八日目

 大河が無事に元に戻ってから、僕は彼に色々な事を問いただしてみた。
その結果わかった事は、やはり彼は小さくなっていた間の事を覚えておらず、
サニーサイドに薬を盛られたあの日から、大きくなって目が覚めるまでの一週間。
すっぽりと記憶が抜け落ちてしまっていると言う事だ。
突然自分の認知外で日数が進んでしまったことに、彼はとても動揺していたが、
あとで話すからと適当にごまかしてしまった。

 他の皆も、僕が説明するだろうと思っているらしく、
彼には何も話さずにおいてくれた。

 今日はサニーサイドが僕と大河に休みをくれた。
セントラルパークでいつものようにベーグルを買って、ベンチに座って彼を待つ。
サニー曰く、
「一週間、色々大変だっただろうから、ゆっくり一緒に過ごすといい」と言う事だ。
当然といえば当然だ。
奴のせいで、僕も大河も非常な迷惑を被った。一日ぐらいの休みで恩着せがましく言われてはたまらない。
「昴さーん!お待たせしました!」
声が聞こえて、視線をやると、街路の向こうに大河の姿が見えた。
まだ名前を呼ぶには遠いのに、もう叫んでいる。声が大きい。周囲に気がつかれるじゃないか。

 僕が返事をする前に、彼が駆け寄ってきて、目の前で息を切らせる。
「おはようございます!」
「おはよう大河」
彼を「大河」と呼ぶのは久しぶりで、うっかりしていると「新次郎」と呼びそうになる。
それでも別にかまわないのだが、過去に数回呼んでみたさい、彼があんまり照れるのでやめてしまった。
名前で呼べば彼は動揺して赤くなったり、もじもじしたり、色々違った顔を見せてくれる。
それならば、とって置きの時に呼んでやった方が楽しい。

 隣に腰掛けた大河に、買って来たホットベーグルを手渡した。
「ありがとうございます!」
受け取って幸せそうに笑う。
ああ…同じ顔だ。
やっぱり、あの小さな男の子は、まぎれもなく今目の前にいる彼。
わかってはいたけれど、あらためてそう実感すると、うれしくなってくる。
大きくなってもかわいい笑顔。

 「昴さん、ぼく、どうして一週間も記憶がなくなっちゃったんでしょう…」
幸せな気分になってきた僕とはうらはらに、
やはりどうしても不安だったらしく、彼の最初の話題はそれだった。
大河の心情を思えば当然なのだが、言うべきかどうか迷う。
「そうだな…色々と楽しかったんだが…」
少々いじめてやりたくなって来た。
小さくなっている間はかわいがっているばかりだったが、
元に戻ったのだから多少僕が楽しんだってかまわないだろう。

 「君が忘れてしまっている一週間の間に、僕と君は一緒のベッドに寝たりしていたんだが」
上目使いで彼を見る。
「えええ!一緒に…っ…?!じょ…冗談ですよね?!」
こんな風にあわてる彼を見るのは久しぶりだ。
「ふふっ…楽しかったのに…覚えていないなんて残念だな」
からかって反応を見られるのも、彼が元にもどってくれたおかげだ。
「やっぱり冗談なんですね…」
落胆とも安堵ともとれる大きなため息を吐いて、彼はベンチにもたれ掛かった。
一緒に寝ていたのは本当なのだけれど。

 「皆、なんでか一週間の間の事を教えてくれないんですよ。笑ったり、からかったりして。
サニーさんはなんでか急にお休みをくれるし…ぼく、わけがわかんないですよ…」
真剣に困惑しているような彼を見て、少し罪悪感が沸いてきた。
「そのうちちゃんと話すよ」
なんとなく、今は言いたくない。
「今は教えてくれないんですか?お母さん」

 ………。
今彼はなんと言っただろう。
僕の事を…?。
「あ!ご…ごめんなさい!」
自分の間違いに気がついて慌てている大河をじっと見る。
「つい……昴さんが母さんみたいに思えてしまって…」
彼は俯いて赤くなっていたが、表情を盗み見ると微笑んでいた。
「前から昴さんは、お母さんみたいだなって思っていたんですけど…
昨日から、なぜかそんな気持ちが強くなっていて…」
俯いていた顔をこちらに向けて、照れ笑いを浮かべる。
「全然ぼくの母さんに似ていないのに変ですね」

 「大河…」
僕の後ろを必死でついて回って、ときどき僕をおかあさんと呼んだ、あの子供。
今、自分はどんな顔をしているんだろう。
大河は僕を見て、心配そうな表情をした。
「怒っちゃいましたか…?ごめんなさい」
違うんだ。
怒ってなんか、いない。

 ベンチに座ったまま、彼を抱き寄せる。
少し癖のあるふんわりとした髪。
小さかった時とは少し感触が違う。
「す…昴さん?」
「しー…黙って…」
僕が言うと、彼は何も聞かずに大人しくしていてくれた。
抱きしめて、頭を撫でる。
この一週間。何度も、何度もそうして来たように。
「新次郎…」
名前で呼ぶと、ピクリと体を強張らせたが、じっと身を任せていてくれる。
君は忘れてしまったけれど、この一週間、僕たちは一つ屋根の下でとても仲良く暮らしていた。
それは君が、本来の君である時に僕に与えてくれるのと同じぐらい、
やさしくて、愛情に溢れた時間だった。

 体を離して彼に笑いかける。
「今日は君が行きたい所へ行こう。どこにでも付き合うよ」
僕がそう言うと、予想通り、大河はうれしそうな笑顔になった。
高潮した頬が薔薇色に染まっている。
「本当ですか?!」
言ってまた抱きついてきた。
小さい時ならいいけれど、大きい大河にそうされると少し苦しい。
うれしいけれど、もう少し手加減して欲しいものだ。

 そう考えていると、不意に大河が力を緩めた。
解放してくれるのかと思ったがそうではないようだった。
僕に凭れ掛かって、苦しそうな声を出す。
「あ…すばる…さ…」
顔色が真っ青になっている。
「大河?!」
真っ先に思い出したのは信長と戦って倒れた彼。
「熱い…昴さん…」
その言葉にハッとする。
まさか…。
「は…っあ…」
ぴくんと体を震わせて、僕の上着をきつく掴んだ。
いつかサニーサイドが言っていたことを思い出す。
『苦しむというよりは…悶えて…』
しかし…、
いや、でもこれは…。
薬の効き目は昨日で切れたはずだ。
その証拠に彼は元に戻っている。
あれからまた、何かサニーサイドに飲まされたのだろうか。
動揺して思考がまとまらない。

 「昴さん…あ…ぁ…」
大河の表情に不覚にも僕は状況も考えずに赤くなってしまった。
そんな場合ではないのに!
「大河!しっかりしろ!」
言ったものの、具体的にどうすればいいのかさっぱりわからない。
倒れそうな彼を支えて周囲を見渡すが、助けを求められそうな人影は見当たらない。
キネマトロンを取り出してシアターに連絡を入れようとしたその時、
大河が大きな声を出した。
「はっあ…!」
そしてそのまま僕に倒れ掛かって動かなくなる。
「大河!」
あの薬のせいかと思っていたが、そうでなかったら…?!
意識のない体を抱きしめて、途方にくれる。
「大河!」
やたらと名前を読んだって何も解決しないのに!
何をやっているんだ昴!

 出来るだけ動かさないようにそっと彼を横たえて、
助けを探そうと立ち上がって周囲を見渡す。
離れたくないけれど、仕方がない。
何も出来ないままくっついていたって状況が悪化するだけだ。
そう自分を納得させて、むりやり数歩を進んだ。
ばか大河…!
いつも心配ばかりかけて…!
ガマンできずに振り返り、僕は呼吸が止まってしまった。

 大河を横たえたベンチ。
そこには彼の衣類だけがわだかまっていて、彼の姿は消え去っていた。
「な…?!大河?!」
駆け戻って確かめる。
いない!いなくなっている!
でも、この衣類は…。
一瞬のうちにさまざまな考えが過ぎったが、
彼のベストがもぞもぞと動いているのを見て、ひらめくものがあった。
そっと服を掻き分ける。

 「やっぱり…」
そこにはこの一週間、僕が大切にしてきた一人の子供。
「ん〜」
もぞもぞと寝返りを打って、声を出した。
自分の体が震えているのがわかる。
手を伸ばして頭に触れると、さっきまでとは違う細い髪のしなやかな感触。
「新次郎……」
…どうなっているんだ!

 

 

 

 サニーサイドは支配人室で思案していた。
山積みされた書類をペンで突きながら悩んでいると、
秘書室をものすごい勢いで駆けて来る足音が聞こえた。
続いてドンドンと遠慮なく大扉を殴る音。
あんな音を出すからには、そうとう拳が痛いのではないか。
「サニーサイド!」
予想はしていたが、返事を待たずに扉を蹴破るような勢いで入ってきたのは九条昴だった。

 そして、その腕には見慣れた子供が抱えられている。
眠っているらしいその子は、おそらく本人の物であろう、ぶかぶかなシャツを着ていた。
「どうなっているんだ!サニー!」
怒りで震える小さな体。
「…やっぱりだめだったのか」
サニーサイドは苦笑した。
「やっぱりだめって…!知っていたのか!?こうなる事を!」
ドカンとデスクを拳で殴る。
さっきから硬い無機物を殴り続けて痛くないのだろうか。
そうサニーが暢気に考えていると、昴はデスクを回り込んでサニーサイドの横に立ち、
子供を抱いていないもう片方の手で襟首を掴む。
「…答えろ」
一切の言い訳を許さない低い唸り声。
「わかったから…離してくれ…」

 「昨日話そうとしていた所に、丁度君が駆け込んできて…。そのまま大河君が元に戻ってしまったから、
何も問題はないのだろうと思っていたんだけど…」
「何がだ!」
そういえば、苦しむ新次郎を抱きかかえてこの部屋に入った時、
確かにサニーサイドは自分に何か言おうとしていた。
「帝劇から連絡があって…」
昴の表情を伺うようにゆっくりと話す。
「君さ、ほら、大河君が誘拐された時、薬物相互作用による副作用について聞いてくれって言ってただろう?」
言われてハッとする。
あの時は、あんまりバタバタしていたのですっかり忘れていた。
「言われてすぐ問い合わせてみたんだけど、向こうも調べてみないとわからないって言うから、結果待ちだったんだ」
「で…昨日結果が出たんだな…」
サニーサイドは頷いてアハハと笑った。
「麻酔を吸い込んだ量にもよるけど、あと何週間か元に戻らなくなるって言われたんだよね」

 「な…」
昴はふらりと後方によろめいた。
だがすぐに持ち直すと、拳を握って力いっぱい叫んだ。
「なんですぐに言わなかったんだ!」
「だって元に戻ったんならいいかと思ってさ、やっぱりだめだったみたいだけど」
昴はなんと言っていいかわからなくなって、数歩下がった。
複雑な感情が入り混じって混乱している。
二度と会えないと思っていた子供の姿の新次郎。
ようやく元通りに戻って、再開できたと思っていた大切な人。
うれしいのか悲しいのか、自分でもわからない。
「ああ、それから昴…」
「…なんだ」
抱きしめている子供をじっと見つめながら気のない返事を返す。
「大河君は、小さくなっている間の記憶を失ってしまっているわけじゃないんだって紅蘭は言ってたよ」

 

 「何…?」
そんなはずはない。現に大河はこの一週間の事を何も覚えていなかったではないか。
そう思って聞き返すと、サニーサイドはにっこりと笑った。
「大河君の小さい時の記憶として刷り込まれているはずだ、って」
「子供の頃の記憶…?」
サニーサイドは頷くと、立ち上がって昴に抱かれた新次郎の頭を撫でた。
「たとえば今の大河君が3歳の体なのだとしたら、3歳の時の記憶として、この一週間の事は残っているんだ」
昴は腕の中でゆっくりと呼吸をする子供を見つめる。
「まあこんな小さい時の事じゃ何にも覚えていないのと一緒だけどね」
「いや…彼は覚えているよ…」
さっき自分の事をお母さんと呼んだ。
「うかつな事はできないな…」
苦笑して頬を撫でる。

 「では、今度はいつ戻るのか、はっきりとはわからないんだな?」
新次郎を抱えなおして昴は聞いた。
「血液のサンプルを送ってくれればある程度わかると言っていたよ」
そんなものが向こうに届くまでには元に戻っているはずだ。
「君が嫌なら今度は僕が預かってもいいよ。大河君を」
冗談のように言っていたが、サニーサイドが本気なのは知っている。
彼は新次郎をこっそりとかわいがっていた。
「もちろん続けて僕が預かる」
記憶が残るというのならなおさらだ。
数週間怠惰な生活をさせて元に戻った時にサニーのようになったら目も当てられない。
「残念だな…」
さして残念そうには見えなかったが、大げさにうな垂れている彼を放って置いて、昴は部屋を出る。

 歩きながら子供を抱えなおすと、新次郎は眠ったまま声を出した。
「…おかーたん…」
その言葉に目を見開く。
「新次郎、ごめんよ、もう少しだけ、僕にお母さんでいさせてくれ」
まぶたにキスを落とすと、彼はむずがってしがみ付いてきた。
 昨日新次郎が着ていた服は、洗って衣裳部屋にしまった。
持って帰っても仕方がないし、もしかしたら今後なにか舞台で使う機会があるかもしれないと思ったからだ。
こんなに早くにもう一度あの服を出すことになるとは思わなかった。
「あれだけじゃ足りないな、もう数着、服を買わないと」
彼のために服を買うのだと思うと、少し楽しくなってきた。
「今度元に戻ったら、次こそちゃんと話すから」
もう一度キスをする。今度は桜色の頬に。
「着替えさせたら、皆にも説明しないと…」
廊下を進みながら衣裳部屋に向かう。
皆の反応を想像して苦笑を浮かべながら。

 

 

 

 

 

またちっこくなっちゃいました!
日数を気にせず書けます(笑)
すまない大河…。
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