梅干ディナー

 

 昴はテーブルの上で存在感を主張している物体に目をやった。
サラダボウルにいっぱいの、赤黒い玉。

 以前、新次郎が日本食を恋しがった時に、仕方なく食べさせた梅干。
シェフはその事をちゃんと覚えていた。
いつまた彼が梅干を欲しがってもいいように、用意しておいてくれていたのだ。

 他にも数種類のおかずがテーブルに乗っていたが、
視線は堂々と中央に置かれたその代物を注視してしまう。

 「すばるたん、たべないんですか?」
いただきますと言ったきり、動かなくなってしまった昴を見て、
新次郎は心配そうに声をかけた。
「いや、ごめん。ちょっと考え事をしていたんだ。食べるよ」
そう言って、梅干から最も遠い位置にある、魚介のマリネを口に運ぶ。

 これならば香草が利いているので、部屋に漂うあの玉の、独特の匂いがあまり気にならない。
「すばるたんは、うめぼしをたべないんですか?」
確信を突く質問をされて、昴の動きが止まった。
「ああ…新次郎、食べたかったんだろう?全部食べていいよ」
「でも、からだにいいんですよ。すばるたんにもたべてほしいな…」
首をかしげ、じっと見つめる。

 いつからアレが苦手になったのだろう。昴はそんな事を考えた。
口に運んだ記憶がない。
食わず嫌いといわれそうだが、匂いからして受け付けないのだ。
「ありがとう新次郎。本当は梅干が嫌いなんだ」
苦笑して正直に言うと、新次郎は驚いた顔をした。

 「うめぼし、きらいなんですか」
「うん、そうなんだ。僕の分も全部食べてくれると嬉しいんだけどな」
昴はそう言って、新次郎に向けてウインクしてみせた。
「おるたーたんにはないしょですね」
新次郎もいたずらっぽく笑う。

 自分に苦手な物があると、誰かに自ら告白したのは初めてだ。
大人の大河にも話した事はない。
幸いここは日本から遠く、それが食卓にあがる事がなかったから。

 「新次郎は嫌いな物はないのかい?」
そういえば、大きな時は好き嫌いがまったくなかった。
何でも食べたし、初めて見るものでも興味深げに口に運んだ。
「ありますよ…。緑色のお豆とか…」
「グリーンピース?」
大人の彼は喜んで食べていたが。
嗜好が変わったのだろうか。
たしかに、魚料理の横に、ソテーされたそれが添えてあったが、手をつけていない。

 「美味しいよ、ためしに一個食べてみたら?」
昴が勧めると、新次郎は目をぱちくりと瞬いて、フォークの先でそれをつついた。
「うーん…」
「…無理をしなくてもいいぞ」
自分が好き嫌いを言っているのに、新次郎に無理やり食べさせるわけにはいかない。
それに、成長した彼に好き嫌いがない事を知っているのだから、
今、強引に食べさせなくとも大丈夫だろう。

 だが、新次郎はさほど時間をあけずにグリーンピースを一粒フォークに突き刺すと、目を瞑って口に放った。
彼の思い切りの良さに昴は驚いた。
そのまま飲み込んでしまうかと思ったが、ちゃんと噛み締め、ゆっくりと飲み込む。
「どう?」
新次郎はきつく目を瞑っていて、何かを我慢しているように見えた。
心配になって覗き込む。

 しばらく彼はじっとしていたが、やがて目を開け、溜息を付いて、パチパチと瞬きをして口を開く。
「…けっこうおいしいですね…」
昴は拍子抜けして噴き出した。
「おいしかったのかい?」
「はい!おりょうりがじょーずなんでしょうか」
わかったような事をいうので、昴はまたおかしくなってしまった。

 「ふふ…きっとシェフが喜ぶよ。自分の料理のおかげで、子供の好き嫌いがなおったって」
「しぇ…しぇ…」
新次郎は言い難い単語に苦戦している。
「シェ・フ」
ゆっくりと言ってやると、新次郎は大きく口を開けてはっきりと言った。
「せふ!」
「あははっ…!」
本当に、彼と食事をしていると食卓に笑いが耐えない。

 「せふたんですか。おりょーりをつくってくれたひとは?」
「シェフって言うのは人の名前じゃないよ。料理を作る人の事を、そう言うんだ」
教えてやると、新次郎はうんうんと頷いて、フォークで梅干を一つ突き刺す。
「うめぼしも?」
「ああ、それはどうかな。日本からの輸入品かも」
昴はもう梅干の匂いが気にならなくなって来ていた。
馴染んでしまったのかもしれない。

 「…ねえ新次郎」
大きな梅干をかじりつくように食べている彼を上目使いに見る。
「僕も、一個食べてみようかな…」
「うめぼしをですか?」
新次郎が目の前であっさりと嫌いな物を克服したというのに、
自分の方は進歩なしではなんだか少し悔しかったのだ。
「おいしいですよ!」
うれしそうにサラダボウルを昴の方へと押してくれる。

 昴は目の前の赤い玉の山をじっと見た。
全部同じに見えるが、少しでも小さい物を探す。
指先で一つをつまむと、なんとも言えない感触にゾッとしてしまう。
放り投げそうになるのを堪え、震える指に挟み続ける。

 「がんばって…すばるたん…!」
応援してくれる新次郎を見て笑ってしまう。
立場が完全に逆じゃないか。
おそるおそる口元に近づけ、意を決して、はじっこの部分をほんの少しだけ齧る。

 とたんに口いっぱいに梅干の匂いが広がった。
すっぱいとかすっぱくないとか、そんなものは問題ではない。
とにかく、ひとかけらの梅干の果肉が口内に及ぼした被害は甚大だった。
口を押さえ、すぐ横においてあった水のグラスを一気に飲み干す。
それだけでは足りなくて、水差しから急いでコップに注いで音を立ててゴクゴクと流す。
本当は洗面所に駆け込みたかったが、新次郎の手前、なんとかそれだけは我慢した。

 ようやく口内に残った梅干の感触と匂いが収まって息を吐いた。
見ると、新次郎はびっくりした顔をして昴を見つめている。
「すばるたん、だいじょうぶですか?」
「う…ん…。大丈…夫…。やっぱりダメだったな…」
自分は、思っていた以上に梅干がきらいだったようだ。

 「梅干は新次郎にまかせていい?」
そう聞くと、新次郎は真剣に頷いた。
「はい!まかせてください!」
まるで、悪人から昴を守る使命をまかされたかのように、はりきって返事をし、
せっせと食べる。

 今夜は彼に念入りに歯磨きをしてもらわなければならない。
臭い消しに牛乳も飲んでもらおう。
昴は申し訳ない思いと共に苦笑した。
寝る前に、ちゃんとおやすみのキスをしたかったから。

 

 

 

 

一人称SSの合間に普通のも入れて見ました。
克服できなかった昴さん。

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サジねーさんを!

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