子犬のワルツ 8

 

 「お前、一人でこんなとこに来てても平気なのかよ」
家を脱走してきた少年は、すぐ脇を一生懸命歩いている小さな子供を見下ろした。
「おにいちゃんだってひとりですよ!」
新次郎は口を尖らせた。
自分では隣を行く少年と変わらないつもりなのに、心配されるなど心外だった。
「俺はいいんだよ。もう学校にだって行ってるんだからな!」
二人は先ほどの少年の家から数百メートル離れた路地を早足で歩いていた。
「しんじろーだって…えっと…えっと…とにかくひとりでもへいきです」
いい理由が見つからず、新次郎はますます頬を膨らませる。

 公園の中へと入ると、少年は抱いていた子犬を下ろした。
「お前、この犬飼えるのか?」
「かえません…すばるたんも、さじーたたんも、じぇみにたんも、だいあなたんも…」
新次郎は俯いた。
リカは飼ってくれると言ったが、ゴハンにされてしまってはたまらない。
「そっか…んじゃ、やっぱ昨日の箱にいれとこうぜ」
「ええっ!あそこに!?」
足元の子犬を急いで抱き上げて、新次郎は立ち止まった。
「だめですよ!おにーちゃんこそ、きのうはゆきちゃんをつれてかえったのに…」
抱きしめられた子犬は、泣き出しそうな新次郎の鼻をペロペロと舐めた。

 「うん…そうなんだけどさぁ…」
少年は公園のベンチに腰掛けた。
立ったままの新次郎にも、座るように促す。
だが、新次郎は座らなかった。怒ったように少年を睨み、きりりと眉を上げている。
「そんな顔すんなよ、かわりに綺麗に洗っておいただろう?」
「でも、ゆきちゃんをはこにいれて、おいてったんですよ」
新次郎に共感したのか、子犬も気のせいか怒っているように見えた。
丸くて真っ黒な瞳が心なしか吊りあがって見える。
ついでに小さくワンと吠えた。

 「いきものをすてるなんて、いけないことです!」
自分よりも年下の子供に叱られて、少年は肩をすくめて苦笑した。
「弟にやるつもりで連れて帰って隠しておいたんだけどさ…」

 

 

 「にいちゃん、ぼく、ねこかいたい」
「何?!ネコ!?」
ようやく喋り始めた弟は、先日とはまったく違う希望を述べた。
「あら、ネコいいわね、犬もかわいいけど、お母さんもネコ飼いたいなあ」
「父さんはどっちも好きだけど、ネコを飼うなら同僚の家で子猫が産まれたって言っていたから貰ってこられるぞ」
「やったー!パパ!ねこもらってきて!」
小さな弟は手を打って喜んだ。
「まあ、そんなに急に決めていいのかしら、でも楽しみね…。ネコトイレ買って来なきゃ…」
少年は口を出すタイミングが見つからず、家族の顔をかわるがわる見渡した。
みんな、まだ見ぬペットに期待して目を輝かせている。
しかもそれは犬ではなく、子猫だ。
拾ってきた子犬はまだ家の裏手に隠してあった。
一応許可を得てから中に入れようと慎重になっていたのが裏目に出てしまったらしい。
父親が席を立った瞬間を見逃さず、少年は弟に耳打ちする。

 「お前、犬がいいって言っていたじゃないか」
そう言うと、弟は紅色の頬を膨らませる。
「おむかいのイヌ、ぼくをほえるんだ。おっかないよ」
「お前も犬を飼って、そいつに守ってもらえばいいだろ」
それには母親も頷いていた。
「あらいいわね。やっぱり犬も飼ってみたいかも…」
「だろ!?」
少年が身を乗り出すと、ちょうどそこへ父親が戻ってきた。
「お?どうかしたか?」
「ねぇパパ、やっぱり犬もいいかもって相談してたのよ。どう思う?」
若い母親が首をかしげると、父親は頭をかいた。
「おや、そうなのかい?もう同僚に電話して猫をもらうって言っちゃったよ」
「ねこかえるの?!やったー!パパ、ありがとう!」
「まあ、気が早いのね。…ねえ、猫だっていいじゃない?かわいいわよ〜」
母親はむくれている長男の顔を覗き込んだ。

 とてもじゃないが、もうすでに犬を拾って来てしまったなどと、
言い出せる雰囲気ではなかったのだ。

 

 「…ってな具合でさ…いまさら犬を持ってきたって言えなくってさぁ」
頭を掻いて、苦笑する。
新次郎はそれを聞くと、抱いていた子犬を下ろしてくるりと後ろを向いた。
そしてそのままトコトコと歩き出す。
「お…おい、どこいくんだ…」
返事をせずに、どんどんと歩いていってしまう新次郎に、少年は慌てて付いて行った。
「待てってば!」
大声で呼ぶと、ようやく新次郎は立ち止まって振り向いた。
「おにーちゃんち!」
「俺んち?!なんでだよ!おい、こら、待て」
追いかけても今度は新次郎は止まらなかった
「おにーちゃんのおかーたんに、ゆきちゃんをかえますか?ってきいてみる。きっとかってくれますよ」
新次郎はにっこりと笑った。

 

 昴は、茂みに隠れたまま微笑んだ。
彼らが会話をしていたすぐ近くのベンチの影に座っていたのだが、
二人の会話が聞こえてきて楽しかった。
大人の介在しない、子供同志の会話と言う物を始めて聞いたが、内容は案外きちんとしている。
何よりも、新次郎の行動力が頼もしかった。
勝手にシアターを出て行った事はあとで叱るつもりだったが、
思ったよりも新次郎が平気でいるので安心した。
いつも昴の後をピッタリとくっついていたから、一人きりの時はもっと不安げにしているのではないかと思っていた。
だが、一緒にいる子犬や少年のおかげか、新次郎は結構しっかりと自分の意思を相手に伝えている。
昴といる時よりも、数段頼もしく見えた。

 それは少しだけさみしい事実だったが、
昴がいない時に何にも出来ないような子供よりはずっと良かった。
考えていたよりも、彼は精神的に幼くはないようだ。
保護者が傍にいると、子供は甘えて実際には出来る事も自分ではやらなくなると、
なにかの本で読んだ覚えがあるが、確かにその通りかもしれないと、昴は思った。
もっとも新次郎は、たとえ昴が傍にいても、自分の事は言われなくともなんでもきちんとこなせたが。
昴は隠れていた場所から立ち上がり、新次郎が向かう先へと回り込んだ。

 

 新次郎が公園の出口に向かって歩いて行くと、門柱に寄りかかっている小柄な人物が見えた。
目が合うとニッコリと笑顔を向けてくれる。
「僕も手伝おうか?」
「すばるたん!」
新次郎は驚いてしまった。
ジェミニの時のように逃げようかとも一瞬考えたが、今ダッシュしても逃げ切れそうにない。
それに、もう昴を悲しませるのは許されない気がした。
目の前の人物は微笑んでいたが、新次郎が勝手にシアターを抜け出してしまったせいで、きっと、すごく心配していたはずだ。

 「ごめんなさい…」
シュンとなってしまった子供の頭を、昴はやさしく撫でてやる。
「しょんぼりしていたらだめじゃないか。ゆきちゃんを助けるんだろう?」
そう聞くと、新次郎は顔を輝かせて昴を見上げる。
「僕は手伝ってあげるだけだぞ。がんばれるかい?」
「はい!」
新次郎は元気いっぱいに返事をした。昴が、子犬をまかせてくれた事が嬉しかった。
昴は、後から困ったような顔をして、しぶしぶ付いて来る少年をみやって歩き出す。
少年の話しぶりだと、上手く行けば彼の家族は子犬を受け入れてくれるかもしれない。
新次郎の考えた通り、昴もそう思ったのだ。

 

 

すさんだ家庭かと思いきや、
男の子の家は案外良いおうちでした。

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多分、新聞紙とかで顔を隠してたと思う。

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