なんだい?」

 「しんじろーはわるいこですか?」
意外な事を聞かれて驚く。
「なんで?」
俯いて今にも泣き出しそうな様子を見て慌てる。
聞き返したりせずに、悪い子じゃないと言えば良かったか。
「さじーたたんといっしょに、あそびにきちゃった…」
言いつけを守らなかったことを気にしているようだ。
でっかい時も小さい時も律儀な男だ。
「そんな事気にすんな!ちゃんとラチェットに伝えたんだからさ」
頭をぐりぐりと撫でる。
「それにさっき…すばるたんはしんじろーのせいで…」
言って、サジータの胸に顔を埋めた。
「うお…」
母性本能を芯から刺激するそのしぐさに、呻いてしまった。
昴だけがいつもこんな良い思いを独り占めしているのかと思うと憎たらしい。
「し…新次郎は悪くないよ!それよりほら、みてごらん、これがあたしのバウンサー」
シアターの裏手に到着した二人は、そのバイクの前に立った。

 「うわあ…」
新次郎は、サジータの腕から降りると、そのマシンの横に立った。
「どうだ、かっこいいだろ」
見ると、彼は目をキラキラと輝かせてバウンサーを見つめていた。
おとなしいとはいえ、やはり男の子。乗り物が好きなのだ。
「さわってもいいですか?」
新次郎はくるりとサジータを振り返り、聞いた。
その表情の愛らしさに、思わず笑みが漏れる。
こんな風に、彼が自分に向かって笑ってくれたのは初めてだ。
またしても、昴の気持ちがわかったような気がした。
昴はいつもこうやって彼に笑いかけられている。
おかしくなってしまうのも無理はない。

 サジータは心に誓った。いつかこいつを持って帰る。
昴がなんと言おうとも、大河新次郎は皆の隊長なのだから。
恋人だろうと関係ない。
「触ってもいいけど、乗った方が楽しいぞ」
サジータはやさしく微笑むと、彼を抱き上げて、バイクの後部に乗せた。
「わーーー!」
新次郎は興奮して顔が赤くなっていた。
「かっこいいだろ?」
「すごくかっこいい!さじーたたん、ありがとうございます!」
うれしそうな彼を見て、サジータはもっと彼を喜ばせたくなってきた。
本当は、このバイクを見せて、後ろに乗っけてやるだけのつもりだったのだが、
少しなら走っても平気かもしれない。
サジータは新次郎に自分のヘルメットを被せると、彼の前の座席にまたがった。

 「ちゃんと掴まっているんだぞ」
「う…うごくんですか?」
サジータはヘルメットの上からコンと新次郎を叩いた。
「男だったらバイクの一つや二つ、乗りこなせないとかっこわるいぞ」
そう言ってやると、新次郎はコクンと頷いた。
その拍子に大きすぎるヘルメットがずれる。
サジータは笑ってメットを被せなおすと、エンジンをかけた。

 その音の迫力に、新次郎は体を強張らせる。
「最初はゆっくり走るから、ちゃんと掴まってろよ!」
新次郎があわててサジータの腰に手を回すと、
それを確認して、彼女はアクセルを踏んだ。

 

 

 昴は練習を終えて、楽屋のソファに腰掛けサジータを待っていた。
「まったく…どこにいるんだ…」
イライラと足を揺する。
キネマトンに連絡しても、さっぱり応答がない。
「サジータは何か言ってなかったか?」
皆にファンからの手紙を手渡していたラチェットに問いただす。
「何も…でも、ライダースーツを着ていたわね、そういえば」
「な…ライダースーツ?!」
昴は勢い良く立ち上がった。
「バイクで出かけたのか?!」
「わからないけれど…でも、大河君はまだあんなに小さいんだし、そんなに無茶はしないと思うけど…」
昴はもう一度キネマトロンを取り出した。
まだ何も返信はない。
着信音がしていなかったのだから、分かり切っていたのだが。
「新次郎…」
心配で胸がドキドキする。
サジータの事を信頼しているけれど、彼女が少々無謀な事も良くわかっている。
勢い任せに何かやらかしてしまう事が少なくない。

 彼女がどこにいるか分からなければ行動の起こしようがない。
昴が逡巡していると、楽屋のドアが開いた。
「おまたせ昴。ほら、新次郎返すよ、ちょっと怪我しちゃったんだけど…」
そこには悪びれない笑顔のサジータ。
彼女に抱かれているのは、なぜか泥だらけで膝小僧をすりむいて怪我をしている新次郎。
「新次郎!」
駆け寄って彼をサジータから奪い取る。
「なんで…!こんな怪我!!」
昴は真っ青になって足の怪我を診る。
「すばるたん、しんじろーはへいきですよ」
そう言われてもちゃんと確認するまでは安心できない。
「ダイアナ…!治療してやってくれ…!」
ダイアナは言われる前に立ち上がっていたが、昴に頷くと、新次郎の足を診る。
「すりむいただけみたいですけど、消毒した方がいいですね」
彼女は新次郎をソファに座らせると、救急箱を取り出して治療を始めた。

 「サジータ!何をしていたんだ!こんな…怪我をさせて…!」
昴は本気で怒っていた。
全員にそれがわかった。
今まで昴がサジータに何かと詰め寄っている所を見ていたが、今回は様子が違う。
拳を握り締めて、肩を震わせている。
「悪かったよ…ちょっと調子に乗っちゃってさ…」
サジータも反省している様子だった。
「バイクに乗せたんだな!怪我が少しですんだからいいような物の…何かあったらどうするつもりだったんだ!」
考えただけで背筋が凍る。

 「ちがうんです、すばるたん!」
足を治療されていた新次郎が立ち上がって昴にしがみついた。
「あ…まだだめですよ」
ダイアナが静止したが彼は昴から離れなかった。
「ばいくは、うんとゆっくりしかうごいていませんでした」
「じゃあこの怪我は?なんでこんなに泥だらけに…」
昴は彼の姿を改めて眺めて、そっと抱きしめた。
見えないところに怪我をしているかもしれないから、強く触れられない。
痛々しくて自分の方が泣きそうだ。
「しあたーをぐるぐるしてきたんです」
皆は良く意味がわからなくて、首をかしげた。
「シアターの周囲を回ったんだね?」
昴がすかさず翻訳する。さすがにずっと彼の面倒をみているだけあって、良くわかっている。
「なんかいかぐるぐるして、もどってきたときに…」
「止まった時、バイクを固定しようとしている間におっこっちゃったんだよ」
サジータが後を続けた。
「でも、やっぱり乗せて走ったのはまずかったね。もうしないよ」

 昴は新次郎をソファに戻して、ダイアナに任せた。
「当然だ。二度とは許さない」
冷たく言い放ってサジータを睨む。
それを見て新次郎が慌てて声を出した。
「すばるたん、しんじろーがおねがいしたんです。ばいく、みせてくださいって」
必死で訴えて、また立ち上がろうとする。
今度はダイアナがしっかりと押さえた。
「すばるたんに、ここにいなさいっていわれたのに…」
言うとしゃくりあげて泣き出した。
「ご…ごめんなさい…」
自分が叱られたと感じたのだろう。
大きな声を出さずに、ぽろぽろと涙をこぼしている姿に、
部屋にいた全員が彼を抱きしめたくなった。
でも、実際に近づいたのは昴だけだった。
彼をちゃんと慰められるのは昴しかいないと、皆も、本人もわかっていた。

 「新次郎、怒っていないから泣かないで」
抱き上げて頬の涙にキスをする。
「さじーたたんも…おこらないで…」
言われて一瞬動きが止まってしまう。
これから新次郎の居ない場所でじっくりと事情を聞いた上で改めて注意してやろうと思っていたのだ。
黙ってしまった昴に、新次郎はしがみついた。
「ばいく…すごくおもしろかったんです…」
昴は彼の頭をそっと撫でて思案する。
ここに来てから、新次郎はずっと大人の都合に合わせて生活してきた。
同じ年頃の友達もいないし、娯楽といえば昴の部屋の蒸気テレビぐらいしかない。
「そうか…今度乗る時はバイクから落ちたりしないでくれ」
微笑んで額についていた泥を指先で拭う。
「怪我をしたりしたら、僕の心臓がもたないよ…」

 「そうそう。あたしもこいつが落っこちた時は生きた心地がしなかったよ」
サジータは頭の後ろで手を組んで、あっけらかんと言った。
新次郎の前ではもうこれ以上昴に小言を言われないと踏んだのだ。
そんなサジータを昴は横目で睨んだが声に出しては、何も言わなかった。
予想通りの反応に、サジータはにやりとした。
昴に抱かれてようやく泣き止んだ新次郎に近づくと、おでこをピンとはじく。
「すばるおかーさんの許可が貰えたみたいだから、今度はもうちょっと遠くにツーリングに行こう」
とたんに、昴のサジータに対する視線が鋭くなったが、やはり彼女に対しては何も言わなかった。
変わりに新次郎にささやく。
「いいか新次郎。今度サジータと出かける時は、必ず僕に報告するんだ。彼女のお守りを君にまかせるから」
ばっちり聞こえたその内容に、サジータは怒鳴った。
「な…何言ってるんだ!」
「当然だろう。君より新次郎のほうがよっぽど大人だ。だめだと言ったのに勝手に連れ出して…」
続けようとして、新次郎が自分をじっと見ていることに気がついて黙る。
「…怒っているんじゃないぞ、新次郎」
言い訳をすると、彼はこくりと頷いた。
「こんどおでかけするときは、さじーたたんをみてますよ」
「うお!こいつ…」
ようやく怖がられないようになったと思ったとたんにこれだ。
「サジータ、自慢のバイクで僕のホテルに行って、彼の着替えを取ってきてくれ。
クリーニングに出してある服が仕上がっているはずだから、フロントに言えば出してくれるはずだ」
「なんであたしが!」
大声で文句を言ったが、昴は凍りつくような視線を寄越した。

 「なぜかって…?」
その場にいた全員が硬直する。
新次郎だけがきょとんとして昴にしがみついたまま。
「今、彼が泥だらけになっているのは誰の責任だ…?」
「う…それはこいつが勝手に…」
昴は抱いていた新次郎をソファに下ろすと、サジータにずいと歩み寄る。
「あちこち怪我をして帰ってきたのは…?」
「ええと…」
サジータに息がかかるほど接近して、彼女にしか聞こえない声でささやいた。
「僕の気持ちが治まるまで、僕の前から居なくなっていた方がいいと思うよ、サジータ」
「…今すぐ行ってくるよ!」
くるりと後ろを向いて、走り去っていくサジータを皆、気の毒そうに見守った。
でもまあ、今回は結果が結果だけに、仕方がないかもしれないが。

 「新次郎、他に痛いところはないか?」
さっきまでとは打って変わって、穏やかな表情で話しかける。
「んんと…ここと、ここ、」
小さいだけに遠慮がない。あちこち痛いと訴えた。
新次郎の隣に腰掛けて、彼を抱き上げ痛いと言われた箇所をチェックする。
最初に彼の怪我を目にした時、本当に心臓が止まるかと思った。
一目で軽傷だとわかる傷だったのに。
すべての箇所が擦り傷や、ほんのり赤くなる程度の打ち身と確認して、
彼をそっと抱きしめた。
小さい子供なのだから、怪我は日常茶飯事だろう。
これからもこんな事があるかもしれない。
もう少し冷静に対処出来るようにならなければ。
「修行が必要だな…」
不思議そうな新次郎を見つめて、昴は自分に向かって呟いた。

 

 

 

 

母修行。
昴さんが図太くなってもいやですから、
そのままでお願いします…。
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