甘い羊 3

 

 昴は新次郎を伴って、タクシーでシアターに向かった。
家を出る前に、今日だけは、車の中ではなるべく静かにしていて欲しいと伝えておいたので、
新次郎は後部座席に背を伸ばして座り、とても大人しい。
もともと車が大好きな子供だったから、もしもいつものように大喜びしたら、
タクシーの運転手にいぶかしがられるのではないかと危惧を抱いていたのだが、
新次郎は、むしろ大人の時の彼よりも静かだった。
大人の彼は、車に乗ると好奇心を隠さずに、喜色満面で外の風景を指差しては昴に報告したものだ。

 タクシーで何事も問題がおきなかったので、普段よりもずっと早くにシアターに到着した。
まだ誰も出勤していないようだ。
「みてみてすばるたん、しんじろー、じぶんでえべれーたーのぼたん、おせますよ」
新次郎はエレベーターをえべれーたーと呼んでいた。
姿が大きくなっても直っていないので、昴はつい笑ってしまう。
「丁度いい。上に行くから押してくれるかい?」
「はーい!!」
昴に頼まれ、新次郎は大喜びでボタンを押した。
今までは、椅子を運んできて上に乗ったり、はたまた昴に抱き上げてもらったりして、
ようやく届いたそのボタンが、今は目線よりも下にある。

 「サニーは来ているかな……」
サニーサイドは、最近なにやら健康がどうのと、やけに早起きして仕事に来る事があった。
「あ! すばるたん、あそこにいますよ」
新次郎が指差す先には大きな池。
そこにかけられた朱塗りの橋の上で、サニーサイドは鯉にエサを与えていた。
「おや、おはよう昴、今日は早いね、ってあれ?!」
二人の接近に気が付いたサニーサイドは目を丸くした。
「おお、大河君、ようやく元に戻ったのか!! それは丁度良かった!!」
「もとに?」
新次郎は首をかしげた。
「いや、違うんだサニーサイド。実は……」
昴は事情をかいつまんで聞かせ、オーナーの眉間に皺がよっていく様を、したくもないのにじっくり観察してしまった。

 「そうか……うーん残念だな。それに大いにまずい」
「まずいって何が……」
そこまで言って、隣に立つ新次郎が、きょとんとした表情で自分達を眺めている事に気がつく。
「新次郎、鯉にエサをやっててくれる? 僕はちょっとサニーと話をしてくるから」
「はーい!」
昴は新次郎がきちんと見え、なおかつ自分達の表情や会話が聞こえない位置、
テラスにサニーを連れて行き、そこでこそこそと話しかける。
「そういえばさっき、丁度良かった、とか言ってたな」
「実はさあ、大河君の新しい戦闘用のデータをいいかげん更新しろって言われててね」
「戦闘用のデータ? スターに搭乗して?」
「うん。本当は、今の状況を確かめたいから面接したいって言われたんだけど、忙しいからとか適当にごまかしたんだよね」
「やっかいだな……」
面接せずに済んだのは本当に幸いだった。
この点はサニーを褒めてやってもいい。
けれども元凶もサニーだったので、昴はあえてその点に触れなかった。

 「期限はどうなっているんだ?」
「なるべく早く。できれば今日中に」
「今日……」
昴は振り返り、鯉と戯れている新次郎を見た。
その様子は本当に以前の彼とかわりない。
ただ、少しだけ動作がぎこちなくて、やる事も幼さが際立っている。
「駄目で元々だ、天の助けか、大きさだけでも元に戻ったんだから、試しに乗せてみようと思うんだけど、どうだい?」
「スターに……か……」

 美しい眉間に薄く皺を寄せ、昴は扇で口元を覆った。
こんな状況でもサニーサイドが一応自分に確認を取ってくれることには感謝している。
問答無用で乗せてしまったっていいのだ。
それに、状況はかなりまずい。
ここで上からの命令を拒否して、新たなデータを送らなければ、ヘタをすると大河はクビになってしまう。
そんな事になったら彼に申し訳なさ過ぎる。
「……わかった」
「良かった。心配ないって、きっと上手く行くさ」
サニーはめずらしく、あからさまに安堵した表情だ。
「ただし」
そこへすかさず昴は扇を突きつける。
「僕も乗る」
「は?」
「僕も一緒に搭乗すると言っているんだ」
「フジヤマスターにかい?! 狭いよ?!」
コックピットは当然1人用だ。
「かまわない。あの閉鎖された空間に、新次郎を1人きりで乗せるわけにはいかない」
それに、様々な計器の扱いも、数値測定の為だけとはいえある程度の知識が必要だ。
外から指示して長引かせるより、少しでも早く終了してあげたい。

 「そうだねえ。確かに、中に1人じゃ色々大変かもね」
「とりあえず、やってみるだけやってみよう。駄目だったらその時はその時だ」
昴は覚悟を決めると、パチンと音を立てて扇を閉じた。

 

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昴さんが小さい人でよかった。

 

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