はじめての…… 3

 

 それは数日前の事だった。
「そろそろこれも修理が必要かな……」
昴は愛用の扇を水平に構え、まっすぐに腕を伸ばす。
「うん……」
再び眼前に戻し、今度は半分ほどを畳んで先端に指先を当てる。
かすかに触れただけなのに、鋭利な切っ先は薄皮を裂き、白い指にうっすらと一文字の痕跡を残した。
「良くないな……」
けれども昴はその切れ味に満足できなかったようだ。

 「すばるたん、それ、こわれちゃったんですか?」
「ん? ああ、壊れたわけではないんだよ」
昴はそう言って、手に持った扇を開いて見せた。
「ね、ちゃんと開くだろう?」
「でも、しゅうり、するんでしょ?」
首をかしげる新次郎が座るソファに、昴も腰掛け、横向きに抱き上げて、顔を覗き込む。
「壊れていなくても、ほんのちょっとだけ曲がってしまっているんだ。少しのゆがみが重大なミスに繋がったりするからね」
新次郎は昴が手に持っている扇をじっと見つめた。
曲がっているようには全然見えない。
「まがってますか?」
「少しだけ、ね」

 

 鉄扇はただの飾りではない。
ましてや涼を求めるための普通の扇でもない。
身を守るための武器として使う事が主な使用方法。
歪んでわずかに開くタイミングが遅れたりしては役目を果たさない。
それにそろそろ刃先も整えなおしたかった。
紐育に来てからはきちんとした手入れが出来ていない。
職人が近くにいないからだが、刀と同じ切れ味を持つそれは、手入れも刀と同等に必要だった。
時々は本格的なメンテナンスをしなければならない。

 「すばるたん、それがないとこまっちゃいますか?」
「大丈夫だよ。修理が終わったらすぐに戻ってくるんだから」
心配そうな新次郎の頭を撫でてやり、昴は扇をいつもの胸ポケットではなく、簡素な黒い小箱にしまった。
新次郎が不安げだったのですぐに戻ってくると言ったが、実際に戻ってくるのは一ヶ月以上先だろう。

 「さみしいですね……」
「大丈夫。君がいるし、扇がなくても僕は強いんだぞ」
「しんじろーがすばるたんをまもります」
新次郎は昴の膝の上から飛び降りて、自分の胸を叩いた。
「ふふっ、頼もしいな」

 目を細めて新次郎を見つめ、昴はその姿を少し前の彼に重ねてしまった。
「ぼくがあなたを守ります」
そう言ってくれた日の事を思い出す。
思わず目頭が熱くなる。
「な、ないちゃったんですか?」
「ああ、違うよ。ありがとう新次郎」
腕を伸ばして抱き寄せると、大人の彼を抱きしめているような錯覚が襲ってくる。
愛しくてますます涙が零れそうになってきた。

 

 自分を抱きしめて動かなくなってしまった昴に、新次郎は少しだけ困惑していた。
やはり、鉄扇を手放してしまうのが心配なのではないかと考える。
昴は以前、鉄扇は素晴らしい武器なんだと教えてくれた。
体が小さい人間には、軽量で動きやすく、適しているのだとも。
この扇に何度も命を救われたと言っていた。
それがなくなってしまったら、昴はものすごく困るのではないだろうか。

 

 

 

 「へえー、すばる、いまアレないのかー」
リカは新次郎の話を聞いて、黒光りする恐ろしい武器を思い出していた。
「すっごく強いよなーアレ。リカの銃と同じぐらい危ない」
「はい。だから、しんじろーがあたらしいのをかってあげるんです」
新次郎はリカと手を繋いで、仲良く紐育の街を歩く。
ポケットの中には、夕べ昴が用意してくれた小さなガマ口財布があった。
そこにパンパンに硬貨を詰め込んで、今日も大事に持ってきたのだ。
「そうかー。でもあれって、どこで売ってんだ?」
「おみせですよ」
あっけらかんと言う新次郎に、リカは額に指を当てて考え込んでしまった。
肩に乗っているノコもその顔を覗き込んでいる。
「あんなの売ってるのかなー。お店っていっても色々あるんだぞ。リカは売ってるとこ、見たことない」
「いろいろ……。おさかなやさんとかですか?」
「そうだ。魚屋には売ってなかっただろ? 魚は魚屋。お肉はお肉屋。アレって、何屋で売ってんだ?」
リカが聞くと、新次郎は眉間に小さな皺を寄せて考え込んでしまった。
「そうだ!」
リカはパッと顔をあげ、その拍子にノコが頭から転がり落ちる。

 リカには心当たりがあった。
昴の武器はたしか日本特有の物だったはずだ。
それならば近くに売っていそうな場所があるではないか。
「ROMANDOに行くぞ! しんじろー!」
「ろま……?」
「ロ・マ・ン・ドー! あそこならきっと売ってるぞー!」
「ろまんどー?」
「そうだ! よーし! 銀行はそのあとにしよう!」
「はい!」

 元気良く手を繋いで歩いていく二人を目撃した街の人々は、微笑ましくてつい頬が緩む。
どうみてもそれは、仲の良い兄弟にしか見えなかったからだ。

 

 

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リカが出てくると、エクスクラメーションマークの出番が大幅に増えます。

 

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