いつかこの街で 9

 

 リハーサルが休みだったこの日、大河は普段シアターでしているように劇場内の掃除を始めた。
滞在日数も残りわずかだったから、せめてものお礼にと思ったのだ。
入り口の部分から丁寧に掃いていると、尊敬する叔父が顔を覗かせた。
「掃除なんかいいからちょっとこっちに来い、新次郎」
そんな風に呼ばれて、大河は首をかしげつつも叔父の方へと寄って行く。

 「どうしたんですか? ぼくまだ玄関掃き終っていないんですけど……」
「いいから、ちょっと来いよ」
大河はほうきを手に持ったまま、叔父の後ろをついていった。
到着したのは衣装部屋だ。
部屋の前にはさくらとレニが立っていて、気のせいか随分と楽しげに見えた。
「もう出来たかい?」
大神が聞くと、彼女達は同時に頷く。
「どうしたんですか?」
事情がわからない大河は不審げだ。

 「開けてもいいかな? 昴君」
「かまわない。もう着替えたよ」
中から馴染みのある恋人の声が聞こえて、大河は叔父を仰ぐ。
「着替えたって、何をしているんですか?」
「開けてみればわかるさ」
「で、でも……」
「もー、大河少尉ったら! 早く開けて見て下さいよ!」
「昴……待ってるよ……?」
さくらとレニも、じれったそうに背中を押してくるので、大河は戸惑いながらも恐る恐る衣装部屋の扉を開けた。

 扉を開いてすぐに、目の前に飛び込んできた光景に、大河はポカンと口を開けて立ち尽くしてしまった。
持っていたほうきを取り落とした事にも気がつかない。
昴が、蝶の小紋の入った、濃紫の美しい着物を着て立っていたからだ。
髪は耳の前に少しだけ残し、高く後に結い上げてあり、銀で出来たかんざしが涼やかな音を立てて揺れた。
漆黒の髪に対比するように、普段は見えない首元の白さが際立って見える。
「どう?」
昴は大河に向かっていたずらっぽく微笑み、背後にいる3人にも笑いかける。
「さすがは昴君。似合うなあ」
「本当にピッタリです!」
「うん。……悪くない……」
3人に満足行く返答をもらえた昴は、再び大河に視線を戻す。
「君は? どう思う?」

 感想を求められて、大河はコクリと喉を鳴らした。
「す……」
「す?」
「すごいです! 昴さん! 綺麗です! どうしたんですかそれ!!」
興奮している大河は拳を振り回し、顔を真っ赤にしてしまっている。
「ふふっ、ありがとう、大河」
子供のように喜んでくれる恋人が愛しくて、昴も少しだけ頬を赤らめた。
褒めてくれるだろうとは予想していたが、実際に恋人に賞賛されると幸せな気分が高まってくる。

 「これはさくらが貸してくれたんだ」
「さくらさんが?」
振り返ると、さくらは嬉しそうに頷いた。
「それ、母の若い頃の着物なんです。子供の頃、よくそれを着た母と一緒に街を歩きました」
さくらは昴が見事に着こなしている様子を、どこか懐かしそうな瞳で見つめていた。
「せっかく日本に戻っていらしたのだから、二人で着物を着て浅草を楽しんでいらしてください」

 

 突然の提案に大河はまたしても驚いてしまったが、どうやら知らなかったのは自分だけらしいとすぐに悟った。
なぜならすでに大河のための和服も用意されていたから。
昴の物と合わせた、紺青の着物。
襦袢や羽織もきちんと揃っている。
3人には部屋を退出してもらい、大河は昴に手伝ってもらいながら和服に袖を通す。

 「久しぶりです。着物を着るなんて」
「そうだね……。僕も仕事以外で着るのは久しぶりだよ」
会話をしながらも、大河は着付けを手伝ってくれている昴の姿に釘付になってしまった。
しゃがんで帯を調えてくれる昴のうなじが、優美な曲線を描いている。
その際立った白さが恐ろしいほどに美しい。
じっと見ているのは失礼な気がして、大河は慌てて視線を反らす。

 「昴さん、とっても似合っていますよ。紐育に帰っても、時々着物を着て欲しいな」
「ふふっ、目立って仕方がないよ」
穏やかに会話をしながら、二人はゆっくりと着替えた。
大河ひとりでも着られたのだが、昴が手伝ってくれると仕上がりは見違えるほどだった。
着付けにはどこにも隙がないのに、顔がのんびりしているので、どこかの若旦那のように見えてしまう。

 部屋を出ると、そこにはもう大神しかいなかった。
「今日は仕事を忘れて思う存分楽しんでおいで」
大神は、甥っ子に向けて目を細める。
「ありがとうございます。みなさんにもお礼を伝えておいてください」
「僕からも礼を伝えて欲しい。大切な物を貸してくれてありがとう。と」

 

 二人が手を繋いで外を歩いて行く様子を、大神は微笑ましく見守った。
心から信頼しあっている様子がその姿から見て取れる。
紐育を命がけで守ってきた戦士たちとは思えない、微笑ましくも美しい姿だった。
きっと、沢山の苦しい戦いを乗り越えてきたのだろう。
仲間達と苦難を乗り越えたその先に、何があるのか大神は十分に知っていた。
辛かった分だけ、沢山の物を得る事ができる。
大神がそうだったように、いつか任務のために遠くに旅立ち、離れ離れに生きなければならない日がやってくるかもしれないが、
それでも強く結ばれた絆は決して揺るがないだろう。

 「今の気持ちを忘れるなよ、新次郎……」
遠ざかって行く二人に向けて、大神はそっと呟き、彼らが角を曲がって見えなくなるまで、見守った。

  

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和服を着るというキリリクでした。ようやく出てきた。

 

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