子犬のワルツ 5

 

 新次郎が目を覚ますと、周りには誰もいなかった。
寝かせられていたのはすっかり馴染んだ支配人室のソファで、
体の上にはいつもの大きなタオルが丁寧にかけられていた。
反対側のソファを見ると、案の定、サニーサイドが長い手足を放り出して眠っている。
新次郎は思い出した。
たしか昴にしがみ付いて大泣きして、そのまま寝てしまったのだった。
子犬の事も思い出す。
サニーを起こさないようにそっとソファから降りて、支配人室の大扉を開けた。

 ラチェットがいるかと思っていたが、彼女はいなかった。
上司が昼寝に入ってしまったので、星組の稽古の方を見に行ったのかもしれない。
秘書室を通り抜け、屋上へと出る。

 「ゆきちゃん!」
子犬は新次郎の声に反応して起き上がった。
千切れんばかりに激しく尻尾を振って、新次郎に近づこうと後ろ足で立ち上がる。
新次郎は子犬を抱きしめた。
「ゆきちゃん…」
大人たちが話していた、「処分」と言う言葉が忘れられなかった。
みんな暗い顔をしていた。
誰も飼い主が見つからなかったら処分。
どこか遠くへ捨ててしまうのかもしれない。
こんなに小さいのに、そうなったらきっと死んでしまう。

 「ゆきちゃん、かいぬしさんをさがしにいきましょうか」
新次郎は、子犬を繋いでいた赤い紐を解いた。
その紐をしっかりと握り歩き出すと、白い犬は何の疑問もなく付いてくる。
「みつかったらだめですよ、しょぶんされちゃうんだから」
近所の犬を、こうやって何度か散歩させたことのある新次郎は、うれしくなって顔をほころばせた。

 エレベーターのボタンには手が届かなかった。
テラスのイスを運んでよじ登り、指を伸ばしてようやく押す。
エレベーターが屋上にやってくると、今度は急いでその中に椅子を移動した。
「ゆきちゃん、はやくはやく」
子犬の紐は放していたが、言葉が通じたように、ちゃんと新次郎にくっついてエレベーターへと乗り込んできた。
新次郎は、自分を見上げる賢い瞳に首をかしげた。
「だいじょうぶって、いってるのかな?」
なんとなく、子犬の言葉がわかったような気がしたのだ。

 エントランスには、プラムと杏里がいるはずだった。
エレベーターの中からそっと覗くが、彼女達の姿は見えない。
「ぷらむたん、ちらし、つくってくれてるのかな」
そういえば、彼女は子犬の飼い主を探す為のポスターを製作すると言っていた。
もしかしたら、杏里と共に、その作業をするためにどこかへ行っているのかもしれない。
何にしてもチャンスには違いなかった。
広いエントランスを駆け抜けて、入り口の大きなドアを開ける。
「ゆきちゃん、だれにもみつからなかったとおもう?」
新次郎は子犬の顔を覗き込んだ。
白い犬は、満足げに口を開け、ハッハッ、と、短く息を吐いた。

 

 

 「で…新次郎はどこだ…」
「さぁ…」
サニーが気のない返事をしたとたん、支配人室のデスクがすごい音を立てた。
昴が渾身の力を込めてその高級な家具を拳で殴ったのだ。

 

 

 昴は練習が一区切りついて新次郎の元へと向かった。
彼が泣きつかれて眠ってしまったから、仕方がなくそのままサニーに預けたのだが、
昼食も食べていなかったし、目を覚ましていたのならもう一度子犬についてきちんと話して安心させてやりたかった。
支配人室へ行くためにエレベーターに乗ると、そこにはなぜか椅子が置いてあった。
不審に思い、眉を寄せる。
次に、途中で子犬を繋いであった場所を覗くと、そこには何もなかった。
子犬も、繋いであった紐も。
ただ、エサ入れに使用したプラスチックの容器だけが残っていた。
もしかしたら、新次郎にせがまれて子犬を支配人室に入れてしまったのかもしれない。
昴は溜息を吐いた。
「あまり甘やかさないように言わないと…」
自分が一番新次郎を甘やかしているくせに、昴はそんな事を呟いた。
特に、サニーがあの子を甘やかしていると思うとなんとなく落ち着かない。

 支配人室のドアをノックしても、何の応答もなかった。
「サニー!いないのか!」
大きな声を出すと、とたんに何か大きな物が落下する音が聞こえた。
「サニー!?新次郎!」
昴がドアを開けると、床の上で自分の上司が伸びていた。
もう片方のソファ。
いつも新次郎が寝ている場所には、彼が使用していたタオルだけが残っていた。

  「で…新次郎はどこだ…」
「さぁ…」
ドカンとものすごい音がして、デスクが揺れた。
サニーサイドは思わず目をむいた。
分厚く巨大なその机に、亀裂が入っている。
昴は拳をオークで出来た机に乗せたまま、サニーサイドを睨む。
「貴様…冗談は顔だけにしておけよ…!」
「昴…手…痛くないの…?」
「この…!」
「きゃー!やめなさい昴!」
後で様子を見守っていたラチェットは慌てて止めた。
昴がサニーサイドを絞め殺しそうだったからだ。

 

 

 「とにかく…新次郎はあの犬を連れて行方不明だ…もしかしたらまだシアターの中にいるかもしれない」
昴は皆を集めて溜息を吐いた。
「でも…おそらくここにはいない…あの子犬の飼い主を探しに行ったんだろう…」
シアターにはあの子の気配が感じられない。
だが、誘拐された時に感じたような焦燥感もなかった。
おそらく彼自身が危機感を感じていないから、昴の方にも何も伝わってこないのだろう。
「悪いけど…探すのを手伝ってくれないか…」
「悪くなんかないですよ!新次郎はボクたちみんなの隊長なんだから、ね!」
ジェミニはそう言って、玄関に向かって走り出した。
「ボク先に行きます!ラリーと海岸の方を見てくる!」
「リカは中華街!ノコ、行くぞ!」
二人が出て行くと、サジータとダイアナも顔を見合わせた。
「あたしはあんたの家の近くを探すよ。セントラルパークとかさ」
「私はシアターの周りを…」
昴は頷いた。
「すまないね、僕は最初に犬を見つけた公園に行ってくる」
そう言って、離れたところで隠れるように様子を伺っていたサニーサイドに向けて怒鳴った。
「サニー!ラチェットとシアターにいてくれ!一応中を探して、彼が戻ってきたら知らせろ!」
「わかったわかった。大丈夫だよ。あの子しっかりしてるからさあ、ねえラチェット…」
だが、頼りの秘書は冷たい視線を投げて寄越した。
「誰のせいだと思ってるのよ…明日から、あなたは昼寝禁止よ」
とたんに情けない顔になる上司を放っておいて、ラチェットは昴に近づいた。

 「あの子の事だから心配ないと思うけど、早く見つけてあげてね。連絡待ってるから」
「ああ、ありがとう。子供の足だし…すぐに見つかるはずだ…」
そうは言ったものの昴は溜息を吐いた。
新次郎はこっそり出て行った。
誰にも告げず、見つからないように配慮して。
もしも、新次郎が自分達を先に見つけたら、逃げ出してしまう可能性もある。
「まったく…やっかいな物を拾ったよ…」
昴はそういい残すと、くるりとターンして、シアターを駆け去った。

 

 

家出…。

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