甘い羊 7

 

 急発進して飛び出したスターの中で、昴は慌てて背後を振り返った。
みるみるうちにシアターが遠ざかり、昼の摩天楼が眼下に小さくなっていく。
「大丈夫か?! 新次郎!?」
突然空に放り出され、新次郎がさぞかし怯えているのではないかと思った。
けれども当人は平気な顔をしていた。
それどころか心底嬉しそうな笑顔を昴に向けた。
好奇心で瞳がキラキラ輝いて、恐れなどまったく抱いていないと一目で分かった。

 「すごいですね! きもちいい!」
「あ、ああ……」
「とりさんのこえがする!」
ごうごうとジェットの音が低く室内を響き渡り、鳥の声など聞こえないと昴は思った。
しかしふと視線を横にやると、すぐ近くを渡り鳥の群れが飛んでいた。
どうやってあの声を聞いているのかわからないが、確かに彼らはさかんにくちばしを動かしていた。
鳴いている。
あの声を、新次郎は聞いている。
そう思うと、昴は胸が温かいもので満たされるのを感じた。
「あのね、ずっととびたかったって、いってたんですよ」
誰が、とは昴は聞かなかった。
おそらくフジヤマスターの事を言っているのだ。
「しんじろーをまってたって……」

 それから彼は目を閉じた。
語らないはずの誰かと会話を交わしているのだろう。
普段大河はそんな事一言も教えてくれなかったが、おそらく彼もこうして愛機と語り合っていたに違いない。
昴には確信があった。
大河も飛ぶのが好きだったから。
鳥たちの声を聞いて、こっそり楽しんでいたのだろう。

 昴と新次郎はそうやって、空中でほんの少しの間穏やかな時間をすごした。
昴ですら、なんとなく今緊急事態になってしまっているという自覚がなかったからだ。
自覚したのはそのすぐあとに切迫した通信が届いたせいだ。

 「大丈夫?! 昴、タイガー!」
声はプラムの物だった。
おそらく二人が飛び出していったしまったと報告を受けて、急いでオペレータールームに駆けつけてくれたのだろう。
「大丈夫だプラム。二人とも無事だよ」
昴はちらりと横を見やった。
新次郎はにこにこしているばかり。
「君が来てくれて良かった。すまないが着陸の為の誘導をお願いしたいんだ」
「もちろんOKよ。そのつもりで来たの」
「もうもどるんですか?」
新次郎は不満げだ。

 「着陸地点はなるべく開けた場所が良い。セントラルパークを部分的に立ち入り禁止に出来ないだろうか」
シアターに帰還する事もきっと可能だろうが、狭ければ狭いほど、着陸は困難だった。
出来れば障害物の少ない場所に下ろし、あとでスターを回収したいと思っていた。
紐育はどこも雑然としているが、街の中心部。セントラルパークだけは別だ。
「しんじろーは、もとのところにかえれますよ」
やりとりを聞いていた新次郎は口を尖らせる。
「了解よ昴。すぐになんとかするから、しばらくそのまま空中で待機できるかしら」
「多分大丈夫だ。大丈夫だよね? 新次郎」
「うーん。おっこちたりはしません」
あまり大丈夫じゃなさげな返事だったが、昴は微笑んだ。
墜落しなければ上々だ。

 パークの準備が出来るまでの間、昴は久しぶりの紐育上空をつくづくと眺めた。
隣には恋人である大河新次郎。
中身は子供のままだったけれど。
昴は目を閉じ考える。
思いがけないデートだったな……。
嬉しいけれど、同時に寂しい。
……君に会いたいよ。
遠く摩天楼を見下ろしながら、昴はほんの少しだけ、新次郎に肩を寄せた。

 「あ、あそこ、あんりたんが、てをふってる!」
確かにセントラルパークの一角で杏里がこちらに向けて手を振っているのが見えた。
もちろん肉眼ではなく、モニターに拡大された姿だ。
モニターの詳細な操作はすべて昴が担当していた。
「杏里、今確認した。これから着陸するから離れていてくれ」
「了解しました。気をつけてくださいね」
杏里が広場を駆けていくのが遠くに見える。

 「新次郎、あそこに降りるんだけど、操作は僕がやるから、君は機を暴走させないように気をつけていてくれれば良い」
「ぼーそー?」
「ふふ、また飛んでったりしないように、ね」
「はあい」
新次郎は少しだけ残念そうだった。
空中散歩が本当に楽しかったと見える。
そして昴も少しだけ残念だった。
「いいさ、君が本当に元に戻ったら、その時にもう一度……」
「なんですか? すばるたん」
「なんでもないよ。さあ、がんばろう」
昴は新次郎に笑顔を向けて、彼の握っている操縦桿を、彼の手の平の上から包み込むようにしっかりと握り締めた。

 

 

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かなり楽しかったようです。

 

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